最後の神代

眠れ命

第142話・雪風巻く

 稲野にはすっかり雪が積もった。

 秋の頃、赤々と燃えるようだった山並みは、冬の白さに包まれて、駆ける命はうつらうつらと微睡む。

 渡り鳥達は南へと逃げ、留鳥とめどりたちは身を寄せ合ってしのいでいる。

 厳しい冬なのに、人々は初冬の頃とさして変わらない。人間は冬毛を外付けする、小狡い平野猿だ。


「わん! わん! わぅーん!」


 神もさして変わらない。なぜなら、外付けする狡さは神から人間が盗んだものである。


「そっかそっか、人間たちも頑張り屋さんなんだ!?」


 そんな厳冬の最中、クー子の社にはまたしても客がいた。

 その姿はまるで犬だ。真っ白で美しい、巨大わんこである。そんな犬が、クー子に何かを訴えていた。


「クー子、わかる?」


 渡芽わためは首をかしげる。まるっきり犬語であり、渡芽わためにはまだわからなかったのである。


「そりゃ、わかりますとも!」


 と、みゃーこ。ただ、言葉足らずであった。


「ほたるん……も?」


 だとしたら、自分だけ。神ではないからなのだと、示唆されるように渡芽わためは思った。


「私にはわかりませんよ。でも、敵意がないのはクルムにもおわかりでしょう?」


 蛍丸はそう言って返した。

 何せそのわんこ、クー子の前でお座りしているのだ。そして、今の渡芽わためにはありありとわかる。あのしっぽの動きは、親愛であると……。


「ん!」


 犬語がわかるのは、野良経験のある稲荷のみ。実はわからない稲荷も多少いる。主にロシア出身だ。

 彼女たちは肩の上に乗るのが大好きである。ロシアは家守の狐は非常に多い。だが、その家守の席が足りず仕方なく稲荷になることが多いのだ。


「失礼……人語で喋るべきであった!」


 と、急にキリリとした声でその山犬は話し始めた。先程までの態度が何処へやら……と渡芽わためが思ったところ、さらに追い打ちをくらった。


「ありがとう……うちにはイヌ科語わからない子もいるからねー! よーしよしよし!」


 と、クー子がその山犬を撫で回したのである。

 それに、その山犬はされるがまま。むしろ腹を見せて寝転んだ。


「わうん! クー子様、お上手になられた! アンアン!」


 そして、高い声で鳴いたのである。先ほどのキリリとした態度は何処へやら、随分とクー子に甘えていた。


「クー子様も狐ですからね! 犬心は深く理解しておいでです!」


 と、謎に胸を張るみゃーこ。何せ、クー子によって撫でられた回数で単独首位を獲得しているのは彼女である。

 ただ、イヌ科を撫でて快楽を与えることにおいては絶対の壁が存在した。宇迦之御魂うかのみたまである。なにせ年季が違うのだ。

 二位は大口真神おおくちのまかみ。ただ、宇迦之御魂うかのみたまをかなり追随している。真神は、経験の密度が高いのだ。


「はしたない声でございます!」


 蛍丸はその声に顔を赤くした。なにせ女の声でやるのだ。

 そう、彼女は大口神族の女神である。キリリとした、クールな女性の声を人語用に持っている。そして、その声で犬のように鳴くのは、非常にセンシティブだった。


「失礼をした! つい心地よく!」


 イヌ科神族は全てが共通した悩みを持っていた。喜びを隠すのが非常に苦手なのだ。しっぽも声も、正直すぎるのである。クー子も、宇迦之御魂うかのみたまですらそうだ。尻尾を出していると、そこだけはごまかせない。


「んで、眠らない子たちは今年は被害を出しそうにないんだよね?」


 クー子は狐である。動物という言葉をあまり用いない。なにせ、自分も該当してしまうからだ。

 しかしどうして、動く物とはなんとも失礼だと思っている。せめて者だ。動者と呼んで欲しいものである。


「はい、人間は森をよく管理しています。ですが、肉を捨てるのは頂けません。我らに供えれば良いものを。あの匂いが我らにはたまらぬのです」


 人間は臭いと言って捨てるアライグマやハクビシンの肉。それを大口神族は、ご馳走として食べるのである。

 とはいえ、神が回収に向かえない現代では、捨てるのも仕方のないことである。


「まぁまぁ、ちょっとだけ待ってよ。数百年以内にまた神代になるかもしれないし!」


 そう、そんなきっかけが近頃クー子の周りにはたくさん転がっている。


「数百年!? すぐではございませんか!?」


 神々の時間感覚はバグりにバグっている。千年単位で生きている弊害だ。


「おばあちゃん……なる!」


 まだまだ人間気分が抜けない、渡芽わためが言った。


「数百歳など、赤子だぞ?」


 こともなげに、その山犬は言った。


「我らにとっては長いのですがね……」


 と、みゃーこも苦笑する。なにせまだ、人間基準の年齢域を脱していないのだ。


「む、みゃーこは幼子であったな! なに、時が経つのは早いものだ!」


 と、山犬は笑った。

 大口神族の性格はとても、たけ神族に似ている。野生版戦神な神族なのだ。


「霞様にとってはそうでも、野良の世界では歴史級おばあちゃんですぞ!」


 そう、みゃーこの年齢を無理やり人間換算すると、227歳と少しになる。

 そんな人間換算をしたところで、幼子なのがこの神々の世界の恐ろしいところ。


「なら、我は化石だな! はっはっはっは!」


 山犬……大口霞比売おおくちのかすみひめは千歳超えであった。だが、若者分類だ。相手によっては幼子である。


「私、どうなっちゃうの?」


 そして霞比売かすみひめは、クー子より年下だった。


「申し訳ございません。遺跡級としておきましょう……」


 というわけで、少しだけ霞比売かすみひめは言葉を下方修正したのであった。

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