第141話・神代

 それから、いろいろな話をした。食事のお供に、喋って笑って、それは最早祭りだったのだ。

 否、それこそまさしく祭りである。人と神が入り乱れて遊ぶ、神遊びだ。

 そんな折、陽はふと訊ねた。


「クー子さん、稲野山母毘売いなのやまははひめ様。こんな場で聞くのもおかしいかもしれませんが、どうかお聞かせください。神は、人の世をどうなさるおつもりですか?」


 人と神の距離は、この冬で一気に近くなったに違いない。幸枝さきえというただの一般人にすら、神であることを明かした。

 そもそも、自分ですら神が目の前にいることを知っている。これまでは、なかったことだ。


「もう一度神代を……かな? 心の楽園は、道徳の果にしか生まれない。科学を発展させて、世界を豊かにすると感謝って忘れちゃうものなんだよね。だから、科学が発展しすぎかなって思うの。人の道徳が追いついてないんじゃないかなって」


 稲野山毘売いなのやまひめは、その発展の大部分を見てきた生き証人である。といっても、正一位 の神々からすれば、見ているのはほんの一部。

 だが、人間からしたら、それは本当に悠久の時を生きた神である。

 人間の感覚では、神代はこれまでに二度あった。縄文時代と、平安時代である。だが、縄文時代という言葉を神は用いない。一万年以上続いたこの時代こそ、神は神代と呼ぶ。


「科学なければ、人は飢えますし、簡単に死にます。それでも、科学は悪ですか?」


 陽はさらに訊ねた。平安時代の人間は、今よりずっと簡単に死んでいた。平均寿命だって当然今と比較になるものではない。


「悪じゃなくて、誤った想い。それも、科学自体じゃなくて、それに潜んだ人の心がだよ。何度も言うけど、感謝は忘れちゃいけない。発展させてきた先人が残したものは尊ぶべきだし、これから発展させる若者は温かく見守るべきだよ。それを忘れるくらいなら、科学なんて捨てちゃえばいい! 私たち神はね、そうして科学を捨てたの。もしかしたら、再獲得するときも来るかもしれないけどね。それでも今は、未熟な神々の結論を、人類に伝えたらどうかなって大山咋おおやまくい様に言われたから少しづつね」


 稲野……言わずと田舎である。迷信の多いこの場所だから、大山咋神おおやまくいのかみはモデルケースに選ぼうと思っている。

 まだ、構想を固めている段階。稲野山毘売いなのやまひめは、少しだけ先走った。だが、状況が良かったのである。それはまるで、運命の神々がそう仕向けたかのようだった。

 ただ、そんな神はどこにもいない。そんなものを操れるとしたら、底抜けに賢い別天ことあまつの神々のみである。


「確かに、私は驚きました。これほどに豊かなのに、辛そうな人々に。毎日クタクタになって帰ってくる、今生の父に。なるほど、科学は誤りの上に成り立っていたのですね」


 と、陽はその時点で納得してしまったのである。それは、彼女が神に近く、そして前世を経験しているからである。


「あの……。もしも、今の科学がなければ私はどうなるでしょう? 介護してもらうこともできず、そのまま死ぬのが正しいのでしょうか? 私は怖いです。かつての、姥捨て山のお話のように捨てられてしまうのかと……」


 それは、科学が未発達であることと、貧困をイコールで結んでしまう現代人の言葉だった。


「大丈夫よ。一万年ちょっと前、萎え病……えっと、今は筋ジストロフィーか……。そんな子がね、普通に養われてたわ。食べ物が潤沢である限り、人間は家族を見捨てないの」


 そして、家族を見捨てない若者を、労働力として見捨てない他人。そんな風に連鎖して、人はあまり見捨てることをしない。

 だが、道徳においては別だ。嫌な人間は、簡単に見捨てられる。


「でも、自分から来た人多くなかったですか?」


 クー子もクー子で、太古の感覚である。


「クー子ちゃん、それ鎌倉以前!」


 と、稲野山毘売いなのやまひめにツッコまれてしまったのである。

 武家政治が起こるまでの、日本というのは本当に他人を見捨てるのが苦手だった。自分から出ていく老人たちのことを、涙を飲んで見過ごしていたのだ。

 武家政治が始まり、戦いが頻発して以降人々は徐々に変わってしまったのだ。


「え!? 来てたの!?」


 と、素っ頓狂な声を出す陽。

 日本で最初の大飢饉は1181年、養和の飢饉である。これは安倍晴明の死後の出来事であった。ゆえに、それ以前は飢饉といってもさほど深刻でないものが多かった。

 何せ、水産資源の豊富な日本に海洋民族大和族。米が食べられないのなら、魚を食べればいいじゃないを、地で行く民族だったのだ。


「うん、少しだけね。まぁ、そのときは帰らないことを条件に死ぬまで神が保護してたけどね。その来世で神になった人、少なくないよ!」


 と、稲野山毘売はまさかをぶっちゃけたのである。


「心配いらないのですね……」


 幸枝さきえは、そのように安心を得た。


「大和民族舐めんなよ、婆さん!」


 平安時代人の陽には、強い愛国心がある。第二次世界大戦の敗戦も経験していなければ、大きな戦乱もない時代の人間だったのだ。だから、民族を愛している。


「……と、分かりました! 私は、その神代の再来に手を貸しましょう!」


 陽は、続けて言った。

 この物語は、人と神と手を取り合う最後にして永世の神代の訪れ、そのきっかけの物語である。

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