第140話・感謝

「次は、満野狐みやこでございますね! 稲荷満野狐いなりみやこと申します! 気軽にみゃーことお呼び下さい! クー子様の狛狐でございます! ちなみに、25歳。人で言うと、妙齢の女でございますね!」


 などとみゃーこは言うが、みゃーこの人化もやはり小さい。ミニマムロリータである。その面影には確かに、大人びた部分があるが、まだまだ色香とは無縁だ。やはり、とても可愛らしい子供に見えてしまう。


「ぶふっ」


 だから、陽は思わず吹き出してしまった。


「なぜ笑うのです!? 25など、妙齢ではございませんか!?」


 みゃーこは現代のお狐さんだ。25歳が妙齢となる。これが蛍丸などになるとまた話は変わってくる。


「年下の子もちゃんといるのですね……」


 そんな会話が見た目相応で、老婆……幸枝さきえにとっては孫世代だ。だから、可愛らしくてついつい顔が緩んだ。

 幸枝さきえは、クー子の思うとおりの人だったのだ。他人と距離を取るのは少し苦手。だけど、よく笑い。そして、あどけなさを温かく見守ることのできる人物だった。


「だって、みゃーこすぐ大人ぶるじゃねーか! あ、俺は倉橋陽くらはしはる。人間やめかけの陰陽師で、今生では17歳になる。ま、JKだな!」


 前世はというとDK男子貴族だった、陽が言った。

 彼女は彼女でギャルに憧れるものの、好人物であるのは間違いない。言葉は汚いが、節々に愛情が漏れ出している。彼女は知らない、自分が実は女子の憧れの的であることを。

 男勝りで愛情の深い美人と言うのは、女性からも好感を得ることが出来るものである。


「今生? 前世の記憶でもあるのですか?」


 幸枝さきえは、疑問に思った。そもそも陰陽師がファンタジー。それに加えて、前世の記憶などと言われたら、本格的にファンタジーが極まってしまう。


「前世、安倍晴明だったって言ったら、信じる?」


 無駄にドヤ顔で、陽が言った。それはもう、用意してたのではないかとすら思った。

 その用意していた感が面白くて……。


「ぶふっ」


 クー子が吹き出した。


「良し!」


 陽は、ウケを狙っていたのだ。このあたりがやはり和魂にぎたまっぽいのである。


「信じますよ、だってここでは不思議なことばかりですからね。お迎えが、こんなところで来るなんて。子供たちに迷惑をかけちゃいますね」


 幸枝さきえは、死んだ気になっていた。きっとこのまま、死後の世界へと行くのだと。


「ん? いや、帰り俺が送っていくが?」


 だが、死ぬなどとんでもない。聖餐せいさんを食したことにより、むしろ寿命は伸びたほどである。


「え? 私てっきり、神道の神様たちに導かれてあの世に行くのだとばっかり」


 老婆は自分の早とちりを笑った。それはもう、とても朗らかに。


「おばあさんのお迎えにはは多分、建速たけはやの誰かがお迎えに参りますよ! 恐ろしいことにはなりませんよ。根の国の浅いところは、いつも建速たけはやの神が居りますから」


 同じ神族の、蛍丸が言う。彼女自身見たことはないが、聞く限り過酷な環境ではなかった。


「楽しいところだったぜ! 地獄って言うなら、今の現し世の方が地獄だ。物質が豊かになりすぎて、心が貧しくなってる。ずっとずっと楽園にいて、自分から動くことも忘れてしまった」


 陽は根の国を経験した、生き証人である。

 根の国は、物質的な豊かさは人間の社会にも劣る。だが、人々は何かにつけてどんちゃん騒ぎ。そんな人々の間を通って、その環境を守りに向かう神々を常日頃から見る。危険を感じ、だからこそ感謝を忘れずにいられる世界だったのだ。


「昔は良かったんですけどね。みんな、感謝を忘れてしまっているんですね」


 幸枝さきえは言った。老人特有の懐古の念を抱いて。


「それがいけないのよ……。あなたたちが若者への感謝を忘れたから、若者も先達への感謝を忘れた。人は、流れの中で変わっていく。そして、もっと大きな流れを作ってしまう」


 もう変わることなどないのかもしれない。残りの生はあまりに少なく、だからこそ変わろうとしないのかもしれない。


「そうなのですか? 私たち、老人が忘れた? あぁ、そういえば今ご飯を食べられているのは、若い人たちのおかげかもしれませんね」


 それは、間違いなく事実だ。老人ばかりの世界で、誰が食料を生産するのか。それは、誰にも不可能だ。

 畑を耕し、船で漁に出る。そんな、生産者たちがいなければ社会も文化も消え失せる。生産者たちの有り余る生産量の上に、技術を磨くものたちが養われ、家が工芸品が娯楽が成り立つのである。それを、人は文明と呼ぶのだ。


「感謝せよ、謳歌せよ。って、神になる途中で絶対言われます。だから、クルムも覚えておいてね!」


 これまで、クー子は渡芽わための心を満たしてきた。だが、ここからは先へ進むのだ。ここからこそが、渡芽わための惟神の道。神として一人前と認められるための、心の歩みだ。


「ん! 感謝……たくさん!」


 だが、渡芽わためは既に感謝している。だからこそ、渡芽わためには神通力が宿っていたのである。


「ごめんなさい。歳を取って、傲慢になっていたのね……」


 そして、幸枝さきえも自分を悔いた。彼女に宿った、僅かな神通力に気づく者は、その場にはなかった。


「じゃあ、クルム、自己紹介!」


 少し暗い雰囲気を、打ち壊すように、大トリにクー子は自己紹介を促した。


渡芽わため! です! クー子の……狛狐! 12歳……くらい?」


 渡芽わためは正確な自分の年齢をわかっていない。誕生日など祝われたことがないのだ。

 戸籍もなければ、人権もなかった。ただの愛玩動物、それがクー子と出会う前の渡芽わためだ。


「0歳でいいんじゃない? もうすぐ一ヶ月? 稲荷になった日が、クルムの誕生日ってことにしちゃおう!」


 クー子が渡芽わための誕生日を訊ねなかったのは、そこに辛い記憶が眠っているかもしれなかったからだ。だが、その懸念は払拭された。代わりに、誕生日という記憶が存在しないことがわかった。


「ん! 0歳……です!」


 と、渡芽わためは誇ってくれたのである。我、稲荷なりと。神に迎えられた日こそ、自分の誕生の日であると。

 今やすっかり渡芽わためは稲荷の愛し子だ。愛されるがゆえに愛するという、平凡にして至高の幸福の中で生きている。

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