第139話・三千年前の蝦夷より……

「りっぱなお社ですね」


 老婆の視界には、クー子の幽世かくりよの社が見えた。

 絢爛豪華というわけではない。だが、それは現し世にある社に引け劣らないものだった。頑丈で、利便性も良い、そんな機能美が詰め込まれた社に見えたのだ。


「猿田彦様が作ってくれたんですよ! 神の幽世かくりよの社は、全部そうなんです!」


 クー子の社は三千年弱ここにある。元は何もなかったクー子の幽世かくりよに、宇迦之御魂うかのみたまが土を入れ、種を蒔く。そして、次に猿田彦さるたひこが社を作り今の姿になったのである。

 神器と言うならば、この環境自体が神器だ。神を守る、神造の聖域結界である。


「それは、どおりで素晴らしいわけですね」


 老婆はそう言って笑った。


「あれ? 信じちゃうんですか?」


 クー子は訊ねる。普通の人間は、神だのなんだのと名乗っても徹底的に疑るものだと思った。


「それはそうですよ。さっきまで小さな祠にいたはずが、こんな立派な社の前にいるんです。むしろ、人が作ったなんて言われても信じられませんからね」


 老婆の言葉を、クー子は噛み砕いて、なるほどと手を打つ。

 もう、不思議な体験をさせてしまったのだ。どうあがいたって神だと理解される。


「ともあれ、私の本名を知ってる普通の人間第一号です! よろしくお願いしますね!」


 クー子の名前を知っているのは、大概は神通力を持っている人間だ。普通ではない。大体、日本の神は多すぎる。すべての神の名前を覚えろなど、無理な話なのだ。


「普通じゃない人間の知り合いがいるみたいじゃないですか」


 と、老婆は、その表情を朗らかなものから愉快そうなものへと変えた。

 陰陽寮は、表向きには廃止されている。安倍晴明を祖先とする、土御門つちみかど家に倉橋家。かつては陰陽師だったが、今やそれを表立って名乗る者はいない。

 それでも、霊能はどうしても必要だ。神倭のみが、その役割を果たしている。


「いるんですよねー。ちょっと、人間卒業しかけの陰陽師が」

「え……」

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 そんな会話をしながら、クー子達は食卓へと戻ってきた。

 既に配膳が始まっていて、蛍丸が皿に盛り付けた料理をちゃぶ台に並べていく。もちろん、普通の着物で。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ……」


 蛍丸は老婆に、茶碗のご飯を差し出しながら言った。


「ありがとう。貴方は、神使さんかしら?」


 老婆はついつい見た目の年齢に騙されてしまった。蛍丸は幼い少女にも見える。

 ただ、これまた神によくあることで、幼児体型ではないのだ。あどけなさと色気が同居する、極めて美しい顔立ちである。


「私はクー子様の神器ですよ。ほたるんと、気楽にお呼び下さいませ」


 全く偉ぶる気がないのは、和魂にぎたまの特徴である。蛍丸もその例にもれない。


「ばあちゃん、だまされんな! その人、それであんたよりずっと年上だ!」


 と、陽が茶化すも、誰も何も言わなかった。


「ほたるん……これ……」


 代わりに渡芽わための視線は料理に釘付けである。


「油揚げと大根の甘辛煮ですね……。好物でしたでしょ?」


 蛍丸はそう言ってニッコリと笑った。

 昨日一日は油揚げがなかった、これは蛍丸からのサプライズである。


「ほたるん様! 隠し通せましたね!」

「みゃーこの協力のおかげですよ!」


 と、仕掛け人二人組は、達成の喜びを分かちあったのである。


「あの……ほたるんさん? まさか……?」


 老婆はなんとなく気づいた。近年の漫画やゲームの影響で、刀剣に興味を持つ若者は少なくない。

 蛍丸はその中でも、常連キャラクターである。ショタにされたり、ロリにされたり、グラマラスな美女という場合すらある。

 老婆は、孫がそんな話をするのを聞いていた。


「そのまさかだぜ! この人、あの蛍丸だ!」


 愉快そうに笑う、陽。


「もしかして、私が最年少?」


 ついうっかり、外見に騙されてしまった。この場で一番老けて見えるのに、最年少だなんておかしなこともあると笑った老婆だった。

 号令をはさみ、食事を始めてからそれぞれ自己紹介が始まる。老婆をびっくりさせるため、最年長からだ。


「私は稲野山母毘売いなのやまははひめ! 年齢は……238万歳くらい!」


 神々は年齢など大したことと思っていない。だからこそ、言えば面白くなると思うと、簡単に開示するのである。


「それで、私が稲荷駆兎狐毘売いなりかけうさのきつねひめ! 気軽にクー子って呼んでください! 年齢は、三千歳です! 空狐だけに!」


 そう、空狐とは三千歳を越えた狐妖怪のことである。クー子は名に込められた願いの一つを、既に達成していたのだ。

 狐妖怪は三千歳を超えると、途端にその後の生存確率が上がる。その時まで繋ぐための願いだったのである。


「私ですね、建速蛍丸たけはやほたるまると申します。気軽に蛍とお呼び下さい。年齢は、千歳にも満たないので、幼子だそうですよ?」


 まだピンと来ていないし、ほたるんというあだ名も釈然としない蛍丸であった。


「ちなみに、次は婆さんな!」


 と、陽が言うので、老婆は驚いた。

 案外、年下もその幽世かくりよにいたのである。


「私? 私は……大盛たも幸枝さきえって言います。年齢は今年で78歳になりました」


 人間であっても、六十を超えると年齢は気にしなくなるものである。むしろ、そこからは重ねれば重ねるほど、長寿自慢ができようものだ。

 ただ、その苗字の由来は間違いなく蝦夷のものだった。


「え!? 阿弖流為アテルイ君と血縁!?」


 稲野山毘売いなのやまひめの知る、蝦夷えみしの一人との関係が音に示唆されていた。阿弖流為アテルイとは……、大墓公たものきみ阿弖流為アテルイである。それが苗字として変化したものがこの老婆についていたのだ。


「ずっと祖先様の、分家筋に阿弖流為アテルイがいるんだそうです。それで、私たちも大盛たもっていう苗字を頂いたんだそうで……」


 何せ、彼女の家に伝わる口伝は三千年前まで遡る。それこそ、御伽噺おとぎばなしの時代からの口伝だったのだ。

 彼女の家が、本当は本家だったのだ。ただ、クー子の一件の罪悪感で、権力から手を離した。結果、分家である阿弖流為の家が大墓公たものきみとなったのである。

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