第136話・現し世

 道端にはうっすらと、きめ細かい初冬の雪が積もっていた。


「まだ昨日みだいなあったげえ日が来ねぁーなぁ」

「んだ、雪が溶げでけだらありがでえ」


 道行く人はそんな話をしていた。

 ここは岩手県稲野とうの市。特別豪雪地帯を名乗るには、降雪量が少し足りない。それでも、雪にはかなり悩まされる地方である。だから、地元住民にとっては、雪は大自然の脅威なのだ。

 太平洋側の岩手県。そこに降る雪は、一度山脈を超えた雪だ。上空まで登って、これでもかというほど冷やされた末の雪。それは、水分を含まない故にとても軽い。だから、岩手県民が雪に弱音を吐いたら秋田県民に怒られてしまう。秋田は、冷やされる前の重い雪をたらふく降らされるのだ。


「なんというか、冬だね!」


 いそいそと忙しなく歩く人の波に、クー子はそれを感じた。


「昨日一日春だったけどな! 朝、また雪が降ったんだ」


 陽はそう言って笑った。昨日は大孁おおひるめの神々がクー子の社にいたせいである。それで、この地域の雪は大分溶けた。


邏玉比売めぐりたまひめ様、ずっといてくれればいいのに。頭、寒いよー!」


 稲野山毘売いなのやまひめは山の神。彼女であるとされる山の山頂は、うっすらと雪化粧をしていた。これは、山神ジョークである。

 そんな話をしながら、商店街を歩いていると、急に陽は声をかけられた。


「よ! 油揚げ好きの姉っちゃん!」


 声をかけたのは、豆腐などの専門店の店先にどっかりと座った、顔が山賊な男性だった。


「おっと、通り過ぎるところだった! 相変わらず凶悪なツラしてんなぁおっちゃん!」


 陽は稲野山毘売いなのやまひめを気にしすぎていて、店を全然見ていなかったのである。

 そして、田舎ならではの、他人同士の距離が近いコミュニケーションが始まった。


「磨ぎがががってらだべ?」


 なんだか、永和らしからざる雰囲気である。その男は、山賊のような人相であることを楽しんでいたのである。


「違いないや!」


 陽は、そう言って笑う。


「でだ、こったなのがあるぜ! 油揚げ食い比べセットだ!」


 男は様々な油揚げが盛られたざるを取り出して陽に言った。


「うわー! 油揚げにもこんなに種類が!?」


 それだけの油揚げを見せられれば、稲荷は否応なく反応してしまう。


「見ねぁー顔だな? おめも欲しいのが? え? ベッピンさんよ!」


 クー子が街へ降りたのは、これが初めてである。このあたりに三千年以上住んでいたにも関わらず……だ。


「あー、おっちゃん! 俺がこの前買ったのは、この人が欲しがったからなんだ!」


 と、陽が顛末を話すと、男は途端に満面の笑みになった。それがもう、山賊にしか見えないのなんの。


「あ、おめか! 人見知りって聞いでらったんだども、よぐ来だな!」


 東北訛りもきついもので、余計にそう見えてしまう。だが、この男はただの豆腐屋である。日夜豆腐を作っては、この凶悪な笑みを浮かべているのだ。


「はるるん……話したの!?」


 クー子は恥ずかしくなって、陽に詰め寄った。


「だってよぉ……」


 陽は言い訳をしようとするが、押し黙ってしまった。


「クー子ちゃん、普通の人は三万円分も油揚げを買ったりしないの……」


 稲野山毘売いなのやまひめが陽に助け舟を出すもので、男は気づいた。彼女たちが三人組で、買い物に来ているのだと。


「こりゃまだ偉えべっぴんさんだ! どうだ? 見でいがねぁーが?」


 山賊面といえど、男は男。美人には弱いのである。何せ相手は神だ、美人でないわけもないのである。


「見せて見せて! こっちの子は油揚げが大好きで、私はお豆腐が欲しいかも!」


 と、稲野山毘売いなのやまひめは言った。

 稲野山毘売は、実は人間の通貨を少し持っていた。但し書きはついてしまうのであるが……。


「おう、見で行ってぐれ! 安ぐするぞ!」


 男はすっかり上機嫌、あれはどうかこれはどうかといろいろ見せたのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ひとしきり、豆腐や油揚げなどなど商品を見せてもらい、いざ会計となった時に問題は起きた。


「んじゃ、そっちの……2500円だべ!」


 先に会計をしたのは、稲野山毘売いなのやまひめであった。


「高くない? もしかして、ぼったくられてる?」


 と、小声で、陽に訊ねた。

 陽は即座に嫌な予感がして、言った。


「持っているお金、見せてくれませんか?」

「えっと……これ……」

「こ、古銭……」


 それは一厘銅貨だったのである。これは、日本で円が使われ始めた頃の硬貨である。


「どうしよう……2500円なんて、持ってないよ……」


 稲野山毘売はしょんぼりとしてしまった。


「えっと……それ、預かっていいですか? ここ、俺が払いますから!」


 と陽は言った。なんとなしに、それはかなり価値があるように思ったのである。


「いいの!? 一厘だよ? 2円くらいなら、払う気でいたんだけど」


 稲野山毘売、さすがは神というところである。それは、1873年発行の通貨であり、稲野山毘売の感覚は当時のものである。

 この一厘、現代の価値に換算すると3.8円ほどに相当する。一円ともなると、その千倍3800円だ。


「それは厘でねぁーが?」


 山賊面は、それに目をつけた。厘とは、書いてあったのだ。

 とはいえ、強奪する気などない。


「あ、うん! むかーしもらったの!」


 ものすごい昔である。それこそ、神スケールの。


「んだら、がっぱり売れるぞ! ちょっと待ってぐれ」


 そう言って、男はスマートフォンを弄りだした。

 なんだかんだ言っても現代。折りたたみ式の携帯など、もうどこにもないのだ。


「んお! 五万!!」


 そう、この一厘銅貨は五万円で売れてしまうのだ。超プレミア品である。


「え!?」


 一同、それに驚いたのであった。

 結局、それは陽がフリーマーケットに出品することになった。ただ、五万円で収まらなかったのである。

 何せ、美品も美品。作られてすぐに賽銭箱に投じられたものであったのだ。

 刻まれた発行年数は明治6年のものがあり、明治13年のものまであった。この、明治13年が、腰を抜かすような値段で売れてしまったのである。

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