第135話・輪廻

 そして、クー子はなんともあっさりと幽世かくりよを出た。


 外の世界は、なんということはない。幽世かくりよの中に比べて多少寒い程度で、クー子にとって普通だったのである。

 道行く人々は、息を白くして足早だ。春を待つ人々の、少しせわしない雰囲気は感じ取れる。なのに、トゲトゲしさはどこにもなかった。


「あれまぁ、可愛い振袖だべ! お姉さんや、それどこで買ったんだい? 店を教えておくれよ!」


 話しかけてきたのは、クー子が最初に外に出たときに水干を褒めた老婆であった。

 背が小さく、真っ白な髪であった。それがなんとなしに、クー子には可愛らしく見えたのである。


「あ、こんにちは……えーっと」


 クー子はどういっていいかわからず困る。これは、神衣かむい……すなわち神器だ。人の世では非売品である。


「ごめんなさいねぇ、これハンドメイドなの! 知り合いに作ってる人が居るのよ……。だから、非売品だわ」


 助け船は、稲野山毘売いなのやまひめが出した。彼女は少し困り顔で微笑んで、そして手を合わせながら言った。


「あら、そうなのかい! そりゃ、残念だね……。でも、二人共本当に似合ってるねぇ。しかし、お姉さん達はこの先の神社の帰りかい?」


 その老婆は、実はクー子と完全に無関係ではなかった。


「ええ、そんな感じ! おばあさんは?」


 稲野山毘売いなのやまひめは、人間とのコミュニケーションには少しなれていた。

 着物を愛する若い世代に見えるのだ。着物好きな老人世代からは、よく話しかけられるのである。


「私もだよ……。この先のお狐さんに、ご先祖様が悪いことをしちゃったっていう言い伝えがあってねぇ。だから、たまにお参りに行ってるの」


 そう言って、老婆は朗らかに笑った。

 彼女の家は代々神道を信仰する家系である。それも古い家系で、蝦夷の一族だった。そして、クー子を迫害した村の生き残りだった。


「そうなんですね! きっとそのお狐さんも、許してくれると思いますよ! ね、クー子ちゃん!」


 稲野山毘売いなのやまひめはクー子を見る。

 そのお狐は老婆の目の前にいた。そして、朗らかに微笑んでいた。


「そうですね! でも、案外子孫までは恨んでないかもしれませんよ!」


 そして、それが答えだった。クー子はその老婆を、今の今まで知らなかったのだ。

 知らなければ恨むもなにもないのである。

 クー子とその一族の縁は遥か昔に途絶えて、今ここで再び交わったのである。


「そうだといいねぇ……。あ、引き止めてごめんよ! あんまりに素敵だったからね……」


 そんな風に笑う老婆を、どちらにしても恨むつもりはないクー子だった。


「知ってます? あそこの神様、稲荷駆兎狐毘売いなりかけうさのきつねひめっていうんです。今度、呼びかけてみてください!」


 だから、正式な神としての名前を告げた。

 何故か老婆はそれに納得する。それは、神の権能をもって加護と一緒に口伝された名前だったからだ。


「そうなのかい? じゃあ、呼びかけてみようか! 答えてくれるかもしれないねぇ」


 と、そんな一幕が、クー子の社の割とそばで起こったのであった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 しばしして、クー子達は、一番近所の民家を訪れていた。


「ねぇクー子ちゃん。ここにいるの? 初めて仲良くなった人間」


 稲野山毘売いなのやまひめが訊ねた。そこは、陽の家だったのだ。


「はい! 実は私、最初はその子のこと稲荷だと思ってて。それで、仲良くなれたんです!」


 勘違いは、人や神を害することもある。だが、クー子に限っては、心の底からそれに救われたのである。


「へー! 陰陽師なんだっけ?」


 稲野山毘売いなのやまひめは、安倍晴明といっても伝わらない神である。何せ、土地神だから、遠くまで行くことができないのだ。


「そうなんですよ! 人類最強にして、現人神寸前の陰陽師です!」


 と、クー子が紹介して、戸を叩こうと思ったときであった。

 その戸は、内側から開かれたのである。


「クー子さん! 現し世に来たの……か……?」


 陽は家から顔を出し、勢いよくクー子を褒めようと思った。だが、それはすぐに気勢を削がれていった。

 そう、神がクー子一柱では無いと、気づいたのだ。


「掛けまくも畏き、何処かの神様! その名を知らぬ、我が無知を許し給え!」


 今度は勢いよく、陽は平伏した。

 陽の私服、それは非常にロックだった。ワインレッドのTシャツの上から、シャツアウターをまとっている。首元には、ハンドメイドのシルバーアクセサリーが輝いていた。その意匠がまた、独特だった。


「かしこまらないで! それより、その飾り、出雲文字じゃん!」


 そう、神代文字だったのである。それほどすごいものではないが、護符として力を持っていた。


「あ、はい! これで陰陽道をかじっておりまして。いざという時、誰かをお救いできる道具は常に……」


 陽は慇懃いんぎん※礼儀正しいことに答えた。緊張でガッチガチだったのだ。


「へー、本当に陰陽師だぁ! お名前は?」


 稲野山毘売いなのやまひめは、陽に興味しんしんであった。


倉橋くらはし陽と申します!」


 なんの因果か、陽が転生したのは自分の末裔の一族だったのだ。


「陽ちゃんね! 私は、稲野山母毘売いなのやまははひめ。好きに呼んでね!」


 と言われても、陽は稲野山母毘売という正式な名前以外で呼べないのであった。

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