第133話・大嶽山母

 そんな破天荒な放送が行われた次の日のことである。

 クー子の元には、連絡が舞い込んだ。


『ねぇクー子ちゃん! 私もクー子ちゃんのところ遊びに行っちゃダメ?』


 その声は、稲野山いなのやま毘売ひめのものだった。彼女が聞く噂によると、クー子はすっかり社交的になり、その幽世かくりよには人間すら出入りするらしいではないか。

 さしもの稲野山いなのやま毘売ひめも嫉妬した。自分だってクー子と仲良くしたいのだ。自分はいつまでたっても呼ばれない。そんな風にむくれていたのである。


 だが、それはクー子側の心情を紐解けば訳もわかろうものである。クー子は稲野山いなのやま毘売ひめを目上だと思っているのだ。呼びつけるのは失礼であると。

 神階的にはクー子は稲野山いなのやま毘売ひめを再び追い抜いた。だが、お世話になったという思いが彼女を目上だと思わせているのだ。


「あ、もちろんですよ! 稲野山いなのやま毘売ひめ様なら、いつでもお越し下さい! あ、そうだ! 今から来ると、朝ごはんご一緒できます!」


 故に、稲野山いなのやま毘売ひめが自分から来てくれるという話を聞いて、クー子は嬉しくなったのである。だから、ついつい余計に急かし気味になってしまう。


『え!? じゃあ、今すぐ行くね!』


 当の稲野山いなのやま毘売ひめも、クー子のことは好きである。何かをしてもらったわけでもないが、基本的に和魂にぎたまは好意的な印象から縁を築く。何千年も前の恩を忘れずにいるならもっと好意的だ。


「はい! 是非!」


 そんなわけで、その日は稲野山いなのやま毘売ひめがクー子の社を訪れることになった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 稲野山いなのやま毘売ひめとは、稲野一帯ではのバストサイズランキング首位である。

 山神というのは、得てして巨乳なのだ。日本最高の霊峰、富士山の神。芙蓉比売という神に関してはもはや超乳である。人類の下着換算で、Qカップになってしまう。

 稲野山毘売だって、Kカップだ。これは最早巨と表現することさえおこがましい。


「大きい……」


 渡芽わためは圧倒されていた。その、大嶽たいがくに……。


「あ、こんにちは! あなたが渡芽わためちゃん? 私は稲野山母毘売いなのやまははひめ! ここらへんの山の神だよ!」


 ついでに言えば、その身長も高めである。といっても、これでものすごく小さくなっているのだ。本当の身長は2250メートル。山神は本性で居るには体が大きすぎるのだ。


「こんにちは!」


 渡芽わためも挨拶を返した。


稲野山いなのやま毘売ひめ様、こんにちは! よくお越しくださいました!」


 クー子は渡芽わためと二人で稲野山いなのやま毘売ひめを出迎えていたのである。


「うん! クー子ちゃんもこんにちは! 渡芽わためちゃん、挨拶できて偉いねー!」


 稲野山いなのやま毘売ひめも女神である。母性はあり余り、投棄先を探している。しゃがんで、渡芽わための頭を優しく撫でた。

 目線を合わせる。その行為は動物にすら通用する相手を安心させる行為である。戦いの場では体は大きく見せるもの。それと真逆の行為は、効率的に敵意を否定する。


「ん! くすぐったい……」


 渡芽わためはもう、甘えモードであった。

 そもそも相手はクー子の客である。そんな神仏が、自分にひどいことをするはずがない。それはもう、嫌というほど身にしみていた。

 そんな時である。クー子の社に、急に小包が届いたのであった。


「あれ? クー子ちゃん、天拵贈与あまぞんぎふとっぽいよ!」


 稲野山いなのやま毘売ひめが、その位置に最も近く、故に気づいたのである。

 クー子は特に何かをもらう予定がなかった。それに例えば二級神器のような、重要品であれば、贈与ぎふとと一緒に誰かが来る。来なかったというものは、些細な類のものであるはず。


「開けてみますね!」


 そう言って、クー子は包を開けた。

 そこには、いくつかの髪飾りと付け尻尾に際どい衣装までもが入っていたのである。つまり獣神なりきりセットだ。差出人はもう、考えるまでもない。宇迦之御魂と天棚機姫あまたなばたひめである。特に天棚機姫あまたなばたひめは、ノリノリで作っていたはずだ。


「いろいろあるねー! あ、うさちゃんもあるよ! クー子ちゃんがつける?」


 稲野山いなのやま毘売ひめはそう思った。何せクー子は駆兎狐くうこである。駆ける兎の狐のお姫様だ。これほどふさわしいものもない。

 だが……。


「あー多分……」


 クー子がその先を言おうとした時である。


「クー子様、朝食のお支度が……」


 蛍丸がその場にクー子達を呼びに来たのであった。

 蛍丸にとっては災難も災難。それは、宇迦之御魂うかのみたまが蛍丸のために用意したものである。


「あの子に宇迦うか様はつけさせたいのかと……」


 クー子は蛍丸を指して言った。

 蛍丸は既にその耳や尻尾、衣装に至るまでを見ていた。そして、それが自分向けに贈られたことも理解していた。

 つい先日、高天ヶ原での会話を聞いているのだ。そして、それらは無料であった。天棚機姫あまたなばたひめの先日の粗相への謝意の現れだ。


「あら? あなた、付喪神……。すごく高位の付喪神ね! もしかしてクー子ちゃんの神器?」


 稲野山毘売は蛍丸に詰め寄って、観察を始めた。

 そこで、蛍丸は自分の非礼に気づいたのである。


「これは、稲野山いなのやま毘売ひめ様! ご挨拶が遅れて申し訳ございません。建速たけはや蛍丸と申します! クー子様共々、以後よろしくお願いします!」


 稲野山いなのやま毘売ひめは、枝主神である。蛍丸から見れば随分と神階も高い神だった。それなら、挨拶をしないのは筋が通らない。

 かと言って、稲野山いなのやま毘売ひめはそんなことを気にするほど狭量な神では無い。和魂なのだ、殴りつけない限り怒らないほどである。


「あ、知っててくれたんだ! よろしくね! あなたがクー子ちゃんの神器でいてくれるなんてとても心強いわ! ところで、挨拶遅れたわよね?」


 ただし、させたいことがない場合に限る。

 稲野山いなのやま毘売ひめは、肉食獣の眼光で蛍丸を見ていた。蛍丸は日本人形のように整った容姿だ。稲野山いなのやま毘売ひめは、是非とも着せ替え人形にしたくなったのであった。

 だから、全く怒っていないにも関わらずあえて怒りを表現した。交渉のためである。

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