第126話・天御中主

 思兼おもいかねは神々の中では忙しい方である。よって、先に家路につくことになった。

 その道中、思兼おもいかねはふと気がついた。


「そこにいらっしゃいますね……ぬらりひょん。いえ、天御中主あめのみなかぬし様とお呼びしたほうが?」


 それは、高天ヶ原たかまがはらの外れ。用がなければ誰も訪れないはずの場所だったのである。


「見えていないというのに、なぜ分かるのだ? まぁ、私はただの分身体。かつて世界がつながっていた頃ほどに、君たちに恩恵を授けられない。だから、気軽に呼ぶといい……」


 そう言いながら、ぬらりひょんは思兼おもいかねの前に姿を現した。その名のとおり、ぬらりと……。

 彼が神々の前に姿を現さないのは、もうあまり力が残っていないからだった。

 だから時折、本当に必要なときに現れては、解決に必要な言葉だけを残して消える。ただ、思兼おもいかねだけは例外だ。


「私を育てたのは半分はあなたです。お考えも、少しは察するにあたいますよ……」


 思兼おもいかねだけは、力を使わずに話させてくれる。そして、なんなら、本来自分がするべき事を肩代わりすらしてくれる。

 だから、ぬらりひょんは思兼おもいかねに声をかけられれば喜んで姿を現した。


「懐かしい話だ……。して、知者である君に訪ねたい。どうだ? 予定通りか?」


 ぬらりひょんは、まるで運命を操るかのようにところどころに情報を落としている。本体……天御中主あめのみなかぬしの試算でも、最初は不可能に思えた。だが、思兼おもいかねの協力によってそれは達成可能になったのである。


「はい、全て、崇徳すとくとあなたの計画通りに事は進んでいます。ですが、予想外は一つ。クー子という神は、予想外に成長しております」


 思兼おもいかねが言うと、ぬらりひょんはにぃと笑みを浮かべた。


「ならば、尚更だ! 予定通りだ! イサナミよ、もうすぐだ……」


 全てはぬらりひょんの掌の上で転がっている。少なくとも今のところは……。


「しかし、これより他に手段はなかったのですか? あなたなら見つけられたのでは?」


 思兼おもいかねは訊ねた。分身体といえど、それは思兼おもいかねにとってすら全知全能なる至高神である。


「無くはなかった。だが、その途中私は消えただろう。そうなれば、確実性がなくなる。嫌な役周りを申し付けてすまなかった。だから約束しよう。次が最後だ」


 ぬらりひょんは気だるげに、そう言い切ったのである。


「朗報です。……本当に、朗報です」


 口でそういう割に思兼おもいかねの表情は悲痛だった。


「……すまない」


 彼らは、悲劇の果てに希望を目指している。その希望を掴むためには、一度訪れる悲劇は決して避けられなかった。


「分かっておりますよ……。避けようと思えば、悲願は遠のく。ともすれば、つゆと消えるかもしれなかったのだと……」


 秘される賢者、思兼おもいかねをもってして、それがなぜそうなるのかはわからなかった。だが、天御中主あめのみなかぬしが間違えたことなどこれまで一度もなかったのだ。


「それと、もう一つ。高御産巣日たかみむすびにも、長らく会わせてやれなんだな。辛い思いをさせた……」


 それは余りにも悲痛な面持ちだった。だが、言われた思兼おもいかねは、赤面したのである。


「それでは子供扱いです! 私とてもう、45億4400万歳ですよ! たかが数万年親に会えなかったとて、寂しく思うほどでは……」


 思兼おもいかねという神は、神々の中でも特に古い方である。世代でいうのであれば、伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミに近い世代だ。


「そうなのか? 45億歳は子供だろう?」


 高位の神は高位であればあるほど世間知らずというか、感覚がずれている。天御中主あめのみなかぬし程ともなれば、これほどまでにずれていた。


「覚えてらっしゃらないのですか? 皆、立派に巣立ったではありませんか!」


 思兼おもいかねは抗議する。緊迫感のあった空気は無残に砕け散った。


「しかし……、イサナキはまだ思春期ではないか!?」


 ぬらりひょんは言う。なんだかんだそう見えてしまうのだ。なんだかんだ子煩悩なのだ。


「え!? あぁ……確かに……。って、私は違いますからね!」


 思兼おもいかねは主張した。だが、相手が悪かったのである。

 宇宙開闢級のおじいちゃんに対して放った言葉は、双方の常識の違いによって曲解された。


「乗り越えればすぐだ! 別天ことあまつは帰ってくる。高御産巣日たかみむすびとも嫌というほど会えるぞ!」


 ぬらりひょんの言葉に、思兼おもいかねは辟易し、空気を締めることで誤魔化すことにした。


「クー子は大丈夫ですか? 本当に帰ってこられるんですよね?」


 ただ、それだけは何度も何度も繰り返し確認したくなることである。思兼おもいかねにとって、クー子はもはや他人ではないのだから。


「大丈夫だ。絶対に、大丈夫だ」


 ぬらりひょんは強く言い放った。


「本当に心が痛いですよ。渡芽わためが、どんな思いをするか……」


 思兼おもいかねも本当は気が進まないことである。だが、天御中主あめのみなかぬしが言う以上、それ以外に確実な道など存在しないのである。


「重ね重ね申し訳ない。嫌な役回りを頼む。あたらしりっぱな我が子よ……」


 ぬらりひょんは言った、天御中主あめのみなかぬしとして……。

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