第124話・世喰外巣

「では、クー子さん。場所を移して始めましょう。これを……」


 思兼おもいかねは食後、術式が刻まれた石を差し出して言う。世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみは、その全てがどんなに劣化しても周囲に破滅をばらまく。

 特にひどいのが、大孁おおひるめ世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみだ。嘲外巣アザトース、それは隔絶空間の中の法則を無限に捻じ曲げ続ける。味方としての識別子を持たない限り、死をもたらすためだけの世界。そんなものを、作り出す破滅の術だ。取得水準を満たした神の世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみは強烈である。

 生活に使う幽世かくりよで、クー子がそんな術を使えるはずがない。


殺生石せっしょうせき……」


 クー子に差し出されたその石は、クー子自身が発案した術式を起源とした物。都合のいい、何もない世界を内包している。


「ご用意いたしましたよ。必要かと思いましてね」


 思兼おもいかねは用意周到だった。それほどまでに、世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみの改造は革命的だったのだ。

 反転させた白化アルベドは、本来の稲荷の性質を極限まで強化したような術になっている。それも含めて思兼おもいかねにとって面白かったのだ。


「行ってきても大丈夫?」

 クー子は訊ねる。渡芽わために、みゃーこに。


「ねぇ、私が渡芽わためちゃんと遊んでもいいかしら?」


 答えたのは邏玉比売めぐりたまひめだった。

 そもそも渡芽わためは日司の継承者。邏玉比売めぐりたまひめにとっては、単純に幼い神として以上の庇護の理由を持つ存在だった。


邏玉めぐりたま様……?」


 微妙に嫌そうな渡芽わため


「嫌われちゃいましたね。邏玉めぐりたま様」


 あけびは、そんな渡芽わための様子に苦笑いを浮かべた。


「ひーん!」


 邏玉めぐりたまは涙目である。渡芽わために一方的に好意を寄せているのだ、これが悲しくないわけがない。


「クルム、貴方は全なる道です! 大孁おおひるめの術も、たくさん学んで損はないのですよ!」


 みゃーこが説得を試みた。

 別に二人で遊んでいてもいいと、彼女は思っていた。だが、大孁おおひるめの術を得られるならそれはもっとお得であると思ったのだ。

 大孁おおひるめの数多の道の道徳もそうだ。全ての道徳の根源から、彼女たちの教えは始まっている。


「わかった……」


 少し我慢する気持ちで、渡芽わためはそれを承諾した。

 とはいえ、相手は邏玉比売めぐりたまひめである。クー子は渡芽わためが彼女を嫌う理由もわかっていた。ダメ元とはいえ、引き離そうとしたからである。

 だが、それは邏玉比売めぐりたまひめ自身の立場もあってのこと。しっかり話し合えば、渡芽わための苦手意識も克服されるだろうと思った。それに、あれだけの神通力を持っているのだ。和魂にぎたまの力は、道徳心の裏付けでもある。だから、少し任せてみることにした。


邏玉比売めぐりたまひめ様、よろしくお願いしますね!」


 クー子はそう言って、殺生石せっしょうせきの中に入っていったのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「さて、流石ですよクー子さん。世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみ黒化ニグレドと捉え、白化アルベドを発見するなど」


 思兼おもいかねはクー子に自分の関心した部分を伝えるが、相手はクー子である。


「そうなんですか!?」


 天才肌でポンコツ。そんなクー子は、自分がどんな風に術を改造したのか、理論的な部分が全くわかっていない。


「そうなんですかって……。いや、そうじゃないんですか!? それで次は赤化ルベド黄化キトリニタスを挟むのかじゃないんですか!?」


 思兼おもいかねはてっきり次の改造案があるのだと思っていた。そして、それを実現させるためにここに来たのだ。だというのに、当のクー子が何もかんげておらず、肩透かしを食らってしまったのである。


「あー……。黄化キトリニタスなら、なんとなくイメージできるかもです! 変容ですよね!」


 錬金術の大いなる業、赤化ルベドはその最終段階。賢者の石の生成を指す。そして黄化キトリニタスはその前段階、物質を変容させ黄金へと変える手順だ。

 本質は、知識の征服。言ってしまえば、術式を弄りまわして分析し、望む形を得る手順である。クー子はそうなのだと思っている。


「ちなみに、白化アルベドはどういった経緯で生まれたんですか?」


 思兼おもいかねは、術式の最初の変化に興味を持っていた。


「調和を諦め、己の内を黒く染め上げる。それが、世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみの基本じゃないですか? 黒く染めるのをやめたんです! 考えることをやめない、理解したい! それを、強く願う普段の自分のまま世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみになりました」


 白化アルベドは、言ってしまえばいつものクー子なのだ。宇迦之御魂うかのみたまに育てられたそのままの心。言うなれば、啓発を受けたそのままである。


「それだと、世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみにはなれないはずなのですが……」


 思兼おもいかねの知るところには、それは不可能なはずだった。


イヤが、悪さしてるんだと思います。だって、普段私たちはたたえて欲しいって思ってないじゃないですか? 称えてくれるのは嬉しいけど、無理にとは……って感じですよね? でも、この術は称えよって言ってるんです。だから、そこをすげ替えちゃいました!」


 クー子は術式に込められた言葉を漠然と分析していた。それを、思兼おもいかねに話す事によって具体的な思考経路が照らし出されていった。

 話しながら、クー子自身、啓蒙を受けているような気分だったのだ。


「なるほど、やってみます! 白化アルベド屍徃吹荷蔵巣シュブニグラス!」


 本来稲荷の術式。だが、思兼おもいかねはそれを発現させることに成功する。

 無数の白い触手が伸び、周囲に無差別に命の息吹を供給する。奪う混沌の神ではなく、それは与える稲荷のそのままであった。

 だが、思兼おもいかねは直ぐに術を解いた。


「これは……つ、疲れます……。まるで、全てが……勝手に……流れ出るような……。姿という……くびきを……壊す……ような……」


 思兼おもいかねも、息も絶えだえになった。これは誰でもそうなるようだ……。

 全ての神は形を持つ。自らと世界の間に輪郭を描く事によって、自身の力を保つためだ。だが白化アルベドは、まるでそれを壊すかのように感じたのだ。


「そこが要改良なんですよね……」


 クー子は使った時の疲れを思い出して苦笑いをしたのであった。

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