第115話・子の心

 高天ヶ原たかまがはらに帰る途中、クー子の背中で蛍丸が目を覚ました。


『あの、戦いでもあったのですか?』


 周囲の神々に、思念派で尋ねる。もしも戦いなのであれば、自分が眠ってしまっていたのは迷惑だったのではないかと。


「あ、ほたるんおはよー! 戦いって言うかあれは……」


 クー子がどう表現したものかと苦心していると、玉藻前たまものまえが言葉を添えた。


「一方的に術をかけられて、気づいたら相手が平伏してたって感じです!」


 大人数での移動。後列の方の玉藻前たまものまえとクー子、この中では位が低い。よって、人間組のすぐ前を歩いているのだが、人間組は緊張のしすぎで使い物にならないのである。


『そうなのですか……』


 元々出番がなかったのは結果的に良かったのであり、でもどこか寂しかった。蛍丸は、そんな時にふと思った。


『クルムは!? まだ、寝ていらしたでしょ!? ちゃんと行ってくると伝えましたか!? 直接!』


 蛍丸は最も人間の子供をよく知る存在である。だからこそ、クー子に警鐘を鳴らすつもりで言った。


「よく寝てたから、大社に寝かせてるよ……?」


 何を怒られているのか、クー子はまだ分かっていない。


『何をやっているのです! 幼子には、目が覚めたとき母がいないのが一番心細いのです! 今すぐお帰りください!!』


 その思念波は、過去蛍丸が発した中で最も強かった。

 それは当然、先頭にいる正一位の神々にも届き、よって素戔嗚すさのおは踵を返す。


「そうだったのか!? クー子、今すぐ稲荷大社いなりのおおやしろに送る! 宇迦うか、やってくれ!」


 神々は子煩悩である。だが、位が高ければ高いほど、育てたのは過去のこと。子育ての仕組みも今とは違うし、何より古すぎて引っ張り出すのに時間のかかる記憶だ。


「わかった、父様! クー子行くよ!」


 そこからはもう迅速を極めた。トントン拍子で話が進み、クー子は高天ヶ原稲荷大社たかまがはらいなりのおおやしろに送られたのである。

稲荷駆兎狐毘売いなりかけうさのきつねひめ宇迦之御魂うかのみたまみことのりを申し付ける。高天ヶ原稲荷大社たかまがはらいなりのおおやしろで待つ汝が狛を助け給え!」


 正一位は緊急用にこのような術式を持っているのだ。ただし、後から大国主おおくにぬしに報告を上げなくてはいけないもの。そこは素戔嗚すさのおがいる。祖先の威光で黙らせることも可能。そもそも、罪に問うわけもない。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「クルム!!」


 高天ヶ原に帰ったクー子は早速叫びながら探し回る。


『私も!』


 蛍丸が言うので、クー子は答えた。


「お願い!」


 人化した蛍丸と二人、クー子は大急ぎで大社の中を駆け回った。

 見つけたとき、渡芽はみゃーこと美野里狐みのりこと三人で鞠遊びをしていた。


「クー子……」


 渡芽わためはクー子の声に振り向くと、なぜかとめどなく涙が溢れた。


「ごめんなさい、クルム! もう絶対こんなことしないから!」


 クー子はそう言って、駆け寄って抱きしめる。

 渡芽の心の中には何故が渦巻いていた。親に放って置かれたなんて、一度や二度じゃない。捨てられたことだってあった。

 なのに相手がクー子であると、なぜこうも寂しく思ってしまうのか。わからないまま、紛らわせるために遊んでいた。


「なんで……?」


 自らに問いかける、なぜ泣くのかと……。

 されど涙は止まらず、次々と大粒の雫となって地面に落ちた。


「ごめんなさい! 知らなかったの。私がいないとそんなに不安になるなんて……」


 謝罪とは、最も気高き者と、誇りを持たないもののみが行う行動である。

 気高い神であるクー子の本気の謝罪の本質。それは、約束だ。二度とこのようにはしないとの、彼女への誓いである。


「違う……」


 渡芽わための心は違うのだ。なぜ涙が出るのか、それがわからないのである。


「クルム、それは安心ですよ! この美野里狐みのりこも、再会の折には涙が流れるものです!」


 美野里狐みのりこ玉藻前たまものまえの元で成長をしていた。とはいえ、元から年輪を重ねた美野里狐みのりこ玉藻前たまものまえが起き抜けにいなくても大丈夫。そのうち必ず帰ってくる神と、思っている。


「心を許せば許すほど、離れるのは恐ろしいものですよね……」


 満野狐みやこは、そう言って朗らかに笑った。


「そっか……」


 あぁ、自分はこの神に心をあずけたのだ。渡芽わためはそう理解した。


「そうなの!?」


 そういうことであれば嬉しい気もする。だが、やはり申し訳ないのがクー子である。


「うん!」


 でも、渡芽わためはただそのぬくもりに幸福を感じるのみであった。

 どうせ、帰ってきてくれるのだと、心の底でふと理解した。なにせ、悲しませたのみでこんなにも謝ってくれる。誓ってくれるのだ、目が覚めたとき次は必ずそばにいると。


「遊ぼ……」


 だから、渡芽わためは微笑んだ。鞠を差し出して、柔らかに。

 ただ、その額に刻まれた小さな傷を見て、クー子は深く深く後悔をした。

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