第112話・豆腐

 雲にのって、辺境まで。

 雲海から地上までは自由落下。神々は、それを全く気にしない。なにせ、割といつものことである。


「し……死ぬかと思った……」

「安心しました……陽さんも……人間なんですね……」


 四つん這いで、冷や汗まみれの人間組。神々は人間のか弱さを舐めていると感じたのである。

 神は、高位であればあるほど、危険な相手と戦っている。か弱いと言われても、雲海から飛び降りた程度でどうにもならないだろうと思っているのだ。


「あ……二人共ごめんなさい! そうだよね、普通死んじゃうもんね! 次からはゆっくり下ろすから!」


 クー子は気づいた。よくよく考えれば、こんなこと、渡芽やみゃーこにやらせられないと。


「あ、そうか……人だった!」


 人間組はよくそれを忘れられてしまう。葛の葉くずのはもどこかでなんとなく前世の我が子を稲荷だと思い込んでしまっていたのだ。


「人だよ! バリバリ人だよ! しがない普通の陰陽師だよ!」


 だが、陽の前世は安倍晴明。しがないと自称するが、人類最強である。


「ごめんねー! 葵たんごめんねー! あの高さだと人間死んじゃうんだねー!」


 花は泣きながら、神凪を抱きしめて謝り倒した。怖い思いをさせてしまったのがしのびなかったのである。

 人間組の神通力はこれですっからかんだ。着地のために全て消費された。

 神々はというと、雀の涙程度が消費されたような具合である。


「僕たちが守れば良かった……」


 速玉男命はやたまのをのみことは、とても後悔していた。

 ついつい相手が人間だということを忘れてしまう神と、人間というものをよく分かっていない神ばかりの高天ヶ原である。なにせ、人間不在の世界だ。

 そこは、超ド田舎だった。むしろ、森の中である。

 胡散臭いカルトチックな団体が、普通に都会に拠点など構えられるわけもない。よって、超辺境に存在したその拠点は奇しくも神に都合が良かった。


「たま、妲己だっき! いるかい!?」


 宇迦之御魂うかのみたまは大声でふたりを呼ぶ。

 すると、すぐに姿を現したのである。


「あの大妖怪妲己が……」

「日本三大妖怪が……」


 人間組は、警戒した。陽は玉藻前たまものまえとは面識がある。だが、どうにも妲己だっきは稀代の大悪女であると思えて仕方が無かった。

 姿を現したふたりは……。


「はい、宇迦うか様! 偵察はすんでますよ!」


 温和な敬語系もふもふお姉さんの玉藻前たまものまえと……。


「オシゴトー」


 廃人寸前のヨレヨレブラック企業戦士な妲己だっきだったのである。


「よし、妲己だっき! 突っ込め!」


 素戔嗚すさのおは容赦なく妲己だっきに命令を下す。


「ワーイオシゴトラァ……」


 かつてのやんちゃの償いの部分もあり、忙殺していた昔。そして今は、仕事中毒と油揚げ中毒である。


「何? アレ……」


 ポカンと口を開ける、陽。


「思ってたのと全く……」


 伝え聞く話と印象が全然違って無理もなかった。神凪かんなぎだって、この反応である。


はる、休んでな。悪いことしちまったから……」


 葛の葉くずのはは申し訳なく思い、陽にそう言い渡した。

 前世だったら、千年少し前なら、葛の葉くずのはは陽が人間だと正しく認識できた。だが、今はすっかり人間に疎い神々の一柱である。


「そういうわけにもいかんでしょ! 人間のことだ!」


 と、陽は決意を固めて言った。そのためについてきた。もう神通力がなくても、どうにかはなる。人間程度の術なら、いくらでも対応できる。なぜなら彼女は、人類最強の陰陽師である。


「よし、じゃあ妲己だっきに続くぞ!」


 と、素戔嗚すさのおは勇ましく宣言して先頭を歩いた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 建物は、魔術結社らしさはあまりない。普通のオフィスビルらしい場所だ。


「ほうほう、こりゃなかなか! 高天ヶ原にもこんなのが立ってた時期あったねぇ……」


 宇迦之御魂うかのみたま、のんきなものである。

 敵陣中央の現在。先頭は、素戔嗚すさのお。そしてその後ろにぞろぞろと神々が……。


「懐かしいなぁ……」


 感慨にふけりすらする素戔嗚すさのい

 雲の上で陽が、人間は弱いのだと繰り返し主張した結果である。緊張するほどではないかも知れないと、神々は思い直した。


「そんな時期があったのですね?」


 と、地蔵すら気を抜いている。

 そしてようやく、本当の人間の魔術師と相対あいたいすることになった。


「誰だきさまら!」


 と、ひとりの男が緊張感のない一行を見つけて言い放った。


「オシゴトー! オシゴトー!」


 と、妲己はその男に飛びつこうとするも、それを宇迦之御魂うかのみたまが制した。


「そりゃ、死ぬ!」


 神々は雲の上で決定していたのだ。人を見たら、豆腐であると思うことを。


「フギャ!」


 首根っこを掴まれた、妲己だっきが変な声を出した。

 なにせ、全力で術を起動していたのだ。


「面妖な! 死んでもらうぞ! 我は、フラター・ヘルメイス! 神秘をその身に刻め!」


 と大仰に名乗るものだから、素戔嗚すさのおは前に出て構えを取った。


「お待ちください、そんなもので斬ったら死んでしまいます!」


 素戔嗚すさのおが取り出した剣もまた、一級神器である。だから、陽が止めた。


「僕が、様子を見ますよ」


 と言って、前に出たのが速玉男命はやたまのをのみことである。


「貴様、名乗りを許してやる! 気が長い我に感謝せよ!」


 魔術師は相手が何者か分かっていない。偉そうに見下しながら言った。


「これは、男命をのみことと申します。どうぞ、よろしく」


 と、男命をのみことは微笑んだのである。


「ふん、決闘としてやる。光栄に思え!」


 と、魔術師は宣言する。

 が、クー子の顔はチベットスナギツネだった。なにせ、素戔嗚すさのおが抜いた剣がやばいことすら分かっていない。


「よろしくお願いします。では、どうぞ……」


 こうして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 体に神通力をまとわせ、防御に徹して様子を見るつもりの男命をのみことの態度を、魔術師は侮辱と捉えたのである。

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