第104話・大昔噺

「そういえば、私のところにもイヤイヤ期が無いと訪ねて来る方いましたよ?」


 薬師如来やくしにょらいが言った。

 彼は医者であり、小児科的な診療ももちろん行っている。無味無臭だったり、美味しかったりな薬で、子供にも人気が高いのだ。


「そうなんですね! 間々あることなんですか?」


 クー子の疑問に対する答えは、母性ありあまり気味の女神だからであるというものだった。


「それがですね……。面白いことに、そのお子さんの多くがイヤイヤ期真っ只中なんです。可愛すぎてストレスを感じないせいで、スルーしてしまうのですね!」


 薬師如来やくしにょらいはそう言って朗々ろうろうと笑った。

 神々の間に生まれた新生児も、人間の子供と同じくイヤイヤ期が来るのである。


「ちなみに……どんな神族の方々が来るんですか?」


 純粋な疑問でクー子は首をかしげる。


「木ノこのはな神族の方々多いですよ。あ、大市おおいち様もいらっしゃいましたね!」


 宇迦之御魂神うかのみたまのかみ、イヤイヤ期をスルーされていたのである。


宇迦うか様のお母様が!!??」


 クー子は驚いた。素戔嗚すさのお神大市比売かむおおいちひめの間に生まれたのが宇迦之御魂うかのみたまのなのだ。

 それはもう、20億年以上前の話である。


「そのあと、私のご母堂も……」


 そして、そのあとの話である。薬師如来やくしにょらいの母が訪れたのは……。


「あの? それだと薬師やくし様がお聞きになることができないかと……」


 クー子はそう思った。なにせ、よくよく考えれば薬師如来やくしにょらい大国主おおくにぬしとほぼ同期。三歳差の年下である。

 神の世界で三歳差などどいうものは、無いに等しい。


「当時は、高御産巣日たかみむすび様が、お医者さんをなされてたらしいですよ? 別天ことあまつ高天ヶ原たかまがはらが繋がっていた、大昔ですね! 私、少し話を盛りました。楽しく聞いていただけるようにと……」


 そう言ってはにかんだ笑顔を浮かべる薬師如来やくしにょらい

 小児科も含めて長く続けているからだろうか、楽しく聞いてもらおうという心意気が強まっていた。

 そうでなくても丁寧で耳に心地良い仏の話し方である。子供に人気なのだろうとクー子は思った。


「一体どれほど昔の話なのでございますか?」


 黙って聞いていれば、どう考えてもものすごい大昔。蛍丸はそのスケールに追いつけない。


「確か、27億年ほどですね……」


 もはやざっくりとしか答えられないほど大昔の話であった。


「億!?」


 薬師如来やくしにょらいの答えに蛍丸は腰を抜かしそうになる。クー子の三千歳ですらすごいと思っていたのに、その十万倍近い年齢を告げられたのだ。


宇迦うか様から見たら、私たちなんておなかの中にいるみたいなものだよ!」


 だから、クー子の独り立ちが早すぎると宇迦之御魂うかのみたまは考えているのである。

 ともすれば、胎の中にしまっておこうと思えるほどだ。


「私って一体……」


 自分などヘタをしたら胎児ではないかとすら思えてしまう。蛍丸はそんな時代スケールにたまらなくなった。


「ふふふ……驚いてしまいますよね! 斯く言う私も、どちらかというとそちら側なのですが。それでも別天の方々から見れば、幼子です」


 薬師如来やくしにょらいも億歳超えである。人間の老爺なんて目じゃない、神々の中でもかなり高齢な方である。だが、別天ことあまつの神々については話が変わる。彼らは百億歳超えが普通だ。


「……」


 スケールが大きすぎて押し黙る蛍丸。


「もう、とんでもないよね! 別天ことあまつの神々!」


 蛍丸が押し黙るのも、クー子にはよくわかった。


「ええ、とんでもないのです! 笑ってしまいますね! この薬師も子供扱いなのですから」


 薬師如来やくしにょらいは笑う。愉快そうに……。


「あれ? でも、別天ことあまつの神々って古事記に……」

 蛍丸は持ち主が古事記を読んでいるところに立ち会ったことがあった。そこに、そんな大昔すぎる神々の話はしっかりと書かれていた。

 古事記の冒頭は、神々の名前がかなり羅列される。第一章だけで登場神仏じんぶつは十八柱だ。


「ほら、すめら神族が中津国と高天ヶ原を行き来してたじゃん?」


 と、クー子は説明を始めた。


「はい、確かに。皇尊すめらみことは現人神であると、聞き及んでいます」


 蛍丸は神々だった頃の天皇の時代に生まれた。


「ポロリしちゃったの! 最初の方のすめらさんたち! そのまま、万世一系が続いてるから、残っちゃったの!」


 人間に関係ないことまでポロリと口をついて出て、それが現代まで残っている。それは、王朝が変わっていないから。宗教関連の焚書が行われていないから。異教でも、仲良くしてしまう日本人だからである。

 クー子は少し気まずそうに、頬を掻いた。


「さ! 仕上げですよ! 蛍丸さん! 出汁に薬草を!」


 薬研で薬草……という名のスパイスを砕いている間には、濃厚な出汁がたっぷりのスープで具材を煮込んでいた。

 それはもう、とろみを帯びるほどで、いろいろなものが溶けている。


「はい! 薬師やくし師匠!」


 蛍丸は薬師如来やくしにょらいをふざけてそう呼んだ。


「よろしい! 薬膳の全てを叩き込んで差し上げます!」


 そんな風に薬師如来やくしにょらいがいうもので、蛍丸はさらに楽しくなった。


「大丈夫かなぁ?」


 ただ、クー子は心配する。薬師如来やくしにょらいの薬膳の全て。それはこの世のありとあらゆる植物を網羅する知識体系だ。

 毒草であれど、使いようによっては薬。それを地で行くようなものである。

 毒同士かけ合わせて、薬効と旨みに変化させる。薬師如来やくしにょらいはそんなことを平然とやってのけるのだ。なにせ、毒は旨味成分と化学式が似ていたりする。

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