第102話・道真先生

 はるが学校に向かったあとの話である。

 蛍丸の、次の料理の師匠。それにクー子が選んだのは、瑠璃薬師如来るりやくしにょらいであった。基本的にインドで人の前に姿を現す神だが、神の間であれば割とどこにでも現れる。そしてその日、薬師如来やくしにょらい菅原道真すがわらのみちざねを伴って現れたのであった。


「あれ? なんで、道真みちざね君まで……?」


 クー子は訊ねた。


「あ、いえクー子様。そろそろ、渡芽わためさんを来年度から学び舎にお招きしてはいかがかと思いまして……。転生後のイヤイヤ期も終わった頃でございましょう?」


 と、道真ぬつざね慇懃いんぎん※礼儀正しいことに答える。


 そこで、クー子はハッとした。そして、出迎えたのが自分一人であったのを幸いと、疑問を投げつける。


道真みちざね君、どうしよう……。クルム……渡芽わためちゃん全然イヤイヤしないの!」


 無ければ無いで都合がいいと忘れがち、だがクー子はそこで思い出したのだ。渡芽わためのイヤイヤ期が全然大変でないことを。


「クー子さん。私、蛍丸さんに料理を教えに行きます」


 何やら積もる話がありそうだと感じた薬師如来やくしにょらいは、時間を有効活用することを考えた。彼の料理は、薬膳である。これでもかと健康を突き詰めて、ついでに味もいい料理が多い。ただし、見た目を捨てている料理も多い。


「あ、ごめんなさい放ったらかしにして! どうぞ、よろしくお願いします!」


 そう言って、クー子は頭を下げたのであった。

 話は戻り、渡芽わための話へ道真みちざねは答えを返す。


「ふむ、話してみなければわからないのですけどね。多分、イヤイヤと言いたくなることが無いのではないでしょうか? クー子様、渡芽わためさんをよく見守ってらっしゃるでしょう?」

「えっと……自然と?」


 それを普通と思っているクー子もクー子で異常だ。手間はかかっているのに、全然苦に感じていない。可愛くて仕方がなくて、ついつい気付くと思考の中に渡芽わためやみゃーこがいる。


「まぁ、お話してみましょう!」


 道真みちざねが言うので、クー子は渡芽わための所へ案内した。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


渡芽わためさん、お久しぶりです。道真みちざねと言います。主に、学校の先生をやっています!」


 道真みちざねは誰に対しても礼儀正しい。ただ、蛭子ひるこを除いて。

 蛭子神族の神コマ関係は、漫才コンビのような側面を帯びるのである。


渡芽わため……です!」


 渡芽わためは手を挙げて返事を返す。そこには、文法が確かに存在したのである。

 幼児期における言語との接触の欠落。神へと転生したことで、それを既に補っていたのだ。


「おや、礼儀正しく明るい方ですね。ここでの生活はいかがですか?」


 道真みちざねは続けて訊ねる。とても柔らかな声で。


「幸せです! ……優しいお狐、いっぱいです!」


 たどたどしさはないとは言えない。だが、ここまでくればクー子も気づいた。渡芽わための言葉に文法があるのだ。


「クー子様……クルムが、立派に喋っております」

「うん、うん」


 渡芽わためのすぐうしろで、クー子はみゃーこと二人で、声を殺して感激していた。


「それは何より。では、少し変な話を……。星が何故輝くか、ご存知ですか?」


 ここからは、渡芽わためがどのように育てられているかを道真みちざねは探ろうとしている。手始めとして、知識欲を満たされているかを確認しているのだ。


「星……遠い遠い太陽です!」


 渡芽わためは首をかしげながらも答えた。知っているのではないかなと思ったのである。


「なんと賢い……。では、太陽は何故輝くのですか?」


 道真みちざねが並べているこれらの質問は、子供がする質問の典型である。


「鉄が燃えてる……燃えてます!」


 クー子は教えていた。だから、渡芽わためはすらすらと答える。


「鉄は燃えるんですか?」


 純粋に疑問に思ったような態度で道真みちざねはまた訊ねた。


「燃えます! ……見……ました!」


 クー子は渡芽わために、スチールウールに火を付ける実験を見せたのだ。本当は太陽のこととは違うが、また後々、しっかりと教えようとクー子は思っていた。


「なんと賢い! 渡芽わためさんは、とても博識はくしきですね!」


 道真みちざねは褒めたたえた。そして、理解した。ただ、心の有り様に従って育てられているのだと。その中でしっかりと道徳が育まれ、文句のつけようが無い心の形を持っているのだと。

 目上を敬う気持ちを、この歳で発揮している。知らないふりをした自分に、見下すこともなく教えてくれる。


「えへへ! クー子のおかげ……です!」


 と、渡芽わため道真みちざねの前でへりくだってさえ見せた。


「クー子様、圧巻です! この子は賢者になるでしょう……」


 道真みちざねは言いながらも見逃さなかった。クー子を褒めた時、渡芽が胸を張る姿を。

 呼び捨てていながらも、敬っている。なんと礼儀正しく愛らしいのかと、道真みちざねは感動すらした。


「良かった! でも、渡芽わためちゃんも頑張り屋さんだし、私だって宇迦うか様からの受け売りでやってるだけだよ!」


 クー子は照れくさそうに言った。

 道真みちざねは思ったのである。この神にして、このコマあり。そして、宇迦之御魂うかのみたまにして、この神ありと……。


「稲荷が尊い神として祀られる理由が分かりました。稲荷のかたを学び舎に迎えるのは初めてですが、どうぞお預けくださいませんか?」


 道真みちざねは頭を低くして、クー子に頼む。是非渡芽わために学んで欲しい、彼女には意欲があるのだと……。


「クルム、どうする? この神様がいろいろ教えてくれるよ!」


 菅原道真すがわらのみちざね、別名天神、学問の神である。その知識量は、半端ではない。だからクー子も、学校へ行くことには賛成だ。当然、寂しくはあるのだが。


「行く! クー子……一緒!」


 と、渡芽わためは言うも……。


「ごめんなさい、いつも一緒は無理なのです」


 道真みちざねは謝るしかなかった。


「どうして……ですか?」


 渡芽わためは聞き返す。


「それは、神には仕事があるからですよ」


 と、道真みちざねは緊張しながら答えた。これで、来ないと言われるのは寂しいと。


「仕方ない……一人で……行きます!」


 だが、渡芽わためはそれでも行くことにしたのである。理由があれば仕方がない。そう思うのは、クー子の教育の賜物であった。

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