第93話・ぬらりひょん

 クー子たちが幽世かくりよに帰ると、玉藻前たまものまえが蛍丸と、居間で茶をすすっていた。


「お帰りなさいクー子様!」

「おかえりなさいませ!」

「玉藻前様共々、お邪魔しております!」


 と、玉藻前たまものまえが言うものの、なんというか馴染んでいて、クー子は笑ってしまう。


「たまちゃんが、ぬらりひょんみたいになってる!!」


 ぬらりひょんは神族永遠の謎の一つである。妖怪のくせに、ちっとも怖くないのだ。被害と言えば、いつもお茶の一杯だけである。

 調和が行き過ぎた存在こそ、ぬらりひょん。神が定めるところの、善性の存在である。どこに行っても、そこに調和してしまう存在である。


「そんな、謎妖怪みたいに言わないでくださいよ! 仲良くなっただけです!」


 と、不満げな玉藻前たまものまえ。それもその筈、ぬらりひょんは神々の間でUMAのような扱いだ。


「本物に、失礼である……」

「たまちゃん、誰と仲良くなったの?」


 クー子は訊ねた。


「蛍丸さんですよ! クー子様がいなかったので、一緒にご飯作ってました!」


 その時である。渡芽わためだけが、クー子達には虚空に見える場所を指さした。


「誰?」


 クー子達は顔を見合わせた。そこに誰もいないと、すっかり思っていたのだ。


「ぬらりひょんだー! 捕まえるよー!!」


 UMAといえば捕獲である。クー子は、その場所に飛びかかる。

 だが、渡芽わための目にだけはっきり見えていた。ぬらりとそれを躱す、ぬらりひょんが。


「どどど、どういうことでございますか!?」


 混乱するみゃーこ。

 ぬらりひょんの記述は、大孁おおひるめ神族によってのみ書かれる。彼女たちしか、ぬらりひょんを認識できないのだ。


「うはは! 大孁おおひるめの道の子か!? めでたいめでたい!」


 ぬらりひょんは、自分を認識した渡芽わためをニヤニヤと眺めていた。

 それを、クー子達はなぜかスルーしてしまうのだ。聞こえているにも関わらず。


「どこですか!? ぬらりひょん!!」


 玉藻前たまものまえは探す、されども見つけることはできない。何度も、視線をそれに向けているのに。


大孁おおひるめの道の子よ。一つ助言だ。速玉はやたま事解ことさかの術を、もっと学びなさい。本当に困ったときには、天沼矛あめのぬぼこの所へ行きなさい」


 そう言うと、渡芽わためにははっきりと見えたのである。ぬらりひょんが掻き消える姿を。その姿は、翁の面をかぶった、頭が後方に長い男であった。


「消えた……」


 渡芽わためが呟くと、クー子は悔しそうに歯噛みした。


「うぅー! 助言聞きそびれたぁー!」


 ぬらりひょんは、見つけることができれば助言を与えてくれる。それは大孁おおひるめによる記述だ。それは、いつだって、大孁わために物事の解決を促していた。


「聞いた!」


 だが、渡芽わためはその助言を全て聞いている。渡芽わためにとって、とても不思議な事だったのだ。


「え!? あ、そっか! クルムは、見つけたんだもんね! じゃあ、いっか!」


 クー子はこれにて諦めがつく。助言がもらえたのであれば、殊更ことさらに捕まえる必要もないのである。


「クー子様! 吉兆ですよ! 高天ヶ原たかまがはらに行きましょう!」


 玉藻前たまものまえははしゃいだ。それだけ、神々の間で、ぬらりひょんの助言は尊ばれているのだ。


「あの……何か、件のお話のように聞こえるのですが?」


 蛍丸はそう思っている。なにせ、妖怪のことは様々伝え聞いていたのだ。


「ちょっと違うの。ぬらりひょんはね、解決策だけを助言するの。絶対、和魂にぎたまだと思うんだけどなぁ……」


 妖怪の区分はざっくりしている。高天ヶ原たかまがはら根の国ねのくに、どちらかを訪れず一般的な生物でもない。それは全て妖怪に分類されている。

 ぬらりひょんは、退治はしてはいけないとされている妖怪だ。そもそもできないのであるが……。


「ところで、どんな助言ですか!?」


 みゃーこが訊ねる。


速玉はやたま様、事解ことさか様……。術学べ。困ったら、天沼矛あめのぬぼこ!」


 と、渡芽わためが言うので、クー子はそれを急いで書き留めた。


天沼矛あめのぬぼこかぁ……。最強の神器なんだけどね、呪いが強いんだよねぇ……」


 クー子はいくらぬらりひょんの予言とは言え、渡芽わためがそれに触れるのは反対である。


「そんなものが何故呪われているのです?」


 美野里狐みのりこは、首をかしげる。神器が呪われること自体、本来ありえないのである。


伊邪那美いざなみ様が、愛しい我が子を殺された怨念が、天沼矛あめのぬぼこにこもっちゃったんだよ」


 と、玉藻前たまものまえ美野里狐みのりこに言って聞かせた。

 悪に属する全ての道はそこから始まった。そんな、尊かった神の怨念なら天沼矛あめのぬぼこを呪い得る。だから、美野里狐みのりこは納得したのである。


「時に、お食事としませんか? せっかく、玉藻前たまものまえ様と蛍丸様が作ってくださったのです! 満野狐みやこは、それが冷めるのが我慢なりません! 玉藻前たまものまえ様のご用事は、お食事がてらお伺い致しましょう!」


 と、しっかりしているみゃーこ。玉藻前たまものまえも何もなくクー子の幽世かくりよに来ることなどないのである。


「みゃーこ……どうしてそんなにしっかりした子になっちゃったの……?」


 と、クー子は残念がるも……。


「クー子様が、案外ポンコツだからでは?」


 と、玉藻前たまものまえにトドメを刺されてしまった。


「クー子様がポンコツ?」


 美野里狐みのりこは、疑問に思った。クー子を本当によく知る稲荷の神々、その間ではクー子のポンコツな側面も隠しきれずにいるのだ。

 人も神も魔も、両面持ちてそれとなる。しっかりとしている面もあれば、ダメな部分もある。しっかりしている面が強ければ強いほど、ポンコツも盛大なのだ。

 こうして、クー子達は昼食会を開始した。

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