第92話・事解

「じゃあ、私も神凪かんなぎちゃんの神通力調べさせてもらっていい?」


 基本的に神通力が開花したら、神は一も二もなくその神通力を調べる。どんな道を通って神になるのかを、知っておかねばならないのだ。

 調和を念頭に置く善の道か、それとも自己のみを探求する悪の道かである。もちろん、花毘売はなひめも既に彼女の道を把握していた。

 神の世界における善と悪、その間には些細な差しかない。調和のために歩み寄るかどうかである。たったそれだけの差が、本質を真逆にしてしまう。


「もちろんです! お願いします!」


 と、花毘売はなひめが言うので、クー子は手を差し出した。


「よ、よろしくお願いします!」


 神凪かんなぎはその手を握る。これが緊張することなのは当たり前だ。神に触れてしまっているのだ。


「うん! じゃ、行くよ! 稲荷の命賜りし、道先のすけぞ。何処通らん、その心。何処へ往かん、その道よ」


 道先のすけ、その者を育てている神を道先として、その手助けをする神であるという宣言だ。花毘売はなひめ神凪かんなぎを育てるのに、時折手を貸すぞという意味も含んでいる。

 神族のコマ育ては、相互扶助だ。だから、この宣言がなくても大抵は、困っているのを目撃した神が放置するはずもない。


「あ……」


 クー子の神通力が神凪かんなぎの体内に流れ込んでくる。それは、命の息吹であり、活力そのものだ。

 神凪かんなぎは、体内に元気が迸るのを感じた。別の道の神であるからこそ、尚更鮮明に。


「さすが速玉はやたみ神族だね! 守護かみもりの道だ……」


 大切な何かを守るためにその力を使う、そんな道である。その神通力は、そもそもが悪意を遠ざける力に特化している。大祓おおはらえかめの中に入っている神通力と同質だ。

 ただし、かめの中のそれは、さらに祓魔ふつまの術を重ね掛けされている。


「そうなのですか!? なんだか、嬉しいです!」


 尊敬する神と同質だったのだ。それを喜ばない者がどこに居ようか。


「きっと立派な速玉はやたま様になるね!」


 そんな話をしているときである。クー子は思い立った。

 渡芽わためは全なる道。なら、速玉神族のその神通力にも、自らの力を変化させることができる。


「ねえ、花ちゃん。クルムに、速玉はやたま様の術教えてあげてくれない?」


 それは絶対に、渡芽わための役に立つのである。呪いや邪気を払うことにとことん特化した術式。もちろん、妖怪に対しても非常に効果的である。


「あ、全なる道ですもんね!? 是非、教えさせてください!」


 その道を歩く神族は、全ての神の宝である。天照大神あまてらすおおみかみの再来を思わせるのであるから。


「よろしく!」


 と、渡芽わためは手を挙げた。


「クー子様、満野狐みやこもあちらで術を学んでもよろしいですか?」


 みゃーこは、速玉はやたまの術に興味があった。そう遠くない未来、あるいはくつわを並べて戦場に立つこともあるかも知れないと思ったのである。


「あ、そうだね! みゃーこも行っておいで! 速玉はやたま様の術は、たけりの術。きっと、知っておけば糧になるから!」


 速玉はやたまの術の真骨頂は、悪意と距離を開けること。それは、傷つけるために振るわれた力とも、距離を取れる術だ。言ってしまえば、護身術なのである。


「はい!」


 こうして、二人は花毘売はなひめに術を習うことになった。

 そして、クー子は神凪かんなぎに向き直る。


「さて、神凪かんなぎちゃん。あなたの道は、ほんの少しだけ数多寄り。なんというか、解きほぐす……みたいな感触があったの」


 クー子の感じた神凪かんなぎの神通力。それは、ただただ遠ざけるだけではなかった。ほんの少しだけ変わっていて、少しだけ優しさを孕んだような力だったのである。


「解きほぐす?」


 神凪かんなぎは暴力を否定したい人間だ。だが、それも止むなしと思っている部分があった。


「うん。きっと、神凪かんなぎちゃんは優しいんだね! だからね、少しだけ事解ことさか様の術を混ぜてみるのがいいかも……」


 術式を混ぜ合わせる事によって、全く別物を生み出してしまう。それがクー子のおかしなところ。そして、自身では持ち得ない神通力の形質変化は、妖力で無理やりだ。とは言っても、神通力の術に比べ妖力の術はかなり劣化する。さらに、難易度だって想像を絶するものだ。


事解ことさか様ですか?」


 それは、悪意と向き合うための術である。


「うーんとね。垢祓あかはらえは習った?」


 “これを麗白ましろと成し申す”の、あの術である。邪気を追い出す術であり、要するに掃除だ。


「はい! 神として宣言するのは慣れませんが……」


 その術を無手で行えるのが速玉はやたま神族。彼らには、大幣おおぬさすら必要ない。道を進めば、それだけで存在そのものが祓いの道具になるのだ。


「じゃあ、こうかな……。“速玉はやたま事解ことさかみこと賜りて、はなむける。語り給え、宵の果まで”」


 思いついたのは、とにかく時間のかかる術だった。じっくりと時間をかけて、悪意を持つ理由を紐解くのである。


「えっと……。速玉の事解の命賜りて、はなむける。語り給え、宵の果まで……」


 ただの言葉も、適した神が放てば術である。神通力が動き、風が吹き抜けた。


「うん! でもね、これはすごく時間がかかる。だけど、少しだけ対処が難しいなって相手にも通用するはずだよ」


 そこだけが、今のところ利点だ。

 そうして、昼まで、術をあーでもない、こーでもないと、こねくり回したのである。

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