第91話・葵のひめ

 たっぷりと神凪かんなぎの話を聞き、クー子は思った。

 神凪かんなぎは思考回路がかなり、神寄りなのだと。ただ、人間としての常識も理解していて、どちらの世界でも生きることができる。

 ただ、思考の摩擦が起きないのは、どちらかというと神の世界であるのだと。悪意というものを、最初から思考の外側に置いてしまえる和魂の世界。つまり、神と暮らしたほうがのびのびできそうなのである。

 言うなれば、彼女は落怨らくえんの巫女である。

 そんな時である、速玉花毘売はやたまのはなひめが言葉を発したのは……。


「あ、あおいたん、掃除終わったみたいです!」


 それは、巫女としての仕事であり。そして、もし巫女がいない社であれば、それはコマの仕事だ。

 速玉花毘売はやたまのはなひめに、ほぼコマとしての扱いを受けている神凪かんなぎにとっては、一挙両得である。


「うーん、神凪かんなぎちゃん、私にも会いたがるかなぁ?」


 ここまで話を聞いておいて、今更恐怖など微塵みじんもない。それは、渡芽わためも同じだった。

 道入みちしおというのは、基本的に神懸かみがかっていい人である。伊邪那岐いざなぎは別として……。


「会う!」


 渡芽わためはむしろ乗り気である。クー子などのこれまで触れ合った優しい神々と、同類なのだと理解したのだ。


「どうせなので、一つ術でもお授けになっては?」


 奇抜な術を多数編み出したクー子は、それなりの術師だ。特に、土壇場で術を組み上げながら戦えてしまうのはクー子のみ。それでも、既存の術全てを使うことができてしまう思兼おもいかねには、術師として歯が立たないのである。


「あ、それいいかも! 神凪かんなぎちゃんのために最適化した術なんかあったらいいかもね!」


 そんな思案は、もはや神凪かんなぎ幽世かくりよにて会うことを前向きに考えるようなことだ。だから、速玉花毘売はやたまのはなひめは一言断って、神凪かんなぎ幽世かくりよに招いた。


「じゃあ、葵たん呼びますね!」


 と……。

 次の瞬間には、神凪かんなぎ幽世かくりよの中に入ってきた。それを、クー子たちは出迎えに行ったのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あわ、あわわ! あの……花毘売様……。かのお方も、名のある神様でございましょうか!?」


 神通力を開花させた神凪にはわかった。目の前にいるのは、別格の神であると。花毘売はなひめもそれは、神凪にとっては存在のステージが一つ違うような存在。だが、クー子を見て、それ以上だと思ったのである。


「葵たん、この人がクー姉さまだよ! 私の先輩だよ!」


 花毘売はなひめにとってクー子は、一世代上の先輩である。強く、憧れの先輩。新しい術すら生み出してしまう、びっくり箱のような神である。

 引きこもりは玉にきずだった、それでも生み出した術は神々の利便性をものすごく上げた。それどころか、今やそのきずすらなくなってしまっている。

 もはや、本当に憧れだ。


「直接会うのは初めてだよね! 私が、クー子。稲荷駆兎狐毘売いなりかけうさのきつねひめだよ!」


 クー子は人に対してだから、正式に名乗りを上げた。

 クー子の名の音が“くうこ”になっているのには、宇迦之御魂の願いがこもっていた。“空狐に至るまで健やかでありますように”と、“野を駆ける兎のように自由であれ”である。脱兎の如く宇迦之御魂から逃げた、というのはついで。照れた宇迦之御魂うかのみたまが、命名事由めいめいじゆうを隠すためのカバーストーリーである。


「ひええ!? こんな、高位の神様だったのですか!? 私は一体、なんてことを……」


 と、神凪かんなぎは恐縮してしまう。本当に、膨大な存在を感じるのだ。それこそ、生命の営みがそこに凝縮されているかのような。

 だが、同時にその力の波動は優しかった。そばにいるだけで、どこか心地よくなってしまうかのようであった。


「高位って、正三位だよ? 花ちゃんと一緒! あ、それと、この二人が私の狛狐! 満野狐みやこ渡芽わためだよ! 共々よろしくね!」


 クー子が言うと、二人はそれぞれ自己紹介をする。


満野狐みやこでございます!」

渡芽わため!」


 渡芽わためは、順を満野狐みやこに譲る癖がつきつつあった。目上を敬う気持ちの表れである。


「狛狐様ですか!? もしや、クー子様は宇迦之御魂神うかのみたまのかみ様!?」


 神凪はそうなのだと思った。神はたくさんの異名を持つことがあり、クー子が宇迦之御魂うかのみたまの別名。それは、筋が通ってしまう。


「ごめんねぇ、それは私たちの主神様なの……。元々は、宇迦うか様の狛狐が私で。私が狛狐をかなり昔に卒業して、自分自身が狛狐を持つようになってから、この二人を育ててるの!」


 もはやクー子は狛狐ではない。神社を任される立派な神である。

 だが、神凪は少しホッとした。流石に宇迦之御魂うかのみたまとの邂逅は、心臓を潰しかねなかったのだ。


「いえいえ、そんな……。私にとっては、本当に心からありがたいことです。神々と、お会いできるなど、望外の幸福です!」


 と、そこで、クー子は確認をとっているかが心配になった。


「あ、花ちゃん。現人神あらひとがみになりそうなこと言った?」


 ハッとして、花毘売はなひめは口を開く。


「聞くの忘れてたよ、ごめんね! 葵たん、あなたこのままだと現人神あらひとがみになって、そのうち速玉はやたま神族になることになるんだ。それでもいい?」


 神凪はこのままでは、高天ヶ原行たかまがはらきの特急券を手に入れることになる。普通に人間として死ぬことは、できなくなるのだ。


「そ、そんな!!?? 私が、神様に!? も、もちろん光栄でございます! これからも、鋭意えいい勉強させていただきます!」


 成れるという実感は沸かない。だけど、それは恐れ多くも光栄だと思った。要するに所属だ。尊敬する相手と同じ組織に属す権利を手に入れたのだ。そのスケールはさておいて……。

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