第90話・お比売様ごっこ

 大孁おおひるめの神たちが帰ったあとの話である。クー子にLinneのメッセージが届いた。


豊葦原とよあしはら中津国なかつくに神坐かむずまります、稲荷駆兎狐様いなりくうこさま神凪葵かんなぎあおいでございます。速玉花毘売はやたまのはなひめ様には、日頃良くしていただいておりまして、様々な物のことわりをお教えいただいております。本日ご連絡致しましたのは、新たな力……神通力の開眼に至ったご報告です。ご紹介いただきました、速玉花毘売はやたまのはなひめ様より、是非ご報告をとみこと賜りまして、ご報告差し上げた次第でございます。最後に、弥栄いやさかなれ駆兎狐様くうこさまと畏み申し上げ、文を締めさせていただきたく思います』


 巫女からのLinneメッセージ、所々祝詞のりとである。弥栄いやさかという言葉であるが、要するにこれからも一層お元気でという意味である。神もたまに使う、“弥栄いやさかなれあなた様”といった具合で。

 クー子はそのメッセージに、安心した。速玉花毘売はやたまのはなひめは、神凪の面倒をしっかりと見ているようだと……。

 ここで、一度クー子は速玉花毘売はやたまのはなひめの元を訪れることにしたのである。どんな気持ちで育てているのか、それを確認するためだ。


「クルム、みゃーこ、蛍丸ちゃん! ちょっと、他の神様の所に遊びに行かない?」


 と、二人のコマたちに話かけた。


「行く!」


 渡芽わためは乗り気であった。神様ならば、人外である。そんなことはもう身にしみてわかっている。優しく、子煩悩な女神の場所。ならば、ゆけば楽しいと思ったのだ。


「もちろん参ります! どちらの神様ですか?」


 乗り気はみゃーこも同じ。みゃーこはクー子を心から信頼しているから、当然である。


「花ちゃん」


 クー子は少し苦笑しながら答える。少々めんどくさい気持ちがあるのである。


「いいですね!」


 だが、みゃーこは露知らず。クー子を尊敬する人が好きなのである。

 と、二人に関しては乗り気だったのだが、蛍丸はそうではなかった。


「今は非常時でございます。社の護りに私をおいていかれてはいかがでしょう?」


 それが本心ではないことが、目を見ればわかった。


「何がしたいのかな?」


 見透かしたクー子は近づいて、言う。


「えっとその……食材の使用をご許可いただければ……」


 蛍丸は、すっかり味覚の探求者だったのである。ついでに言えば、食べることは悪いことではない。捧げられた食べ物を食べるのは、糧である。


「うん! いいよ! せっかく人化してられるんだから、味覚を楽しんでね!」


 クー子は蛍丸を尊重した。今は味覚が彼女の優先事項だ。彼女も千歳間近、そうそう問題も起こさないだろう。

 だから、クー子は安心して社を任せた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 みゃーこは渡芽わためへ、速玉花毘売はやたまのはなひめのことをポツポツと話しながら準備をした。人化をしたり、転移のための鳥居を作る枝を集めたりだ。

 そして、転移が終わる。神社間限定であるから、万能なわけではない。

 転移すると、速玉花毘売はやたまのはなひめは転移の出口の前で待っていた。出待ちである……。


「クー姉さま! よくぞお越しくださいました!」


 そこにいたのは、速玉花毘売はやたまのはなひめだけである。

 クー子は、神凪かんなぎがいることを覚悟していたのだ。人間ではある、だがはる祓魔師ふつましのおかげで対人恐怖は少し克服されつつあるのだ。

 一歩踏み出すつもりも、当然あった。


「花ちゃんやっほー! 神凪かんなぎちゃんは?」


 クー子は訊ねた。


あおいたんは、今境内掃除してくれてます!」


 その答えには、可愛がりっぷりがにじみ出ていたのである。


「あ、あおいたん!?」


 女神は基本的に、子煩悩なのだ。なぜなら、自身が子煩悩な神に育てられている場合が多いからだ。子煩悩は遺伝する。


「はい! あおいたん可愛いんですよ! 私の言うことを、一生懸命聞いてくれるし、すごく頑張り屋さんで。あ、でもでも、頑張りすぎて疲れちゃわないか心配です……」

「わかるー! でもそれ、コマに対する感情じゃ?」


 クー子は共感した。だが、短期間で花はすっかりほだされている。まるで、自分のコマを育てるかのように手塩にかけているのだ。


「だって……可愛いんですもん! あの子は絶対現人神あらひとがみになります! 将来的には、速玉はやたま神族になるのです! 私のコマも同然です!」


 親バカである。どこまでも親バカだ。

 速玉花毘売はやたまのはなひめは、コマを持ったことがない。無自覚に母性が有り余っていたのだ。それを神凪かんなぎに対して不法投棄しているかのようである。


「あはは……でも、気持ちわかるなぁ……。私もコマが可愛くて仕方ないからね!」


 クー子もクー子で、二人のコマが可愛くて仕方がない。無自覚にママなのだ。

 それに、これで少しはクー子の追っかけな属性がなりを潜める気がしたのである。


「そういえば、そちらの子。クー姉さまの新しいコマですか?」


 速玉花毘売はやたまのはなひめは、渡芽わためを見て言う。こうなっては、コマ持ち女神恒例のコマ自慢大会である。


「うん! 自己紹介、してくれる?」


 クー子は渡芽わために言う。すると、渡芽わためは手を上げて自己紹介をした。


「渡芽! クルム!」


 彼女は自分どちらの名前に誇りがある。だからこそ、フンスと息を吐いて宣言したのである。


「えっと……?」


 だが、速玉花毘売はやたまのはなひめは二人分の名前を告げられて困惑する。


「あ、クルムはあだ名だよ。くるむにかんなぎと書いて、くるむって名前を渡芽わためちゃんのためだけに用意したんだ。だけど、その前にこの子渡芽わためを真名にしちゃって……」


 神の間では、真名を名乗り合う。神格としての名は、真名によって決まるのだ。


「なるほど。じゃあ、稲荷渡芽包巫毘売いなりわためくるめみこのひめなんて呼ばれるかもしれませんね!」


 正式に呼ばれる敬称を含む名が、神には存在する。速玉花毘売はやたまのはなひめもそうである。彼女の真名の部分は花である。速玉神族の花という名前の、優しいお姫様。そんな意味の名前である。


「おぉー!」


 感嘆する渡芽わため


満野狐みやこはどうなるでしょうか!!??」


 みゃーこもそんな風に呼んで欲しくなったのである。


「そうですね、みゃーこちゃんは……。稲荷満野いなりみちつけ……うーんクー姉さま。どっちの“ひめ”だと思います?」


 神につけられる“ひめ”の字は二種類ある。毘売と比売だ。後者は、戦姫や賢姫といった、優れたる才媛を意味する。どちらがその神の本質を表す方で決めるのである。


「うーん。みゃーこはくらべの方がいいんじゃないかな? 優しい子だけど、みゃーこはすごく聡明だから!」


 クー子はみゃーこの場合、そっちを強調したい。渡芽わためがどちらの“ひめ”になるかは、まだ確定ではないと思った。


「では、稲荷満野狐比売いなりみちつけのきつねひめ様で!」


 ごっこ遊びである。神になったときに正式になんと呼ばれるだろうか、そんな妄想を楽しんでいるのだ。

 尚、クー子は正式には。稲荷駆兎狐毘売いなりかけうさのきつねひめと呼ばれることもあるのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る