第89話・大孁

 早晩、葛の葉くずのはは陽を彼女の家に送り、そしてクー子の社から転送で自分の神社に帰った。

 葛の葉くずのはは、はるに言い含めた。次に自分の社へ来るときは、クー子の社へ行くようにと。そうすれば、クー子が術で転送できるのである。

 はる祓魔師ふつましの男に関しては、クー子はもはや怖いなどと思わない。人間も様々で、その二人は、考え方が神々に近いのである。


 その次の日のことであった、クー子の社は千客万来。毎日毎日、様々な神が訪れていた。

 それは、ふとクー子がコマたちから一瞬離れた瞬間の来客だった。

 その日の客は、少女を乗せた余りにも巨大な隼だった。隼は、クー子の前に降りると、すぐに人の姿へと変わる。


「こんにちは、初めて……よね?」


 その人は、見目麗しい、陽光のような女性だったのだ。ただ……、長い前髪で左目を隠していることを除いて。


「えっと……はい……」


 神であることは、一目瞭然。だが、クー子は気付かなかったのである。


「私は二代によ日司ひのつかさ大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみこと。聞いたこと、ある?」


 目の前の女性の、膨大すぎる神通力に。

 それは、あまりに優しく、暖かかったのだ。まるで、その場を春にしてしまうかのように。

 日司ひのつかさ、それは天照大神あまてらすおおみかみの権能を引き継いだ存在である。彼女が、太陽を動かしているのだ。


「か、掛けまくも畏き……大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみこと……」


 それはもはや、自然の摂理を運営する神である。クー子の位を遥か超えた先の神、神の世のさらに超越した存在である。


「そんなにかしこまらないで欲しいわ……。仲良くしましょ! あ、それと、こっちはあけび。私のコマ」


 コマと言われて、少し見てみれば、それでも神通力が主神級だった。


「朱です! 駆兎狐くうこさん、よろしくね!」


 コマであって、その神通力。大孁おおひるめ神族は、あまりに規格外だった……。


「よ、よろしくお願いします!」


 クー子は実感した。大孁おおひるめ神族に、面と向かって会ったのは初めてだったのだ。

 因果応報は、道でありことわりである。神凪かんなぎを恐縮させたより戻しを、クー子はここで受けていた。


「それでね、あけびのコマに渡芽わためちゃんをくれない?」


 大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみことは、少しだけ申し訳なさそうな顔でいった。それはダメ元だったのである。大方ダメなのであろうと、彼女はそう思っていた。

 それでも、どうしても欲しがるのは、朱の次の日司ひのつかさがいないのである。

 大孁神族の主神は日司ひのつかさだ。それ以外は全てコマである。


「申し訳ございません、いくら大孁おおひるめ様とおっしゃれど、それだけは平にご容赦を」


 クー子の答えは、大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみことの想像通りだった。


「私からもお願いします。絶対に不自由は、させないと約束するから……」


 あけびも、申し訳なさそうな顔をしていた。どうあがいても、答えが変わらないことはわかっていた。


「それでも、平に……」


 クー子は地に手をついて、頼み込む。


「ごめんね、最後にもう一度だけ頼ませて。警告も兼ねて……」


 大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみことは、そう言うと、目を覆い隠す髪を上げた。


「これは、善と悪、両道ふたつみち通る神の特徴。呪いにすら見えるでしょ? 悪の道を通った瞬間、体のどこかが壊れるの……」


 彼女の左目には瞼すらなかったのだ。その周囲も焼けただれていたのだ。

 荒御魂あらみたまの外見は、醜い。それは、彼らに発現する神通力が荒々しいものだからである。

 内なるそれは、彼らを傷つける。大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみことは、クー子に脅すように問いかけた。


渡芽わためちゃんが、こうなっても愛せる?」


 自然の全ては太陽に依存する。破壊も必要であり、再生も必要だ。だからこそ、恐ろしい悪の道が必要なのだ。


「関係ありません! あの子は私のコマなのです。どうして愛さずにいられましょうか?」


 それは、母から子への愛と本質は変わらない。愛情に理由を求めない、無償の愛であった。


「うん、じゃあ任せることにする」


 大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみことは、そう言って微笑んだ。

 そして、呼びかけるように少し大きな声を出した。


渡芽わためちゃん! もう、うちの子にしようなんて考えないから出てきてくれない!?」


 大孁邏玉比売尊おおひるめめぐりたまひめのみことはわかっていた。渡芽わためはそのほとんどを見ていることに。

 バツの悪そうな顔をした渡芽わためは、トテトテと歩いてきた。


「クー子……」


 そして、クー子の裾を掴んだ。


「絶対に誰にも渡さないから……」


 クー子は渡芽わためを抱きしめた。不安だったのである。ともすれば、奪われてしまうのだと、本気で思った。

 なにせ相手は、逆らえようはずもない、圧倒的な力を持った神である。それこそ、クー子から見れば全知全能に見えてしまうような……。


「脅してごめんね。最初からダメって思ってたの。でも、立場的には求めないといけないから……」


 大孁おおひるめの苦悩だった。日司ひのつかさは決して絶やしてはいけない。万が一絶やせば、また氷河期と大量絶滅が地球を襲う。


渡芽わためちゃん、ごめんね……」


 あけびもまた、申し訳なさでいっぱいである。とはいえ、どうしても変えられないことだけはある。


「さて、稲荷渡芽いなりわため。あなたを、四代よつよ日司ひのつかさに任命します。どうか、時が来る日まで健やかに……」


 死なずと思われた、天照大神あまてらすおおみかみは死んだ。それよりも劣る、今の日司ひのつかさはもっと不安なのだ。いつ、それを絶やしてしまうともわからない。だからこそ、次の次の、ずっとその先の次までも確保したいのが本音だ。

 言葉を残して、二人の大孁おおひるめは帰り去った。

 あたりは、元の気温にすっかり戻った。もうすぐ、雪も降ろうかという寒さに……。

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