第85話・追っかけ

豊葦原とよあしはら中津国なかつくに神留坐かむずまります。速玉のみこと賜りし速玉花毘売はやたまのはなひめ様へ、畏み畏み申す」


 通話終了後、クー子は件の速玉花毘売はやたまのはなひめに連絡をした。

 彼女は……。


『く、クー姉さま!!??』


 クー子の追っかけ的な側面を持つ……。

 同世代の神の中で、頭一つ飛び抜けて強いクー子。すぐ下の世代の神からしたら、憧れもいいところだ。特にクー子は、人間が関わっていなければ、中津国最強。この、速玉花毘売はやたまのはなひめが所属する速玉神族は、破邪の神族。つまるところ、妖怪退治や呪い祓いが主なご利益である。それだけに、少し戦士らしい文化も持ち合わせていた。


「やっほー!」


 気の抜けた声で挨拶するクー子。今は、同じ正三位、だが本質にはかなりの差がある。


『ご連絡、ありがとうございます! じじじ、実は、こっちから連絡したくて! その……、あの……』


 こちらもこちらで、大層な恐縮ぶりである。追いつけないような相手から、レスポンスをもらったのだ。当然である。


「はいはい……落ち着いてねー! 深呼吸してから、ゆっくり喋って!」


 クー子は、花に関しては慣れているのだ。高天ヶ原たかまがはらで、三年に一度は会うが、いつもこんな感じである。


『はい、落ち着きました! それで……、降格の話を聞いたのですが……。クー姉さまは大丈夫ですか?』


 中には居るのだ、よく知らないながらも追っかけている神が……。


「あ、うん。まったくもって大丈……」


 そこまで言うと、興奮した速玉花はやたまのはなは、さらに言葉を続けた。


『本当に良かったです! でも、お揃いですね!』


 花にとっては、それが不謹慎ながら嬉しかった。


「あ、それで本だ……」


 終わったと思ってクー子が話すと、花の話しはまだ途中であった。


『ずっと連絡したくで、でも恐れ多く……。ごめんなさい、聞きます!』


 正三位に落ちてしまったから心配で、それでも通話をこちらからするというのはためらわれた。憧れの相手だったのである。

 花は正座した。伝わりもしないのに、姿勢まで含めて全力で聞く姿勢を整える。


「あ、うん、ありがとう。あのね、そこの神社に巫女さんいるでしょ? 神凪かんなぎさんって人!」


 若干気まずくもあったが、クー子はそれを押し殺して話を進める。


『はい! 主神様に善く仕えてくれています!』


 となれば、間違いなく善に属する道なのだろう。だから、クー子は安心した。


「その子を、一回幽世かくりよに招いてあげて……」


 花の動きは早かった。クー子の言葉に一も二もなく従った。


『はい、招きました!』


 巫女であることが災いしたのである。いつも境内にいるだけに、神がその気になればいつでも幽世かくりよに引きずり込まれる。


『あ!? え!?』


 当然、神凪かんなぎは慌てた。周囲の景色は、大きくは変わらないものの、人が一斉に消えたのだ。

 その消える瞬間を見てしまった人間はというと、それを忘れてしまう。これは、略式の神隠しである。


「合図とかしてあげてよ! いきなり過ぎて、神凪かんなぎちゃん大混乱だよ! それに、詳細を聞いてからちゃんと自分で考えて!」


 クー子は花を少し叱った。おそらく、速玉男命はやたまのをみことでも同じように叱っただろう……。


『ごめんなさい……』


 花は少し冷静になって、流石に神凪かんなぎが可哀想だったと思った。


「謝る相手が違うよ!」


 クー子はさらに叱る。


『あ……』


 それから、花は改めて神凪かんなぎに向き直って言った。


神凪かんなぎちゃん、ごめんなさい! えっと、クー姉さまから、なんだか困り事って聞いてて……』


 神凪かんなぎの思考がまとまり始めていたのが、災難である。目の前に神が居ると、理解してしまったのだ。

『いえいえいえいえいえ!!! そそそそそ、そんな、めめめめ、滅相もございませんん!!! 常日頃から、速玉男命はやたまのをみこと様には、見守っていただき……』


 キャパシティオーバー、再来である。言葉すらまともに紡ぐことができなかった。


『あ、それ私!』


 そう、花である。速玉男命はやたまのをみこと本人は、人類のために大雑把に災厄を退ける。正一位の神は、会議とそれが仕事だ。


『そそそそ、そうだったのですか!!?? も、申し訳ありません!! 私としたことが……。掛けまくも畏き……』


 途中で、相手が神だから、祝詞構文を用いないといけないと思った神凪かんなぎ


『あ、普通でいいよ! 大和民族と、神々の仲じゃん!』


 これは、神の常套句である。最も利用頻度が高かったのは、平安時代だ。


『そ、そうなのですか!? 大和民族と、神様方は仲がいいのですか!?』


 実際に、最も長く神族の王朝を維持したのが大和民族であり、日本だ。

 その文明の最初の王は、どこも皆等しく神族である。メソポタミアのギルガメッシュ然り、ユダヤのダビデ然りだ。


『うん! 天皇様達いるじゃん? あれ、元々は神族。ただちょっと、今は黄泉に魂が落ちちゃうようになってるけどね……』


 それを、引き戻したいのが神族である。崇徳すとくを皇神族が乗り越えれば、あるいは……。神々はそう考えている。

 中でも、木花之佐久夜毘売このはなさくやひめは最も熱心である。


『本当に、我々の陛下が現人神あらひとがみであらせられた!?』


 神道に携わるほど、熱心な大和民族である。ならば、天皇が神であったとお墨付きをもらって、嬉しくないわけがないのだ。


「ねぇ、花ちゃん。あとは、お任せしていいのかな?」


 クー子は訊ねる。どうやら後は、二人で話せばいい、そんな風に思えたのだ。


『クー姉さま! また、ご連絡しても?』


 花は通話終了が少し残念である。だから、次の約束が欲しかった。


「暇なときなら、いいよ! もし何かあったら、石火いしびで」


 石火いしびを使うときの呼びかけは、神の名前と、“急ぎ申す”で完結である。だが、それでもLinneに比べれば遅い。


『はい!』


 その通信の終わり際、神凪かんなぎの声が滑り込んだ。


『お口利き、ありがとうございました!』


 クー子の声は、神凪かんなぎにも届いていたのである。

 神凪かんなぎの受難は続く……。

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