第84話・ゴットスケール

 少しして、神凪かんなぎという人物は実際に、術による通信をかけてきた。

豊葦原とよあしはら中津国なかつくに神留坐かむずまります。稲荷のみこと賜りし稲荷駆兎狐様へ、畏み畏み申す』

 かかってくるまでにほとんど時間がかからなかった。だから、この時点で神凪かんなぎの正体を察することはできた。

 声は、女性だったのである。


「ご連絡ありがとうございます。改めまして、正三位、稲荷駆兎狐です」


 クー子に偉ぶるつもりはなかった。だが、礼儀として、身分や名前は明かさなくてはならなかった。

 神凪かんなぎは一度驚いて、それから居住まいを正した。

『掛けまくも畏き、稲荷駆兎狐いなりくうこ様。ようせずは、きみも神様なりやもしかして、あなたも神様ですか?』


 今や、官位が残るのは、神々の間だけ。術式、正三位と名乗ったこと、それらは神凪かんなぎにクー子が神格を持っていることを伝えていた。


「祝詞構文使わなくてもいいよ! 稲荷と大和民族の仲じゃない!? でも、正三位って言われて、パッと気付くんだ?」


 いじめられて、幽世かくりよに引きこもったくせにである。都合のいい時だけ、仲がいいことにするクー子。いい加減気付くべきである。


『はっ、はい、これでも巫女の家系ですから……』


 そう言われて、神だと察せるのは、神職のみである。女性の神職といえば、基本的には巫女である。宮司も居るにはいるが、少数派だ。


「あ、巫女さんなんだ!? どこの神社?」


 神社には主祭神と、相殿神あいどのしんが居るが、実際に任されている神は無名の場合が多い。クー子の幽世かくりよの外、社も主祭神は宇迦之御魂うかのみたまとされており、相殿神あいどのしん布都御魂ふつのみたまとなっている。クー子の名前はどこにもないのだ。


『熊山神社です!』


 しかしとて、神凪かんなぎという巫女はすっかり緊張していた。

 神職に対して、神であることを証拠と共に開示する。これほど相手を緊張させられることはないのである。


「あー東京かぁ……。私、岩手だからずっと居て教えたりできないけど、速玉男命はやたまのをのみこと様に声掛けようか?」


 勿論、直接声をかけられるわけではない。宇迦之御魂うかのみたま大国主おおくにぬし蛭子ひるこ思兼おもいかねなども候補に挙げられるが、それらを通すのだ。

 宇迦之御魂うかのみたまには奏上そうじょうができないとされている。だが、名目上である。どうせ、玉藻前たまものまえはクー子の奏上そうじょうを素通しだ。だから、手続きが省かれても、神々はバレない限り気にしないのである。


『ひえ!?』


 神凪かんなぎは震え上がった。熊山神社では四柱の神を祭っている。速玉男命はやたまのをみことは、そのうちの一柱なのだ。


「あれ? 事解男命ことさかをのみこと様の方がいい?」


 そういう問題ではない。どちらにしろ、祀っている神だ。


『あ、あの……恐れ多いと言いますか……』


 むしろ、神凪かんなぎには畏れしかなかった。力のある人物だと思って声をかけたら、実際は神だったのだ。更には、自分の神社の神とも話ができるようだったのだ。

 神凪かんなぎの畏れのキャパシティは、とっくに限界突破だった。


「あ、じゃあ花ちゃんにしよっか! 私と同じ正三位だよ!」


 速玉花毘売はやたまのはなひめ、実際に熊山神社を任されている神である。

 クー子は神、声をかけた時点で、どうあがいても神しか出てこないのである。


『そ、それならば……』


 キャパシティを少しオーバーしたところで、なんとかである。神に声をかけてしまったのだと、神凪かんなぎはひどく後悔した。


「ところでさ、なんで霊能連の総長やってるの?」


 クー子は気になっていた。なにせそれは、名前からして胡散臭い。


『それは……私が、なまじ力を持ってしまったせいです。お祓いなどで、力を使っていたら、あれよあれよと……』


 神凪かんなぎは、不本意であった。正直、自分でも、名前が胡散臭いと思って仕方ない。


「あー、担ぎ上げられちゃったんだ?」


 クー子は思った、人の世はいつだって苦労まみれであると。


『はい……』


 神凪の声はすっかり意気消沈していた。


「あ、そうだ! Linne交換しようよ!」


 直接会うのは怖い。だが、インターネットを通してなら、肉体的ないじめなどできない。だから、クー子は怖くないのである。


『Linneやってるんですか!?』


 衝撃である。神がLinneをやっていると思う巫女など、いないだろう……。


「やってるよ! 宇迦うか様とかもやってるし、葛の葉くずのは様とかたまちゃん……玉藻前たまものまえちゃんもやってる!」


 クー子の言葉で神凪かんなぎは、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


宇迦之御魂神うかのみたまのかみ様が!!?? あの、玉藻前たまものまえまで!!??』


 そりゃそうである、お稲荷さんの代名詞に日本三大妖怪だ。


「うん! あ、そうだ! 宇迦うか様にもID共有しよっか!?」


 クー子は神凪を無自覚に追い詰めていく。


『それは、恐れ多すぎます!』


 もはや致死量の畏れである。宇迦之御魂うかのみたまなど、有名な神の最たるもの。どこにもかしこにも、神社が存在する。


「わかったー! じゃあ、とりあえず花ちゃんに話しておくね! 後で、LinneIDも送るよ!」


 自分の身分を低く見積もるのは、不利である。何でもかんでも、断ることができなくなってしまう。クー子相手なら、断ってしまえばいいのである。和魂ではあるから、案外ちゃんと固辞させてくれるのだ。


『わ、分かりました……』


 そんなことは露知らず、神凪かんなぎは恐れ多くも承ることになった。


「それじゃあねー!」


 この、術の通話、切るのは簡単だ。思えば良いだけである。


『ありがとうございました……』


 神凪かんなぎは、もはや何に感謝しているのかわからなかったのである……。

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