第69話・神坐開き

 ほとんどの神が返されて、クー子は残された。

 そこに、代わりと言わんばかりに蛭子ひるこ木花之佐久夜毘売このはなさくやひめ


 そして、宇迦之御魂うかのみたまとクー子のコマ達である。

 入ってくるのを見届けると、素戔嗚すさのおは自嘲気味に言った。


「謝ってばかりだ。荒ぶる神なのにな……」


 素戔嗚すさのおは最後まで楽しんで欲しかったのだ。幼い神にとっての一年はあまりに長い。だからこそ、この例大祭を……。

 だけど、そうも言ってられない。天照あまてらすの瞳はそれほどまでに、どうしても守らねばならないものである。

 だから、誰も、何も言えなかった。


満野狐みやこ渡芽わため。本当に申し訳ない。祭りを中止にしてしまった……。それで、渡芽わため。これからお前を、稲荷の神族として迎え入れる儀式を、彼らに行ってもらう。狐の本性を帯びて、本当に人ではなくなる。覚悟は出来てるか?」


 素戔嗚すさのおはしゃがんで、目線を合わせて言った。

 それは、愚問でしかなかったのだ。そもそも、渡芽わためが文法を獲得するには、神族の肉体を得るしかない。渡芽わためにとって、人間である肉体もコンプレックスでしかなかった。


「ん!」


 だから、渡芽わためは頷く。それは、覚悟ではなく希望だったのだ。


「そうか、だいぶ待たせちまったんだな。今から、始めよう」


 素戔嗚すさのおは、渡芽わための手を引く。

 大国主おおくにぬしが奥、蛭子ひるこが右、そして佐久夜さくやが左、手前に宇迦之御魂うかのみたまが移動した。渡芽わためは四方を主神たちに囲まれる。

 さすがに威圧感を感じて、渡芽わためはみゃーこに目線を送った。

 目線に気づいたみゃーこは、仕草で頑張れと伝える。ただ、この一瞬のために。


神坐かむずまびらきを行う! 迎える神よ、方の中へ」


 四角の囲いを方と呼ぶ。大国主おおくにぬしは、そこへクー子を招いた。


「クルム。吾狛あがこまだよ。うたは違うけど、同じように踊ればいいから」


 蛍丸は見届け人だ。素戔嗚すさのおと一緒に、方の外で見てもらっている。

 中に入ったクー子は、小さな声で渡芽わために言った。


「ん……」


 渡芽わためもわかっている。そのために何度も練習を重ねた。だからだ、心配しなくていいという旨に聞こえたのである。


吾狛あがこまぞや、共に在ると乞ふ、迎えて入れて、永久にいつくしまん……」


 クー子は迎える神。渡芽わためを稲荷に迎えると、最初に歌わなくてはならなかった。


あたらしりっぱな吾狛あがこま。きみが望まば受け入れむうけいれよう


 宇迦之御魂うかのみたまは歌う。クー子は立派な神であり、それを主神として保証し、その望みを受け入れることを。


ことはむ。新しき我らの子を……」


 佐久夜さくやが喜びの歌を続け……。


寿ことほがん。其狛そのこまや……」


 蛭子ひるこも同じように続けた。


召し上げむ召し上げようわらはどもが言ひたれば子供たちがいうのなら迎へむ迎えようその子が望まばその子がのぞむなら


 大国主おおくにぬしが歌うと、途端に渡芽わための体は光の粒になっていく。


憂へでしんぱいしないでわりなからねばだいじょうぶだから


 誰でも戸惑うだろう。肉体が一度完全になくなるのだ。だから、この歌が組み込まれている。迎える神が、そばにいることが決められている。


「抱きたまへ。きみの子なり」


 一度消えた肉体は、迎える神の腕の中で再構成されるようにその歌を歌う。


「これにきみが母ぞ」


 佐久夜さくやが立ち会うのは、第三席に座す権力がゆえではない。母としての側面を強く持つ神だからだ。

 転生までも含む神坐かむずまびらきには、神産みとしての側面があるのだ。だから、クー子は母である。


いつけ大切にしなさいやむごとなき幼子なり尊い幼子です


 神は、自らを幼子の下に置く。まっさらな子供は可能性の塊だ。だから、大切にしろと、わかっているとしても言い聞かせる。


「健やかにあれと、願ふのみ」


 その可能性を不意にしないことを祈る歌を、大国主おおくにぬしが最後に歌った。

 光が集まっていく。クー子の腕の中に。

 やがてそれは、小さな狐の姿になった。


「クルム、コンコン」


 人間としての力はその姿でもある程度残る。真似して発音することもできるのだ。


「コンコン……」


 渡芽わためは言った。それが人化の術であると、何故だかわかった。

 人間の姿になっていく流れを感じ、それを少しだけ押しとどめた。

 気づけば、耳と尾だけ狐となった渡芽わためがクー子に抱かれていた。


「あれ? 完全な人化出来ると思ったんだけど……」


 もともと人間だと、人化の術の原理的に完成度が上がるはずだった。


「人間……嫌!」


 渡芽わためは徹底して、人以外で居たいのだ。だから、耳と尾を残した。それが、稲荷神族らしいと思うから。


「待った! この子、どんだけ神通力持ってるんだい!?」


 奥から見る宇迦之御魂うかのみたまには、まずその尾が目に入る。神族になったばかりにしてはあまりに美しい一つ尾だった。

 尾の美しさは稲荷の神通力の証左である。宇迦之御魂うかのみたまも驚きのそれだった。


「えっと……。クルム、あれやるよ! 稲荷の命賜りし、道先ぞ。何処いずこ通らん、その心。何処いずこに在らん、その道よ」


 いつしかやった、妖力を確認する術式。そこに含まれる言葉を少し変えて、流し込むのを妖力ではなく神通力にすれば、相手の神通力を把握できる。


「ん!」


 渡芽わためは、まるで二つ返事をするが如くそれを受け入れた。


「うわ……すっごい……」


 渡芽わための中には、みゃーこに迫るほどの神通力が眠っていた。

 だが、まだだろう。みゃーこは知識がある。本当に並ぶことができるのは、もっと未来の話だ。


「せやろなぁ……感じるで!」


 蛭子は商人だ。相手の器を測るのは得意である。


「あー緊張した! 本当の神坐かむずまびらきなんてすっごい久しぶりー!」


 と崩れ落ちる、佐久夜さくや。百年以上もやらなかったことである。


「あはは、みんなありがとう! んで、渡芽わため! 幸せになろーね!」


 そして、またしても死んだ大国主おおくにぬしの威厳。

 これにて、本当の神隠しが完了した。渡芽わためはもう、人としては生きることはできない。でも、渡芽わためはそれを望んでいたのだ。これからは、稲荷の一員として惟神の道かんながらを歩むのである。

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