第61話・天沼矛

 神秤かむはかりの後、クー子が第一席を出ると、そこには宇迦之御魂とみゃーこと渡芽が居た。

 そして、クー子の後ろには、素戔嗚すさのおがいたのである。


「よ! 宇迦うか!」


 素戔嗚は宇迦之御魂と親しい間柄である。具体的には……。


「久しいね、父様ととさま。クー子はどうしちまったんだい?」


 父と娘である。アルティメット高齢父娘である。尚、介護の必要はない。


「いろいろあってな……クー子は従三位まで落とすことになった。だが、コイツが悪いんじゃないぞ! むしろ、コイツは清々しい奴だ!」


 素戔嗚すさのおが口にした処罰は、宇迦之御魂うかのみたまからしても罰せられていないのと同等。それは、クー子が少しおかしな神だからだ。


 功績を稼いで、神階が上がる。すると、行使できる権力が増える事になる。だが、クー子の場合は印税のようなルートで功績が常に稼がれ続けているのだ。


 従三位まで落ちてしまうと、さすがに奏上をする時に一手間が必要になる。正二位以上の神に一度提案をしなくてはいけない。だが、クー子には玉藻前たまものまえがいる。彼女はクー子の提案を宇迦之御魂うかのみたまに素通しだ。本当に、処罰されていないも同然なのだ。


「なるほど、秘め事かい?」


 正一位の神のほとんどはそれを知っていた。伊邪那岐いざなぎが弱くなっていく姿を見ていたのだ。


「まぁ、そんなところだ! で、このクー子も関わったからしっかり教えておこうと思う。そこの、ちびっこにも。で、宇迦うか。大丈夫だと思うか?」


 伊邪那岐いざなぎに対する尊敬の念が強い神ほど、それを教えるのは危険だ。


「あたしのコマ達は、血統が違う。揺らぎゃしないよ。みゃーこ、一番尊敬してる神を言ってごらん」


 宇迦之御魂うかのみたまは、クー子と答えると思っていた。


宇迦うか様です!」


 だが、みゃーこはそう答えたのだ。


「く、クー子じゃないのかい?」


 だから宇迦之御魂うかのみたまは驚いて聞き返す。少し、照れたのだ。


「クー子様は尊敬とは違います! 親愛の対象なのです!」


 産み落とされて、子として育てられる。そんな文化がないからこその表現。だけど、その実質は親子愛である。


「ま、こんな感じに大丈夫さ! この子にも教えてやってくれないかい?」


 これから神になることも考えると、それは知っておいていい話だった。

 クー子が今回のことを気になるのは当然として、問題は渡芽わためである。


「んじゃ、クー子とちびっこ。聞きに来るかい? 最奥で話す」


 聞かせるわけにいかない神も当然いた。


「クルム。さっきの怖いおじさんの話聞く?」


 巻き込まれたからといって、恐怖に支配されていたら聞きたいとは思えないだろう。


「聞く……」


 だが、渡芽わためはクー子が思うよりも強かった。

 意味不明の伊邪那岐いざなぎは怖い、だけどその全ての流れを把握したいと思っていたのだ。

 素戔嗚すさのおは、渡芽わためには聞く権利があると思っていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 最奥、天沼矛あめのぬぼこがある場所へとやってきた。

 そこには、素戔嗚すさのおが持つ神器がいくつか収められていて、天沼矛あめのぬぼこの封印に手を貸している。

 天沼矛あめのぬぼこの周囲には、目視できるほどの呪いが渦巻いている。黒く澱んだ渦の中心に在るようだ。


「例大祭中は、触らなければ問題ない。これは、迦具土かぐつちの死を見た伊邪那美いざなみの呪いだ……」


 素戔嗚すさのおが言う。悲痛な面持ちで。

 そして、話を続けた。

 伊邪那美いざなみが死んだ話を。死んでしまった兄、火之迦具土ひのかぐつちの話を。


 クー子には痛いほどよく分かる話だった。

 伊邪那美いざなみが、その胎から産んだ最後の神が迦具土かぐつちである。火の神であり、生まれながらその身は炎に包まれていた。そんなものを産めば、いくら神であってもひとたまりもない。そのせいで、伊邪那美いざなみは死んだのだ。


 伊邪那美いざなみは、その死の寸前に迦具土かぐつちを殺す伊邪那岐いざなぎを見た。その時に、迦具土かぐつち十拳剣とつかのつるぎの剣を呪い、伊邪那美が天沼矛あめのぬぼこを呪ったのだという。夫婦の縁を切るという宣言として、初めての共同作業の証に呪いをかけたのだ。


 だが、根の国まで伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみを追いかけた。そして、伊邪那美いざなみが最後に与えたチャンスすら蹴り飛ばした。迦具土かぐつちを蘇らせる儀式の途中、その姿をのぞき見て化物と言ったのだ。


「本当のことを言うと、俺はオヤジがまだ高天ヶ原たかまがはらにいることすら不思議なんだ。その上、今もそのことで腐ってやがる。そりゃ、姉貴……天照あまてらすも根に行っちまうさ」


 確かに素戔嗚すさのおは、とてもやんちゃな神だった。だが、姉を殺すほどではなかった。


「でも、それじゃあ、クルムは関係ないじゃないですか!?」


 クー子は解せない。話には、まだ続きがあったのだ。


「その、天照あまてらすの死も受け入れられてねーんだ。だから、天照あまてらすと同じ道を進む、その子が憎い。愛してやればいいものを、代替え品とでも思ってやったほうがまだ救われるものを……」


 素戔嗚すさのおの話は、それで全てだった。

 そして、渡芽わための前でしゃがんで目を合わせていう。


「ごめんな、渡芽わため。俺の親父が……」


 本当に、今の素戔嗚すさのおは、そのやんちゃさを悪い方向には決して向けない。猿田彦さるたひこ天細女あめのうずめのおかげだった。


「悪魔……悪い……違う」


 渡芽わためは言った。悪いのは、伊邪那岐いざなぎだと思ったのだ。


「ハハッ、悪魔か! 渡芽わため、お前も気に入った!」


 素戔嗚すさのおは思った。渡芽わための方が、伊邪那岐よりもずっと道を進んでいると。クー子はいい道先なのだと……。


神事記かむことのしるしを、読んでおくべきでした……」


 と、みゃーこは言うが、それは違う。


「それには、書かれてねーんだ。なにせ、こんな場所じゃなきゃ話せないことだからな……」


 本当に秘め事なのだ。神事記かむことのしるしには、出来事しか書かれていない。理由は、ところどころぼかされている。

 それなのになぜ、古事記こじきに正しいことが書けようか。神の中でも一部だけが知っている、本当の伊邪那岐いざなぎである。

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