第59話・伊邪那岐

 次の日のことである。クー子と渡芽わためだけが祭りに入ってすぐに、第一席に呼ばれた。


 そこには、神の中でも、その知恵を讃えられる者が集まっていた。

 大国主おおくにぬし思兼おもいかね蛭子ひるこ。この三柱がそうである。


 その他に、あと一柱。底津綿津見そこつわだつみが居た。


「お呼び立てして申し訳ない。八意思兼やごころおもいかねと申します。さて、今回呼んだのは、そちらの渡芽わためさんについてです。稲荷とするか、日孁おおひるめとするか。我々は悩んでおります。本人の意思は最も重く尊重されるべき、渡芽わためさんに二票をお持ちいただいて投票と致しましょう。まずは私、八意思兼は日孁おおひるめに入れさせていただきます」


 神は気づいたのだ、渡芽わためが歩いているのが全なる道であると。ならば、その体は日孁おおひるめのものの方が良いのだ。最高神再来の可能性が、低くないのだ。

 渡芽わためはクー子の手を強く握った。


思兼おもいかね様! 全てはこの子がどうなりたいかで決めるべきです! 神如きが、幼きを、可能性を弄んでいいと本気でお思いですか!?」


 人は突然変異を起こすのだ。子供となればなおさらだ。イエス・キリストの例がある、たった一代で高天ヶ原たかまがはらにまで来た偉人がいる。あれは、預言よげんすら受けていないにも関わらず神の意思を理解した人間だ。一代で考え抜き、父性も母性も獲得した。人として生まれるべきではなかったとすら思える命だ。彼は、産声と共に道入みちしおになった。

 そんな前例がある、だからクー子は強い声で糾弾した。


「わかっておくれ、これは儀式なのだ。他の神々を説き伏せる、布石なのだ。だから、底津を連れてきた。俺は、日孁おおひるめに入れざるを得ない」


 大国主も日孁おおひるめへの投票だった。

 だが、そんなことを神々はわかっていた。だが、立場がある。議論は尽くされ、そして、権威としての立場はそれに従った意見を叫んだ。ただ、その事実が必要だったのだ。


 突然、その間の扉が開き、赤ら顔の男が入ってくる。

 そして、渡芽に斬りかからんとした。


伊邪那岐いざなぎ様!? ご乱心ですか!?」


 クー子は渡芽わための前に出て、それを術で防いだ。


「どけ、野良狐! そのクソチビが歩いてんのは、天照あまてらすだけの道だ!」


 男は叫んだ。自らの子、その最高傑作さいこうけっさく天照大神あまてらすおおみかみの道が、ほかの誰かに歩まれて悔しかったのだ。


「いい加減にしてください!」


 クー子はそう啖呵たんかを切って、男を突き飛ばした。その男を、最も尊い神と喧嘩をする覚悟を決めた。

 だがそれは、あまりに呆気なかった。


「ぐふっ!?」


 突き飛ばされた男は、壁に打ち付けられ、苦しげに息を漏らす。


「やりやがったなぁ? 俺は最高神の父だぞ……どうなってるかわかってんのか?」


 この男が、悲しくも伊邪那岐命いざなぎのみことなのだ。クー子もわかっていた。だが、そんな高位の神に対して楯突く事も渡芽わためのためなら怖くなかった。


「自分の神格如き! 命ごとき! くれてやれない神なんて糞くらえです! 私はね! みゃーこやクルムのためなら、いつだって命かけてやりますよ!」


 クー子は、最悪自分が死んでも、他の稲荷が二人を育ててくれると信じていた。

 伊邪那岐いざなぎは、兎に角激昂し、全力で踏み込む。


 渡芽わためが、クー子を庇おうとした。

 クー子は、渡芽わためを殺されたくなくて、それを抱きしめた。

 鋭い音が響き渡る。


「あれ? 伊邪那岐様いざなぎ……。お力が……」


 違和感は感じていた。だが、それは心の底からありえないと思うような出来事だったのだ。


 位が高い神が強いのではない。道を進んだ神が強いのだ。最も古く、最も進んだはずの伊邪那岐命いざなぎのみこと。その剣は、クー子の着ている四級神器と神通力によって阻まれている。


「イサナキ様。この者の処分は神秤かむはかりにて……。ここはどうかお収めください」


 大国主おおくにぬしが言った。

 思えば違和感だらけだったのである。いずれも主神、正一位。


 誰も、伊邪那岐いざなぎを突き飛ばしたクー子に手を出さなかった。傍観なのは仕方がない。立場上手出しができないのだ。

 傍観は、つまりクー子の味方であるということになる。


「チッ! わかったよ……」


 伊邪那岐いざなぎは、そう言うと剣をしまって踵を返した。


「抱きしめてあげればいいのに……」


 伊邪那岐いざなぎが部屋を出たあと、底津そこつはポツリと呟いた。


「これが、高天ヶ原たかまがはらの実情です。クー子さん。迷惑をかけました。神秤かむはかりには、素戔嗚すさのお様もお呼びしましょう。今は、とりあえず投票を」


 伊邪那岐いざなぎ。それはおかしいのだ。何故か全てが音読みである。ここ五千年の神ならそれもおかしくはない。だが、伊邪那岐は始まりの夫婦神である。そんな古い神の日本名が、音読みであるはずがないのだ。主神の名が音読みであるはずがないのだ。それは、忌名である。その証拠に、邪などという不吉な字が含まれていた。


「立場上、日孁おおひるめだよ。ごめんね」


 なんとなく、クー子もこの投票がわかってきた。再度投じられた大国主おおくにぬしの票ももはや無視できた。


「すまんな、おっちゃんも日孁おおひるめやわ」


 蛭子ひるこも、日孁おおひるめなのは仕方ない。


「稲荷……」


 まずは底津そこつが……。


「稲荷……」


 ほぼ同じ文言で、渡芽わためが。


「ちなみに、クー子さん。あなたも投票権を持ちます」


 そう、稲荷に入る票を四つ集めるために、思兼おもいかね底津そこつを呼んだのである。


「稲荷で!」


 クー子は安心して告げた。

 こうして、緊張の糸は二つ一気に切れた。

 クー子は膝が笑ってもう立てない。渡芽わためは、もうどんな感情を抱いていいかすらわからなかった。


「抱きしめればいい……」


 底津そこつがまた、ボソリと言う。だから、渡芽わためはクー子を抱きしめた。


「怖かったよね。ごめんね!」


 立てなくても、力が入らなくても抱擁ほうようを返し涙するクー子。


「好き……!」


 渡芽わためはもう、感情の全てがそれだった。こんなになっても守ってくれた。失いたくなくて、たまらなかった。

 もう、手を離される事などない。それに、これからその証がすぐに手に入る。


「落ち着いたら神秤かむはかりを始めましょう。それまでは、お二人で」


 そう言って、神々は部屋を後にする。家主である大国主おおくにぬしですら。

 大国主おおくにぬしは、素戔嗚すさのおを呼びに行ったのだ。素戔嗚すさのお大国主おおくにぬしは仲が良い。義父と子であり、そして混孫こんそんと高祖父母の祖父の関係でもある。

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