第56話・世忌むなや

 第一席、ケテル。そこは、大国主おおくにぬしがいる場所である。


「掛けまくも畏き大国主命おおくにぬしのみこと。稲荷の命賜りて、お目にかかりて候……」


 そこは、この高天ヶ原たかまがはらにおいて、最大の権力が座している場所である。


息災そくさい※元気で何より。後ろは、なんじコマであるか?」


 そんな場所であるから、やはり形式というのは重要視される。


如何いかにも、その通りにてございます」


 クー子は体をかがめて、全身で敬意を表した。


「ならば、そろそろ良いであろう……」


 だが、大国主おおくにぬしにとってクー子は親しき間柄。


「お心のままに……」


 クー子が言うと、大国主おおくにぬしは、その顔を急激に緩ませた。


「クー子! 聞いたよ! 人の世で、妖怪退治したんだって? すごいね! えらいね! あ、怪我とかない? 呪いは大丈夫?」


 こっちが大国主おおくにぬしの素である。基本的に、ハイテンション過保護お兄さんだ。そして、クー子は殺生石せっしょうせきの一件でこちらにも目をかけられている。神々の活動の利便性を向上させた功労者なのだ。


「はい、全然大丈夫ですよ!」


 クー子ほどの神通力保有者だと、妖怪からはまず呪われない。荒御魂あらみたまになって初めて、呪える可能性が出る。あとは、高天ヶ原たかまがはらと同じだ。荒御魂あらみたまもピンキリ。主神と同格ならクー子も危ない。


「よかったよかった! もし何かあったら、俺たちに絶対言うんだよ! そういうの、得意だから!」


 特にキリスト教系は、解呪が得意だ。中には、近づいただけで解いてしまう神もいる。無意識に解呪の力を垂れ流しているのだ。


「なんだか印象がガラリと……」

「威厳……死んだ……」


 挨拶の儀式を行っている間と、今とでは、全く印象が違う。

 あまりの落差に顔を見合わせているみゃーこと渡芽わために、大国主おおくにぬしは急に声をかけた。


「体見せてー! 特に、そっちの子!」


 断じて変な意味ではない。単純に診断がしたいだけである。


「ん?」


 それに首を傾げる渡芽わため。自分の体など見て何が楽しいのかと、疑問なのである。


「ほらほら、見てもらお? 何かあったら大変だし!」


 大国主くらいになると、人間の診察ももちろんできる。採血しなくても、体内の血をそのまま検査できる。医療では割となんでもありだ。


「ん……」


 クー子の言葉に従って、渡芽わため大国主おおくにぬしの前まで行った。外見、人間なのだが、何故か怖くない。渡芽わためには、それが不思議で仕方ない。答えは簡単だ、規格外に優しい空気をまとっているだけだ。


「ちょっと、首触るよ。あ、お名前は?」


 そう言いながら、大国主おおくにぬし渡芽わため頚動脈けいどうみゃくと気管に手を当てた。気管の振動で、気管支のことが分かる。頚動脈の振動で、心臓のことが分かる。あとは触れれば、血のことも分かる。なにせ、医者歴が億年単位だ。


渡芽わため!」


 何をされているのかさっぱりわからないまま、渡芽わためは診察されていく。


渡芽わためね! 俺は大国主おおくにぬし! じゃあ、渡芽わため。口あけて、あーって言って!」


 あとは扁桃腺へんとうせんを見れば、診断は終了だ。


「あー!」


 渡芽わためは言われるがまま、口を開けた。


「うんうん。綺麗だね! ただ、免疫が揃ってないみたいだからお薬飲もうか!」


 本来ならワクチン接種をするところ。神は飲み薬でそれが可能だ。なにせ、医療の神大国主おおくにぬしである。


「ん!」


 と、渡芽わためは素直に受け入れた。通常、子供は薬と言っていい顔をしない。だが、渡芽わためはそもそも飲んだことがない。

 ついでに、神は薬が苦いという概念を知らない。神の薬、無味無臭だったり美味しかったりする。


瑠璃るりー! ワクチンと常備薬お願い!」


 呼びかけると、すぐに螺髪らほつ※大仏ヘアーの男性が出てきた。薬師如来やくしにょらいである。

 薬の調合は、大国主おおくにぬしより薬師如来やくしにょらいである。ついでに大国主おおくにぬしの右腕だ。


「お持ちいたしました。さ、渡芽わためさん。これを、飲んでください」


 薬師如来やくしにょらいが持ってきたのは、シロップタイプの薬。それから、常備薬を入れた箱だった。


「ん!」


 渡芽わためはそれを一気に煽る。無味無臭ゆえに飲みやすく、お茶よりもいいと思った渡芽わためであった。


「よーしよし! じゃあ、しっかり食べて、丈夫に育つんだぞ!」


 大国主おおくにぬしはそう言って、渡芽わためを撫でた。これにて、病気対策はほぼ万全である。


「ありがとう!」


 そう言って、渡芽わためはクー子のそばに戻った。


「じゃあ次の子ね!」


 ここに来ると、様々な予防ができるのだ。それは、何も病気だけではない。


「はい!」


 呼ばれたみゃーこは、大国主のそばまで行く。


「お名前は?」


 大国主おおくにぬしは、そう言いながら手を握る。今度は神通力や妖力の状態を見ているのだ。


稲荷満野狐いなりみやこです!」


 答えながらも、手を伝って入ってくる大国主おおくにぬしの神通力を受け入れた。


「それじゃあ、ちょっとだけ術かけさせてね!」


 呪いから守る術式をかけることも、大国主おおくにぬしには可能だ。こちらは薬師如来やくしにょらいより、大国主おおくにぬしの専門分野だった。


「お願いします!」


 みゃーこが言うと、大国主おおくにぬし祝詞のりとを唱える。


「ひふみ、よいむなや、こともちろらね……」


 神が唱えるそれは、とてつもない加護を与える。それは、呪いの無力化のための言葉だ。

 緋文は、血で書かれた文字のこと。呪いの文のこと。それに対して、世をむなと言っているのだ。物事を、血の路にしてはならぬと……。そんな、意味である。

 空間に文字が浮かび、そして踊り、みゃーこに宿っていく。最高の護法だ。


「ありがとうございます!」


 満野狐みやこに対して呪うのであれば、その言葉を聞くだろう。


「うん! でも、絶対じゃないからね! 忘れないで、いつでも大黒神族に頼ってね!」


 これにて、第一席での用事は終わりである。

 この、ひふみ神文しんもんの祝福は、成りコマになる時に必ず受けるものだ。


――――


 ※このひふみ神文は作者による物語に都合のいい解釈であり、実際の解釈とは異なります。

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