ただ一つ救われる道

第35話・覚悟

 宇迦うかちゃん★さんがあなたを友達登録しました。

 Linneが急に通知してきたそんな言葉で、クー子は飛び起きた。

 午前7時のことである。クー子が普段起きる時間であることを考えると、それはいい目覚ましになったと考えることもできる。


『これ便利だねクー子。玉藻前たまものまえから、教えてもらったよ。さて、今回あたしが連絡した理由だけど。渡芽ちゃんに神坐かむずまびらきを、行う許可が出た。あとは、必要な諸々が終わった時に、本人が望んでいれば使えるね。これは、本当に特殊な事例だよ。文法の獲得ができないまま幼児期を過ぎてしまった、それが変に幸いした形だね。だから、気軽に使えるものじゃないことだけは、覚えておいておくれ』


 宇迦之御魂うかのみたまのLinneメッセージ、それは長くて、まるで手紙のようだった。

 主神格は手紙を使う機会が多い。それは、下級の神族が、主神に畏みなんて言われると恐れ多いからである。また、神の場合思考する速度で手紙を書けてしまうという部分もある。

 だが、やはり、面倒な部分も多くて、Linneは少し便利だと思ったのだ。


『わかりました。渡芽わためちゃんも、順次準備を始めています。一ヶ月ほどあれば、きっと準備が整うと思います』


 対して、クー子のLinneは少し現代人的だ。神世かみよのネット第一人者は伊達ではなかった。


『もう返事来るのかい。本当に便利だ! あとは、本人の意思がしっかり続くかが問題だね。そうじゃなけりゃ、術が不発しちまう。まぁ、あんたはやんないだろうけどね、一応言っておくよ。あの子の心を捻じ曲げたり、縛ったりすることだけはないようにね』


 そんなことがあると、重篤じゅうとくな問題になる。人の心を捻じ曲げること、それに対する罰則は、野良降ろしと言う最も重い刑罰だ。神格を剥奪されるのだ。

 それが起こる頃には、もう神として進むべき道をかなり引き返してしまっている。神に戻るのは、数千年後になるだろう……。


『もちろんです。そんなことが起こらないように、心の底から愛して育てるだけです』


 神坐かむずまびらき。神族の一員として、魂を迎え入れる儀式だ。これを受ければ、渡芽わためは狐神になる。

 渡芽わためが文法を覚えるには、もうこの方法しかないのだ。幼児期に退化する脳機能、それは神々が一生持ち続ける機能だ。だから、神はいかなる言語もネイティブスピーカーになり得る。すべての言語に対して適応の必要が出る神々の救済措置だ。

 ただ、行った場合、脳の発達はやり直しだ。知識を保持したまま、脳構造が赤子になる。


『クー子、あんたイヤイヤ期の覚悟はあるかね?』


 宇迦之御魂うかのみたまはLinneに適応しつつあった。神は、適応が速いのだ。


『もちろんです!』


 脳が赤子から発達し直しになる、前頭葉の発達期もある。だから、イヤイヤ期だって訪れるのだ。


『ま、聞くまでもなかったかね……』


 どうせあるのだろうとは、宇迦之御魂うかのみたまも思っていた。クー子の子煩悩こぼんのうさは、宇迦之御魂うかのみたまは誰よりも知っているのだ。


『はい!』


 クー子も、宇迦之御魂うかのみたまに信頼されていることは知っていた。だから、覚悟があることを、むしろ自分に言い聞かせたのだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 やがて、クー子のコマたちが起き始める。


「おはようございます、クー子様……」


 目をこすりながら、みゃーこが言った。


「おはよ……」


 渡芽わためも、クー子の胸の中で言った。


「おはよう、みゃーこ、渡芽わためちゃん! ちょっと、渡芽わためちゃんにお話があるんだ。そのままでいいから、聞いてくれる?」


 渡芽わためが何よりも、喜ぶであろう話だったから、クー子はすぐに渡芽わために伝えたかった。


「うん……」


 渡芽わためはクー子の話が怖いものではないと、なんとなくわかった。かと言って、捨てられる可能性はいつでも否定できるものではなかった。


渡芽わためちゃん。これから一ヶ月、狐に転生するための準備をします。そのあとも、今の気持ちが変わらなければ、狐として稲荷神族を目指そう!」


 考える期間は大事だと思う。一ヶ月は短い、そんなものは大人の感覚。まだ十代に入ったばかりの少女には十分長い時間だ。


「狐……なる! なる!」


 渡芽わためのそれは、意思表明兼喜びの表現。絶対無理だと、わかっていてわがままを言ったはずが、本当に叶う道筋ができてしまった。


「良かったですな、渡芽わため様! でも、練習がたくさん必要なのでは?」


 一ヶ月でとなると、今の渡芽わための状況を考えれば、スケジュールはギリギリだった。


「そうだね、体作りと儀式の練習。どっちも、並行作業だね! 渡芽わためちゃん、頑張れる?」


 頑張れないのであれば、期間を伸ばしてもらわなくてはならない。それは、もともと可能だ。

 神坐かむずまびらきには、宇迦之御魂うかのみたまの立ち会いが必要だ。それができる最短が、一ヶ月後ということである。


「やる!」


 渡芽わための気持ちはもう決まっていた。

 これでようやく、大好きな神々と同じ存在になれる。そう思えば、どんな苦労も霞んで見えた。


「じゃあ、協力する! しっかり体作って、いっぱい練習しようね!」


 クー子には、猛烈に欲しいものができた。それは、大豆関連の商品だ。

 体を作るのに、タンパク質は欠かせない。畑の肉とまで言われる大豆は、味のバリエーションと食感のそれを多様化する。それと同時に、タンパク質の供給量まで増やすのだ。特にきな粉は非常に優秀だ。100gあたりのタンパク質含有量が、肉類最強の生ハムすら超える。油揚げだって、捨ておけない。豚ロースに迫る、含有量を持っている。

 クー子にとって、人間の通貨獲得が、非常に急務になった瞬間だった。

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