第32話・異教調和

 クー子達にはいくつかお気に入りの、放送がある。

 だが、今回は全部見れるということで、それらを外して別の放送を見た。

 待機画面表示中、一つのコメントが投下される。それこそが、その放送回における本題だった。


マルコ:日本人はなぜ神が唯一のものであると認めないのか?


 少し、前時代的かつ、異教弾圧的な思想を持ったキリスト教徒が放ったコメントだった。


『えっとね、表現に用いる言葉は観測者によって変わるって感じなのよ。キリスト教で言うところの、天使も俺たち神様って呼んでる。日本人ちょっといい加減でさ、神様って呼んじゃう範囲が広いのよ!』


 はるはそう言って笑っていた。

 それは、正しい。最近は主に妲己だっきが国内での稲荷神族の天使担当をやっている。つまり、神は天使にも着替えるのである。


「実際、キリスト教の方が神とおっしゃっているのは何方様なのですか?」


 そういえば、クー子もまだみゃーこにキリスト教のことを教えていなかった。


「えっとね、八栄えやはえって概念だよ。大国主様が、モーセにおっしゃったの。真に全知全能に到れる物、それは、我が子の庭であり、宮殿である。難しい言い回しだけど、その時まだ大国主様即位したばかりでね、ヘブライ語を勉強してる途中だったんだよ……」


 これが、今キリスト教の神がヤハウェと呼ばれている理由だ。単語の頭文字を取るとYHVHになるのだ。

 庭だの宮殿だのとこねくり回して表現したかったのは、この世界全部。それが力を合わせなくては全知全能に至れない。


「やはえ?」


 渡芽は初めて聞く単語だった。

 八というのは神秘的だ。様々な民族に愛されている。

 この八栄えが八紘一宇の原型である。


「天と地と根の国と、神と動物、植物と。見えぬ生き物に加えて妖怪。この八つ、ともに栄えることだよ! みんな幸せになろうねって考えれば大丈夫!」


 本当に、はるは教えるためのきっかけをたくさん供給してくれるのである。


マルコ:では、なぜ日本にばかり天使が多くいる!? エルサレムこそが聖地のはずだ!

アルト佐々木:マルコさぁ過激だよね……


 さすがに、感化できなかったのか、別のキリスト教信者が苦言を呈した。


『それは、俺もわかんね! ベッドタウンにでもしてるんかな?』


 こういうところで、正解を引き当ててしまうからはるは教育に使われるのだ。そして、それを人間の記録媒体を借りて映像として残すために、このような喋り方と思われる。


「あれ? はるちゃん本当に人間?」


 そう、日本は神のベッドタウンだ。それは、有史以前から変わっていない。


マルコ:あ、つまりエルサレムは日本で言うと東京なのか……


 はるはただ、キリスト教過激派と神道が調和できる道を探したかっただけである。


『そうなんじゃないかなぁって思う。でも、家の守護天使みたいな方々は、割とどこでもいるんじゃね?』


 またしても正解だった。最も数の多い神族は、家守やもり神族。世界全国どこにでも居るのである。


「やっぱりはるちゃんって神族なんじゃ……」


 神々の事情を次々と言い当てていくはるが人間だと思えない、クー子であった。


 ほかの神話に顔を出しているときは、スーツを着ているようなものである。仕事をするぞと気合を入れて、神は他国に出勤するのだ。日本では、普段着で出歩いているようなものだ。

 エルサレムに出勤するのが多いのは、大黒神族、大国主の神族である。その中には、日本での名前すら持っていない神も多い。逆にクー子は、海外での名前を持っていないのだ。


「難しい……」


 渡芽わためはもう、脳がメルトダウン寸前だった。


「あ、えっとね。大事なのは、見方が変われば表現も変わるっていうこと。おんなじ物を見ていても、みんな思ってることはちょっとづつ違うんだよ。はるちゃんはね、そこで今、調和を探してる」


 調和が和魂にぎたまの大原則。否定と破壊が荒御魂あらみたまの大原則だ。


「ちょうわ?」


 渡芽はみゃーこに比べてもまだまだ修行の段階が浅い。


「今回は、お互いに納得できる考え方!」


 双方向から、譲れない一線以外の部分で歩み寄れば、調和ちょうわできる場面は多いのだ。


マルコ:やばい……異教に洗脳される

アルト佐々木:いやいいじゃん。だって仕事する場所とベッドタウン。どっちが優れてるとかないっしょ? どっちもなきゃいけない。


 アルト佐々木というコメント投稿者は、もはや嬉しくすら思っていた。自分の信じる聖地、エルサレム。それを、異教の信者が、大切であると認めてくれたのだ。


『まぁ、神の世界のことだし我々わからないじゃん? 全部正しいかも知れないし、全部間違いかも知れない。だからさ、全部、とりあえず残しておかない?』


 それは、神々の願いに近かった。

 日本では、道を全部教えて欲しいと言われてゆっくりたくさんの道を教えている。一神教では、迷子が出ないように道を一つに絞った。

 それだけの話である。何が優れているではない。全て優れている。

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