第31話・渡芽の神様修行

「それじゃあ、神楽かぐらの練習もしよっか! 吾狛あがこまなんてどう?」


 人が奏でる、其駒そのこま。騎獣の歌とされるが、事実は神の後ろをついて帰る狛を見送る歌だ。

 神が歌うのは、吾狛あがこま。現し世から幽世かくりよへ、一足先に帰った神による迎える歌である。現し世の祭りが其駒そのこまによって終わると、幽世かくりよ……あるいは高天ヶ原たかまがはら吾狛あがこまで祭りが始まる。神は、お祭り中毒のきらい傾向のことがあるのだ。


「あがこま?」


 渡芽わためわずかにくぐもった声で言った。クー子の身代みのしろである狐面をつけているのである。面でありながら、視界は良好だ。身代に書かれた目は、本当の目の意味を持っている。

 この歌には、ほかにも意味が有る。


「うん、いろんな時に神が歌って、コマが舞う神楽だよ! いつか渡芽わためちゃんが成りコマになった時も踊るから!」


 また、コマたちが高天ヶ原たかまがはらに入るときも踊る。コマにとっては節々で踊る神楽だ。

 神無月かんなづき……出雲いずもでは神在月かみありづきとされる一ヶ月。それを通して行われる神々の例大祭の始まりすら、これである。和魂にぎたまは、コマが元気だと盛り上がるのだ。まさに子煩悩だらけである。


「満野狐も、一緒に踊りますぞ!」


 みゃーこは、踊る役目が近い。成りコマになったあと、コマの参列の中で主役の一団に入るのだ。


「狐になるにも、これは大事だよ! コマとして迎え入れられる、それを受け入れているっていう意思表示でもあるから!」


 本当に、いろいろな意味があるのだ。

 そして、現し世うつしよでも神職になれば役に立つ。女子の振り付けは巫女神楽に、男子の振り付けは御神楽みかぐらに似ている。神になっても、神楽は舞う機会があるため、その基礎が詰まっているのだ。


「やる!」


 私も同じモノに。そう願ってやまない渡芽わためは、そうと聞けばいてもたってもいられなかった。


「それじゃあ、ホイホイっと!」


 クー子は鈴や扇を出す。これらは下級の神器であり、神が口寄せできるように所有者が登録されている。

 人間が神所有のそれを使うと、神の方が誘いを受けたような気分になる。


「きれい……」


 ついでに天上の逸品いっぴんであるのは、神の世界では常識だ。

 その後、渡芽わためはみゃーこに教わりながら、クー子の演奏で神楽を練習した。渡芽わための上達速度は人並み。特別才能があるわけではないが、ぎこちないそれがクー子にはたまらないのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 とはいえ神楽は、もちろん立派な舞踊である。体を動かすし、体力を使う。普通に生活していては行わない動きだって少なくない。

 そのせいで、渡芽わためは一時間でノックアウトだった。


「まだ……!」


 動かない体にムチを打ってでもと思ってしまう渡芽わため。それは、欠乏欲求であり、我慢することは不可能だった。


「今日はもうおしまい。別の大切なことをしよう?」


 具体的な言葉は知らないクー子。でも、我慢できないことだけは知っていた。

 無理なものは、無理。神がコマに対して、わがままを言うべきではない。


「狐……なる……できる?」


 そのためになるのかならないのか。それが、渡芽わためのこの一瞬における絶対の価値基準。


「そのための、お勉強だよ!」

「やる!」


 これで断って初めて、子どものわがままなのだ。その時神は初めて、コマを叱る権利を得る。


はる様ですか? ですが、本日は平日。はる様は放送なさらない日のはず……」


 はるは、女子高校生。ならば、平日は学校なのだ。そして、制服は本来ブレザーな学校に通っている。

 それがなぜ、セーラー服なのか……。それは現代人のイメージが影響していた。JK退魔師と言えば、大概の現代人がセーラー服をイメージする。そのせいで、セーラー服の方が装束として優れたものになってしまっていた。つまり、伝承的都合によるコスプレだ。


「ふっふっふっ! 実はね、放送は動画として残っているんだよ!」


 クー子は胸を張っているが、知ったのは四日前。初配信の次の日に、自分の放送がチャンネルに残っているのを見て知った。

 本当に、ポンコツである。


「あれもこれも、また見れるということですね!?」


 と、みゃーこは興奮するも、これで神の中ではネット上級者なのだから恐ろしい。

 神々だ、人間の高齢者の年齢でも幼いと言われる社会だ。ネットに苦手意識を持っている神が多い。


「そう! また見たいのは、全部見れるよ!」


 得意げなクー子。

 そんな当たり前のことも、革新である。100年かけて、追いつけば神々は御の字だ。なにせ、殺さない限り死なない。


「はる……聞いた」


 渡芽のような幼い子供は、案外覚えているものだ。子供は、大人の話を大人が思うよりも聞いている。


「おぉ! すごい! 実はね、神様に必要な誠の道を教えてくれるんだよ!」


 つまり、道徳である。

 神道……惟神の道かんながらのみちの道徳は本当に多種多様だ。なにせ、神が多種多様なのだから。だが、和魂にぎたまの道徳に必ず含まれているもの、それが調和である。

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