第27話・稲荷

 クー子が幽世かくりよに戻ると、夕飯を既に葛の葉くずのはたちが作り始めていた。


「骨……抜く……終わり!」


 それには、既に渡芽わためが参加していて、クー子はほんの少しだけ悔しく思った。

 渡芽わためは、白身魚から毛抜きで骨を抜いていたのだ。


葛の葉くずのは様! ごぼう、できました!」


 やっぱり、渡芽わためは器用だ。人間の体は、全動物中トップの利便性を誇る。かと言って、みゃーこも経験でそれについていっている。ピーラーでごぼうを、ささがきにしていた。


「二人共、よく働くじゃないか! こりゃ、くーちゃんも褒めざるを得ないだろうよ!」


 葛の葉くずのはのそんな言葉が聞こえて、クー子の悔しさはそっくりそのまま嬉しさへと変わってしまった。


 自分のために、やってくれているのだ。こんなものは、コマ育ての醍醐味だいごみだ。隠れてこっそり、褒めてもらおうと頑張っているのだ。こんなにも可愛らしいことが、あるだろうか。


 そして、それを引き出したのが、二人の胸の中にいる自分だった。それが、嬉しくてたまらなかった。


「ほんとだよ! 二人共、すごいよ! もう、ほんと偉い!」


 感極まったクー子は、そんなふたりを後ろからそっと抱きしめる。

 渡芽わためはもう、人化した狐を恐れない。耳としっぽがあれば、大丈夫なのである。


「えへへ……」

「頑張っておりますぞ!」


 二人共、自分の仕事をそのように誇るのであった。


「うんうん! 二人共、よく頑張ってるね! すごく偉い!」


 クー子は、語彙ごいが欠落してしまうほどに喜んでいた。


「あんたも頑張ったじゃないか! 外に出て、目を作ってきたんだろ? 偉いじゃないか! くーちゃん、あんたはよくやってるよ。おかえり」


 そんな葛の葉くずのはの言葉で、クー子は理解した。今のが、言葉によるご褒美なのなら、この状況もまたご褒美の一つなのだと。だから、少しだけ甘えたくなった。


「私は、こんなことで褒めてもらうほど子供じゃありません!」


 そして、それは正しく道先として機能する。


「大人になっても褒められていいし、あんたのやったことはすごいんだ! 胸張りな!」


 一度固辞することで、稲荷神族というコミュニティの、暖かさを示したのである。


 大人になっても、いくつになっても、褒めてくれる人はいる。3000歳が、褒められているのだ。未だ年齢二桁のコマたちは、気の遠くなるほどの未来までそれが保証された。


「その……ありがとうございます……」


 そうまで、褒められては、クー子も照れくささに耳を垂らし、されど嬉しさに尾を振るほかなかった。


「二人共、くーちゃんが帰ってきたんだよ。言っておやりな」


 葛の葉くずのはの場合、道に関して説くという部分には至っていない。だが、感覚的には理解している。だから、態度でならいくらでも示せるのである。そして、それが、極限まで上手いからこそ、葛の葉くずのははグレートマザーだ。

 二人は気づき、一旦手を止めて振り返る。そして、微笑んで言った。


「おかえり……」

「おかえりなさいませ!」


 それが、嬉しくて、可愛らしくて、クー子にはたまらなかった。


「うん、ただいま!」


 屈んで、二人の頭を撫でた。内心では、悶絶していた。


「居間で待ってなよ! メシは、あたしと二人に任せな!」


 葛の葉くずのはに言われて、念のためクー子は食材を見た。ごぼうは少し消化に悪い。だけど、量だけ見れば大丈夫だろう。きっと、きんぴらにするのだ。

 他にも、魚は煮付けにするつもりらしいし、渡芽わためがお腹を壊すようには思えない。だから、安心して任せることにした。


「はい、じゃあ休んでますね! 二人共、葛の葉くずのは様と夕飯よろしくね!」

「うん……」

「はい!」


 それぞれに、反応を返した。

 葛の葉くずのはは、その寸前のクー子の目の動きを見ていて、可笑しくなった。


「あんた、あたしが晴明はるあきを産んだときくらい、母親やってるね!」


 葛の葉くずのはには、親子の概念がしっかりとある。人間を産み育てた経験があるからだ。


「そうですか?」


 人間の子供に必要なものが足りないのではないだろうかという、クー子の不安はそれで和らいだ。

 子供じゃない人間は、見た瞬間悲鳴を上げるようなクー子が、おかしなものである。


「あぁ、あんたは立派な母親だよ!」


 という、葛の葉くずのはのお墨付すみつきはクー子を安心させた。人間も、狛狐も、育て方は大きな違いがないのだと。だから、はるの言葉は正しかったのだと。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 玉藻前たまものまえは居間にいた。


「大丈夫……。美野里狐みのりこは許されてここにいるから……。だから、大丈夫だよ」


 美野里狐みのりこを抱いて、背を撫でて落ち着かせていた。

 コマになったばかりの元妖怪。これは、しばらくは大変な時期である。


美野里狐みのりこは……ただ、あの一家がしっかり子を愛するようにしたかっただけなのです……」


 きっと、美野里狐みのりこ家守やもり神族になる可能性があったのだ。その、心を手折られて、妖怪になったのだ。


「うん。その気持ちは、とっても尊いものだよ。だから、大丈夫……」


 優しく撫でて、玉藻前たまものまえはとにかくなだめた。

 この時期のコマは、罪悪感に苛まれて懺悔ざんげしたり、正当化したりを繰り返す。


 それが全て、一様にはできないということを理解するまで、それを脱せない。心は良かった、だた行いは良くなかった。そう、理解して初めて、次に進むのだ。


美野里狐みのりこは……また、あのお方の歌が聞きたいのです……。尊いのなら、なぜ叶わないのでしょう?」


 それに対して、玉藻前たまものまえは答えた。


「今、叶わないだけ。叶えてあげるからね」


 玉藻前は、探しているのだ。美野里狐みのりこの言うあの子を……。


「歌が上手な人なんだね? 私も、それ探すね!」


 クー子は、玉藻前たまものまえの隣に座って美野里狐みのりこにやさしく語りかけた。

 これが、接点。後に、クー子のある面を支える、事の始まりである。

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