第26話・山神(胸が)

 クー子は走った。クーコの頭の中には、人間と出くわすという恐怖が渦巻いている。万に一つ、億に一つ、出くわしたのならどう逃げるかを考えていた。妄想の中のクー子はスマートに、カバーストーリー“コスプレイベント帰り”の設定を詰めていく。


「あんれまぁ……雅な水干だべ……」

「ぴゃあああああああああああああああああ!!!」


 だが、現実は甘くなかった。出会った瞬間、頭は真っ白になり、両手をあげて脱兎だっとが如く駆けて逃げる。名は体を表すとは、まさにこのことである。


 そう、本当は、超人間恐怖症だ。だがクー子の中では、塗仏ぬりぼとけに憑かれた子供なんていうものは、何を犠牲にしても助けなくてはいけない存在。だから、渡芽わための時は大丈夫だっただけである。


 クー子に声をかけた相手は、か弱そうでかつ、優しげな老婆ろうば※おばあちゃんだったのである。


 クー子はまず、最寄りの遅池峯おそちね神社へと立ち寄った。人間は、基本的に鳥居を通るときは、両脇を通るのが良い。日本では、神がくつろいでいるため、対応がいい加減だ。うっかり幽世かくりよに入れてしまいかねないのである。


 逆に、神は両脇を通ってはいけない。うっかり、妖怪と間違われて討伐されかねない。と言っても、神にも格があり、ここの神はクー子を害するほどの力を持っていない。


 クー子が真ん中を通ると、そのまま幽世かくりよへと迎えられた。


「あらあら? あらあらあら? クー子ちゃんじゃない!? もう、お外平気なのね?」


 ここの神もまた、母性たっぷりなのである。というより、女神は母性が強い場合が多い。ここの神も、三つの山の化身を産み落とした、ママ系女神である。


「あ、稲野山毘売いなのやまひめ! 2900年前はごめんなさい! 引きこもっちゃってて……」


 稲野山母毘売いなのやまははひめ、それが彼女の名前である。


 彼女とクー子の面識は2900年前だ。クー子が幽世かくりよに閉じこもって、しばらく。クー子を村八分むらはちぶにした人間たちが死んだとき、彼女はクー子の幽世かくりよのそばに来たのだ。そして、やったことといえば、三人の娘とどんちゃん騒ぎ。天岩戸あまのいわと開きの、模倣もほうを行ったのである。なお、宇迦之御魂うかのみたまにクー子を紹介したのも彼女である。


「気にしないでー! 宇迦うか様からいろいろ聞いてるのよ!」


 彼女は枝主神えのぬしかみという立場である。山の神は、地方の小さな神族を大山咋神おおやまくいのかみがまとめている。よって、神階だけならクー子よりも低いし、戦ってもクー子に負ける。でも、クー子にとって恩人である。


 現在、まともに人の姿である。だが、人化を一度ひとたび解けば、その身長は2250メートルに及ぶ。長女の稲野池峰いなのちねで1914メートル。それよりも、高いのである。そして、山の女神の特徴は、豊満すぎる胸だ。それはそれは立派な双子山なのである。


「ありがとうございます! それで、稲野山毘売いなのやまひめ。私も、これからはしっかり妖怪退治をします!」


 これまでは、クー子の管轄では、宇迦之御魂うかのみたまが結界によって妖怪を防いでいた。忙しくなった宇迦之御魂うかのみたまに代わりに、クー子。それが、ダメだった場合の代案が彼女だ。


「うん、知ってる。だって、塗仏ぬりぼとけ強すぎるなって思ったら、クー子ちゃんが行ってくれたんだもん! 助かっちゃったわ! これからは、クー子ちゃんに、かしこかしこみするね!」


 この、かしこかしこみであるが、人間で言うともしもしに相当するのだ。

 前回の塗仏ぬりぼとけ、妖怪としてとても強い部類に入る。なんなら、妖怪と言える上限な強さだ。稲野山母毘売いなのやまははひめでは、大きな怪我を負った可能性はある。


「あはは……知ってましたか……。挨拶遅くなってごめんなさい……」

「いいの! だって、ここまで来れるようになったのもびっくりなんだもん。偉いわ、よく頑張ったわね」


 余談……。

 クー子が行けなかった場合は、玉藻前たまものまえが待機していた。だから、彼女にはクー子が外に出るという連絡だけが来ていたのだ。それで、心配で見ていたのである。


「ありがとうございます!」


 クー子もクー子で、いつかは会ってみたいと思った神である。

 ついでに、ここで出会ったことで、二人の間でかしこかしこみができるようになった。


「あ、そうそう。家守やもりちゃんとか、大口おおぐちちゃんたちとも仲良くしてあげてね!」


 家守やもり神族は家を守るので精一杯。大口おおぐち神族は移住斡旋で大忙しだ。

 この、大口おおぐち神族だが、異種族同士の橋渡しだ。人間の里に降りる動物に、他の森に移動することを勧めるのだ。


「はい! じゃあ、声かけて回りますね!」

「うん、気をつけてねー!」


 そんなこんなで別れたあと、クー子は街へとやってきた。

 実は、町の方が、人に会わない。電線に屋根にと、人間とは違う階層の足場がたくさんある。


 屋根の上にクー子が来れば、家守やもり神族は必ず気付く。ある程度の範囲の家守やもり神族が、モリッと出て来るのだ。


 クー子がやるのは、それに対して、名前を告げて畏み畏みできるようにするだけ。ついでに、お願いねと一言であった。

 管轄地の家守やもり神族と大口おおくち神族に声を掛けるのは、神の高機動なら一時間で終わったのである。

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