第13話・尾で触れ、雪ぐ

 宇迦之御魂神うかのみたまのかみが帰ったあとの話である。渡芽わためはどうすれば、この二人に報いることができるかを考えていた。

 だが、その考えは答えを得ないままに終わった。今、かけている迷惑を、取り除くことを優先したのだ。

 渡芽わためはそうと決まればと、クー子のもとへ駆けた。


「人……なって!」


 それが最大限。生存の欲求という根源的な欲求を、満たすために必死で考えたことだった。


「いいよ。でも、理由、聞いてもいい?」


 クー子は言った。人は怖いはずだ。クー子の人化はそれにすごく近いレベルである。


「いつも……人……。便利……違う?」


 翻訳するのであればこうだろう。普段は人の姿をとっているのだから、そちらのほうが便利なのではないか、である。クー子はそれを理解した。


「そっか。私のためってことなんだね! ありがとうね! でも、怖くなったらちゃんと言うんだよ!」


 全力で、クー子は渡芽わためを尊重する。それは、渡芽わためがまだ抱くことすらできない欲求に対する態度だ。しかし、それはクー子のいつもどおりだ。他人を尊重するのは、前提でしかない。宇迦之御魂神うかのみたまのかみの愛が、クー子の心をそのように作った。

 渡芽わためが頷くと、クー子は人化の術を発動させる。


「コンコン!」


 人の姿のクー子、それはとても優しそうな女性である。その服装は、巫女に少し似ていてるため、豊満ほうまんな胸が浮き上がっていた。ただ、厳密にはそれは、巫女服ではなく水干。平安時代の装束である。

 身長は、女性にしては平均をほんの少し超えた160cm。髪は長く、狐色。大人っぽさを充分に帯びている。なのに、どこか可愛らしく見えてしまうような顔立ちだった。


「ちが……う?」


 それは、渡芽わための知っている茶髪と違った。彼女の両親は品行方正とは言えない人種DQNだった。安い染髪料で染められた茶髪は、キシキシと傷んでいる。

 だが、目の前の女性の髪はどうだ。秋の稲穂いなほを思わせるような、狐色。それが、艶やかあでやか※うつくしいで、流れるように伸びていた。一本一本の毛が細く、まるで絹糸ではないか。そして、そんな美しい髪に浮かぶつやを、渡芽わためは天使の輪と思った。


「怖くない? 大丈夫?」


 人の姿へと変貌へんぼうを遂げると、クー子はすぐに膝を折って目を合わせた。

 上から見下ろされるのが怖いのは、全生物共通だ。神だって怖い。

 だから、クー子は、話すときは目線を合わせるのである。これは、無意識だ。


「だい……じょうぶ!」


 渡芽わためは、そんな優しそうな人でも怖かった。でも、少し無理をした。

 クー子もほんの少しの無理が必要なのは、つい先日わかった。


「こうしよう! お風呂に入る時だけ、この姿! それ以外は、渡芽わためちゃんが慣れるまで狐でいるよ!」


 クー子は、そのようなつもりでいた。

 そういえば、渡芽わためは薄汚れている。髪もガビガビだし、肌なんて少し黒い。手にも泥が付いていた。


「お、お風呂……」


 渡芽わための顔は不安そうだった。


「お風呂怖い?」


 何らかの原因で、そうなったのではないか。一つ一つほぐすように、クー子は渡芽わための過去を分析した。


「苦しい……」


 あろう事か、渡芽わための中ではお風呂と苦しいが、イコールで繋がっている。


「じゃあ、シャワーだけにしよっか!」


 クー子の社には、神の家としては珍しくそれがあった。一般家庭のそれとは形が違う。クー子が欲しいと考えて、作ったのだ。

 だが、クー子は本当に悩んだ。どうしたら、それが結びつくのか疑問で仕方がないのだ。いや、候補は見つかっている。だけど、そのどれもが悲しく、どうしたらそんなことをできる心が生まれるのかわからなかった。


「うん……」


 でも、シャワーはわかる。

 本当に嫌な考えだった。クー子は、渡芽わためがおもちゃのように扱われていたのではないかと思った。ちゃんと反応するそれを、手元に残しておきたくて生かされていた。そんなふうに考えた。


「いこー! あ、手は……人間っぽいから尻尾!」


 クー子は人間らしい部分を用いての接触を、とりあえず避けた。恐ろしいものとの、距離を少し確保させたのである。

 クー子は尻尾で、背中をやさしく押したり、前に立って尻尾を振って追いかけさせたりと工夫を凝らした。無論、本性が狐だからできることである。


「うん……」


 そのしっぽの触れる時の力加減、そこに渡芽わためは優しさを感じた。

 少し怖かった。でも、ついていってもいいと思えた。そんなこと、渡芽わための初めての経験だった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 風呂場にて、クー子が服を脱がすと、渡芽わためがとんでもなく痩せているのがわかった。腹水ふくすいが貯まるに至ってはいないものの、その寸前の様子であった。

 本当に、痛ましい。だが、それは渡芽わためには関係ないことだ。兎に角、愛していると全力で伝える。クー子はそれに終始したのである。

 人間らしい部分からは距離を、故に洗うに用いるのは、またも尻尾。流すときも、水を直接かけず、尻尾に水を含ませて拭き取った。

 クー子はすっかり、しっぽの筋肉を酷使こくししたのだった……。



――――――

 ご挨拶


 毎度ご覧下さり心よりお礼申し上げます。

 今回ご挨拶させて頂くに至ったのは、ルビのことです。

 作者には読者様一人一人の語彙ごいを知る術がなく、よって少しでも難しいと思われた単語や漢字に神経質なほどルビを振らせていただいております。

 また、単語の意味が、一般的ではないと思われるものにもルビにて注釈を入れさせていただいている部分が多くございます。

 気を悪くなされた方には、非常に申し訳なく思いますが、ご理解をお願いいたします。


 読者様ご存知の単語にルビや注釈があった場合、その注釈はよりお若い方に向けたものです。

 それは、幅広い年齢層の方に、自分の作品を楽しんでもらいたいという作者のエゴによるものです。

 どうか、ご容赦頂けますと、作者も幸いに思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る