第5話・如律令

 放送の最後、はるは言った。


『ごめんなぁ! 急だけどちょっと用事ができたんだ!』


 神族の急な用事と言えば、妖怪退治だ。それも危険な類の……。


「みゃーこ、ちょっと外に出るよ!」


 妖怪の力は、道をどこまで踏破しているかで決まる。場合によっては、完全な踏破を果たし荒御魂あらみたまとなっている可能性すらある。その場合であれば、クー子の居る幽世かくりよのすぐそばまで気配が届いているだろうと思った。

 神族はそれぞれ、管轄を持つ。だが荒御魂あらみたまともなると、日本の地に足をつけている限り、わかるのだ。


「はい! クー子様!」


 みゃーこは、気丈に振る舞うも内心では不安だった。クー子が二級神器など持たされている場合、荒御魂あらみたま相手にも単独で戦えてしまうのだ。なにせ、三級神器を持っている玉藻前を無手で圧倒するのがクー子だ。それに二級の神器を持たせれば、高天ヶ原たかまがはら以外では最強である。

 故に、みゃーこは祈った。どうか、それが荒御魂あらみたまではありませんようにと。


 クー子は幽世を出る。クー子の幽世かくりよの入口は山の奥でひっそりと、鳥居に囲まれ安置されている岩だ。これは、殺生石と似たようなものであり、扉石と呼ばれる。

 出た瞬間にクー子が感じたのは異質な空気だった。まるで、泥が絡みつくような不快な空気である。


「大丈夫、木は揺れてない……」


 クー子は自分に言い聞かせた。

 鳥居の奥、神社の領域には、そこを守護する神が育てた木がある。その木が揺れたならば、その神では対処が困難だ。だが、凪いでいる。完全な凪は、クー子にとって全く問題ない相手ということになる。

 クー子は装備を整えるべく、幽世に戻ろうとした。だが、扉石からみゃーこが飛び出してきたのだ。青銅の剣と、高天の塩が入った小さな袋を持って。


「クー子様! 縁月えにしのつきと塩です! お持ちください!」


 これにて、クー子の準備は万全となる。


「ありがとう……みゃーこは本当に偉い!」


 コマとは小間使いの意味であり、こまの意味である。みゃーこはその役目を、今回は完全に果たした。


「ならば、絶対に無事にお帰りください!」


 クー子はこのみゃーこが誇りだった。応報として、クー子の無事を願ったのだ。こんなもの、聞かなければ道入みちしおの名が廃る。


「ぜったい、帰るよ!」


 そう言って、クー子は駆け出した。神に最も近い妖怪が全力疾走をしているのだ。それは、音よりも尚速かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 クー子が気配を辿りその源に着くと、黒い影と退治する一人の少女が居た。


「防ぎ給え! 急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう!」


 影の動きはさほど速くはない。だが、少女をどこまでも追い続ける。それは、肉体と命を剥離はくりさせる、致死の一撃だった。

 少女の言葉で符が舞い、板状の結界を出現させる。それは、高度な術式だった。


 破壊力で言えば最強クラスの一撃。それを防ぐ結界は、普通、人間が構成するのであれば、長い詠唱と神族の介入が必要だ。それを独力の、しかも短縮詠唱で行なった。それは、術者の少女が、道を踏破する寸前に在ることを示している。


「皆!」


 一瞬の隙に、少女は指二本を束ね、その声とともに影を切りつけた。

 九字斬くじぎりを行っている最中だったのである。そして、その一斬は最も近くにいる稲荷神族いなりしんぞく……クー子に力を与えた。九字の皆は稲荷大明神いなりだいみょうじん……つまり、宇迦之御魂神うかのみたまのかみを意味するのである。


「助太刀するよ!」


 そう言いながら、クー子は縁月えにしのつきを抜き放ち、そして黒い影を浅く斬る。

 クー子の中には確認したいことが山ほどあった。


「待て! それは憑依ひょういだ!」


 だが、それを脇においてクー子は事態を理解した。

 今の一撃は理解が済んでいないがゆえの、威嚇いかくの一撃。そうしてよかったと、クー子は心から安堵あんどした。


「わかった! あなたの九字くじはどこまでやれる!?」


 九字くじ破魔はまの力を授けるものである。力量がなければ自分だけ、ある者はそれを他人にも授けられる。だが、今回は相手が悪い。それは、死への絶対的恐怖によって生まれた古い妖怪だ。

 クー子はその妖怪の攻撃をすべて防ぎながら、少女に問いかける。今この瞬間に必要な問を。


「一瞬だけ憑依を解ける!」


 クー子にはそれで十分だった。


九字くじを続けて! 私が止めを指す!」


 少女はクー子の言葉に頷き、信頼して前に進む。少女にはクー子が神族であることが分かっていた。二級神器は、人間の世界では三種の神器に次ぐものである。そんなものを持つのは、今となっては神族と皇尊すめらみこと※天皇陛下のことのみである。


「陣!」


 九字くじを唱え、斬るたびに、影は僅かながら小さくなってゆく。

 それも本来はおかしなことだ。この妖怪に人が触れようものなら、その瞬間に触れた部分が壊死えし※腐ることする。

 そんな肉体による攻撃を、クー子は縁月で防ぐ。それもまた、妖怪の力を削り取った。


「烈!」


 刀印とういんが妖怪を切り裂く。いよいよ以て、妖怪の動きは鈍くなる。


「在!」


 クー子は余裕が生まれ、次の段階への祝詞のりとを上げることにした。


黄泉国よもつくにのけがれすすぎし、かのはなよ!」


 その祝詞のりと高天たかまの塩を用いるとき最大限の効果を発揮する。かの花というのは塩のこと。塩は波乃花なみのはなとも呼ばれるのである。高天ヶ原たかまがはらの海では、かの伊邪那岐命いざなぎのみこと黄泉よみけがれをすすいだ。よって、代用品などではない、それそのものがここにあるのだ。


「前!」


 一瞬、黒いもやの中から小さな少女が現れる。クー子と共闘している少女より、もっと幼い子供であった。


うらみ、すさみ、はらいたまえ!」


 塩を浴びせ、縁月えにしのつきによる斬撃を放つ。それにより、少女と妖怪の縁を完全に断ち切ったのである。


 ただ、この祝詞のりとで祓えるのは、妖怪の中核をす感情だけである……。

 妖怪を殺す祝詞のりとはあるが、それを使えば憑依ひょういされた少女まで死んでいた。

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