第3話・殺生石

 しばしして、朝食が終わり、二人が縁側でくつろいでいる時のことである。それは唐突に訪れた。

 五つの尾を備えた、またしても狐の耳と尻尾を備えた美女一人。


「あれ? たまちゃん?」


 彼女こそ玉藻前たまものまえ……。数年前に割れた殺生石せっしょうせき、その中の人である。玉藻前たまものまえはもともと稲荷神族になる前から名前があった。よってその名には狐がつかない。

 元は九尾の狐であったが、天狐へと昇格し、神の仲間入りを果たしている。本来天狐の尾は三本。だが、訳あって、玉藻前たまものまえは五本である。


「たまちゃんはやめてって言ってるじゃないですか!? 一応、今は稲荷やってるんですから……」


 殺生石せっしょうせきが割れたこと、それは何も心配はいらないことである。かつて九尾の狐として悪さをしたと思われた妖怪は、今や稲荷の名を冠しているのだ。つまるところ、宇迦之御魂神うかのみたまのかみの使いである。

 この宇迦之御魂神うかのみたまのかみの使いなどなどの稲荷神族いなりしんぞく、それが人の世に現れれば吉兆である。彼女らはただいるだけで周囲に影響を与える。収穫量を増やすのだ。故に、畑に玉藻前たまものまえが現れれば豊作間違いなしである。


「ちゃん様こんにちは! 御用が済んだら満野狐みやこの修行の成果も見てください!」


 みゃーこはそう言って、前足をちょんと上げた。


「クー子様の所為せいですよ! 最近は宇迦うか様まで、影響されてるんです! 自重してください! あ、みゃーこの成果は、後でちゃんと見せてくださいね!」


 宇迦うか宇迦之御魂神うかのみたまのかみのあだ名だ。最近時折たまと呼ぶようになったのである。

 家族にたとえて稲荷神族いなりしんぞくをあらわすのであれば、玉藻前たまものまえはみゃーこの叔母おば的位置づけになるだろう。玉藻前たまものまえに至っては、既に高位の神格を有する。故に、外見がとても若々しいのではあるが。


「はい!」


 一旦みゃーこが返事して、クー子と玉藻前たまものまえの世間話に戻る。


「たまちゃんって可愛いじゃん……」


 僅かに拗ねたようすを見せるクー子。


家守やもり神族と間違われるんです! 稲荷神族なのに!」


 だが、それでも捨て置けないのが玉藻前である。

 日本には様々な神族が存在する。中でも家守やもり神族は、家を守ってくれる獣が神になった者たちである。猫又ねこまたが神に至ると、家守やもり神族の系譜になることが多い。それらは、ペットとして生活していた名残を残した名前を持つ神が多い。例えばタマ阿部之守神あべのもりかみなどだ。玉藻前たまものまえ不憫ふびんにも、これらと間違われることがしばしばなのだ。


「いいじゃん!」


 家守やもり神族は基本的に愛くるしい神族である。その愛くるしさは、稲荷神族いなりしんぞくを競い合う仲だ。


「御利益が違うんです! 家守やもりを願われても困ります!」


 稲荷神族は農作特化、所謂いわゆる豊穣神ほうじょうしんである。人間に資するしする※ご利益を与えることのは、それに限定されているのだ。


「ところで、ちゃん様は世間話のためにいらっしゃったのですか?」


 意外にも、しっかりしているのはみゃーこ。比べるのであれば、クー子や玉藻前は割とポンコツかもしれない……。


「そうでした……。天拵あまぞん贈与ギフトが届いています」


 商標登録など神には恐ろしくない。人間には、それを知る術がないのである。


「えっと……どなたから?」


 クー子にとって嫌な予感である。天拵あまぞんで購入可能なもの、それは主に神器じんぎだ。高位の神であればあるほど、希少な神器を買うことができる。


「宇迦之御魂様より、縁月えにしのつき高天たかまの塩を賜っています」

縁月えにしのつきって、二級じゃん!? え!? 私、妖怪退治するの!?」


 二級神器は、極めて強力である。宇迦之御魂神うかのみたまのかみのような主神格が、所有者を決めるものである。ついでに、高天たかまの塩は高天ヶ原たかまがはらで作られた塩だ。お清めの塩として最強である。


「主神様方、今忙しいんですよ……。なんか、海外の魔術師の一派が日本の神遺かむわすれを狙ってるらしくて……」


 主神を端的に言うなら、内閣である。つまり、その一件は外交問題に酷似しているのだ。

 神遺かむわすれは、神族の遺体を指す。これは日本を含めた各地に点在している。そして、日本においてそれはこう呼ばれている。天照アマテラスの瞳。そう、最高神天照大神あまてらすおおみかみは既に死んでいる。の国に居るのだ。


「うぅ……仕方ないよね……。わかった頑張る! 私も稲荷神族だもん!」


 それは、クー子にとって重い決断だった。なにせ、妖怪退治を始めれば引きこもりを続けてはいられない。


「その意気です! 本当は私なんかより力を持ってるんですから、退治自体をささっと終わらせて帰ってくればいいんですよ!」


 実を言うと、玉藻前たまものまえの方が神族として位が高い。クー子が引きこもってさえいなければ、この関係は逆であっただろう。


「ニンゲントソウグウスルマエニカエルヨー」


 クー子は人間が怖いのである。さもありなん、かつて人間に自己実現の欲求を手折られた狐妖怪である。


「あはは、それがいいでしょう! さて、みゃーこ。あなたの成果を見せてくれますか?」


 本題は終わり、世間話へと戻る。

 と、いうよりもこれは、稲荷神族いなりしんぞく間の愛情表現である。


「かしこまりました! お狐わんわん、人になーれ!」


 みゃーこがそう唱えて空中で翻ると、みゃーこは人の姿に近づいた。とはいえ、体毛は普通に狐であるし、骨格にも狐の名残がある。その身長は115cmほどと、超低身長だ。これは、しっぽも含めたみゃーこのもともとの体長と同じである。


「みゃーこ頑張ったから、ここまで人間になれるようになったんだよ!」


 と、クー子はみゃーこの不完全な人化を誇らしげにアピールする。


「だいぶ人化できるようになりましたね、みゃーこ! でも、わんわんは人間が持つ狐の印象から離れてます。次はこんこんにすると、より人っぽくなれますよ!」


 玉藻前たまものまえ玉藻前たまものまえで褒めた。もはや、良き姉が如く。


「あはは、稲荷神族ならしばらくはここで苦しむよね……」


 と、クー子。狐はイヌ科で、わんと鳴く。その癖が人化の術を不完全にしてしまうのだ。


「なんで、こんこんなんでしょう……?」


 みゃーこには、それがわからぬ。そもそも人とあまり会ったことがない。


「みゃーこ、遠吠えをして見てください!」


 玉藻前たまものまえに言われて、みゃーこは遠吠えをした。


「くぉーん!」


 人間にしてみれば、狐と遭遇そうぐうする機会より、遠吠えを聞く機会が多いのだ。


「はい、それのせいでこんこんと鳴くと思われています!」


 玉藻前たまものまえは、教えるのが上手である。


「なるほど、納得しました!」


 玉藻前たまものまえは、甲斐甲斐かいがいしさならクー子に一段劣る。


「何にやにやしてるんですか!? クー子様!?」


 だが、それでも玉藻前たまものまえを見るクー子の顔はほころんだ。


「だって、たまちゃんもそろそろコマを育てる時期かなぁって……」


 クー子は殺生石せっしょうせきの中にいる頃から玉藻前たまものまえを知っていた。付き合いが長いのである。というより、殺生石せっしょうせきの原型はクー子の幽世かくりよである。

 コマというのは、保護された妖怪のことである。神族は、妖怪が間違ったみちに進まないように育てるのも仕事である。


「私は、クー子様のコマではありません!」


 だが、二人共、宇迦之御魂神うかのみたまのかみのコマだった時代が存在する。いわば、クー子は玉藻前たまものまえの姉のような存在なのだ……。

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