第2話・ヤコはお手伝いがしたい!

 クー子の朝は……あまり早いとは言えない。ごくごく平凡である。

 太陽が、顔を出して少ししてから目を覚ますのだ。動物的に考えるなら、それはむしろ寝坊の類かも知れない。


 クー子が目を覚ますと、申し訳なさそうな顔でクー子を覗き込む小さな狐が一匹。

 その、申し訳なさそうな顔の原因を探るべく、クー子は周囲に視線を飛ばす。

 そうしながらも、必ず言うのだ。抱きしめて、いっぱいのぬくもりを与えながら。


「おはよう、みゃーこ。何かあったの?」


 みゃーこ、先の放送で名が挙がったヤコちゃんのことである。


「ごめんなさい……台所。めちゃくちゃにしちゃいました!」


 敬語という高度な言語を操るものの、クー子の基準では、まだまだ子供だ。

 だからこそ、クー子は育児で大成功をしているといっても過言ではないだろう。

 みゃーこは自己承認欲求に自己実現の欲求が混ざり始めている。


「あら? じゃあ、台所に行こうか。それと、どうしてそうなっちゃったか教えてくれる?」


 クー子の育児にはルールがある。だから、怒った雰囲気すら見せない。


「お米を研ごうと……」


 台所へ向かうクー子の後ろを、みゃーこがトテトテと歩きながら申し訳なさそうな声で言う。

 この段階で、クー子はみゃーこが十分反省したのを理解した。


「お手伝いしようとして、失敗したんだね? もう思い悩んじゃいけないよ! 頑張ろうとして失敗するなんて誰でもあること。だから、一緒にお片付けしよ?」


 そう言って、クー子は雑巾を手にそういった。

 クー子のルールとは、悪いことをしたら謝る。これを絶対としていることである。

 謝らない限り、クー子は絶対に許さない。それが例え、悪意がなかったとしても。


「ごめんなさい、一人でどうしていいかわからなくて」


 だが、反省し、謝る相手に対してクー子はとても甘い。


「いいの! 一緒に片付ける、それがお仕置き。でもね、私はとっても嬉しいの。お米を研ごうとしたのは、なんでかな?」


 子供は失敗が多い。経験が足りないからだ。

 なら、それが成功していた場合、どうなっていたか。それを考えれば、子供の動機なんて簡単にわかる。それが、クー子の育児論……のようなものである。


「えっと、クー子様に楽をしていただこうかと」


 話している間に、雑巾をもって台所に到着した。

 一枚をみゃーこに、そして一枚を自分で。まずは、自分で掃除を初めて、みゃーこが真似するように見守る。みゃーこは言わずと真似をして、自分の失敗の尻拭いをする。

 それを見て、クー子は安心した。言うまでもなく始めるのは、本当にみゃーこがいい子に育ってくれたからだと。


「やっぱり、私のため! みゃーこはとっても優しいね! だから、私は嬉しいんだ!」


 クー子は伝える。優しくされると、嬉しくなることを。


「でも……満野狐みやこは失敗しました……。クー子様にご迷惑をおかけしました……」


 そう言って、みゃーこは泣き出してしまった。

 満野狐みやこというのはみゃーこの本名である。稲荷満野狐いなりみやこ、その実り野に満ち溢れますようにという願いによる命名である。命名したのはクー子だ。名前の最後に狐をつけるのは、稲荷神族いなりしんぞくの習わしである。

 だから、クー子は手を止めてみゃーこを抱きしめる。


「落ち着いて、怒ってないよ。ちゃんと反省して、謝って偉い! できるようになるまでは、一緒に練習しよう! 私がついてるから!」


 失敗を受け止める代わりに、クー子は挫けることを許さないのだ。成長を妨げないため。

 そもそも、クー子はかつて子育ての失敗作だった。自己実現の欲求を手折られ、安全欲求にまで退行した。マズローの欲求五階層、安全欲求はその中でも低次の欲求とされている。その結果、過剰かじょうな防衛本能に身を任せて、今住んでいるこの地を作り出してしまった。人間を拒絶する、現世と重なった異空間。ここは、一種の幽世かくりよである。

 だからこそ、育てると決めた時は必死だった。


「クー子しゃま……」


 涙でグシャグシャのみゃーこは安心から、その名前を呼んだ。

 稲荷神族いなりしんぞくでは、母や子といった言葉が完全な理解をされていない。そもそも、野狐などどこで生まれるかわからないし、親などいないのが当然だ。人に育てられることもあれば、稲荷神族いなりしんぞくが育てることもある。だから、育ての親も名前で呼ぶのだ。


「よしよし。さ、片付けるよ!」


 本当のことを言うと、クー子も少し惨状に驚いていた。米が無残にも散らばっていたのだ。

 水田稲作の起こりに立ち会ったクー子としては、少しその米に物悲しさを感じた。だが、それはみゃーこを叱責する理由にはなりえない。そもそも、それは怒りではないのだ。


「はい! クー子様!」


 泣き止んだみゃーこと二人、散らばってしまった米を片付ける。

 掃除は完璧だが、みゃーこに、一度落ちてしまった米を食べさせるのは気が引けた。

 元は野生、何を言っているのかとクー子は自嘲する。

 その後、二人は少し遅い朝食を食べて一日の活動を始めるのだった。

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