鮮紅の照らす二人

橙真らた

 とある秋の晴れた日の夕方。庭の縁台に腰を下ろし、日の入りを見届ける僕の目には、風が吹くたびに散っていく枯れ葉をアクセントにして焼けるように赤く染まる景色が映っている。僕は毎日同じ場所で、同じ時間に、同じことをしている。別に好きでやってるわけではない。だけど落ち着く。ある頃からの習慣だ。

 もう冬の尻尾が掴めそうな頃。長袖シャツ一枚では流石に寒く、今日はいつもより少し早めに引き上げた。日の落ちる時刻も早くなり、まだ五時前なのに部屋の明かりを点けないと生活がしづらい。天井から垂れる紐を引き、数秒遅れて蛍光灯が仕事をする。

 父親はしばらくは帰ってこない。今となっては何の仕事をしているのかも分からないが、基本僕が寝てから帰ってきて、僕が起きる前に家を出る。丸一日家を空ける日だってある。だから食事は、誰かさんが冷蔵庫に買い置きしている惣菜やパンなどを頬張るくらいでまともな栄養バランスのとれた食事は中学校の給食以来はあまりない。ちなみに母親もいない。五年ほど前に離婚した。理由を父さんは教えてくれない。


 玄関の鍵が開く音がした。せめて連絡してから来てほしいと思いつつも来てくれるだけありがたいという部分もあり、複雑な気持ちのまま玄関まで出迎えに行く。


「いらっしゃい」


「何で無表情なのよ。材料買ってきたから、もう作っちゃうね」


 薄めのダウンを羽織った彼女が買い物袋を持って部屋に上がる。この場合の『彼女』とは、『ガールフレンド』の意味になる。大学で同じ講義を取っていていつの間にか知り合い、僕がほぼ一人暮らし状態だと話をしたら手伝いに来るようになった。週に三、四度玄関前で対応するのも面倒なので合鍵を持たせている。


「このパンはいつものところ入れておくね」


「うん、ありがとう」


 パンを棚へ、賞味期限の長い惣菜が冷蔵庫に放られる。

 ここまでの流れだと、僕は親のすねかじりならぬ彼女のすねかじりニートにも見えるが、仕方ない。一応バイトはしているが、司法試験の勉強もしているから時間があまりない。料理は彼女からドクターストップ(医者ではないが)がかかっている。茶色くなったシチューを見て「君は料理をしちゃダメ」と言われた。別にビーフシチューだってあるし問題ないと思ったが、醤油を入れたのがまずかったらしい。ちなみに彼女は保育士になりたいと言っている。僕は彼女にとっての擬似園児なのかもしれない。

 彼女の作ってくれたクリームシチューを二人で食べ、残るシチューのルーは皿に移して冷蔵庫へ入れる。


「今日もしてたの?」


「何を?」


「夕焼け眺めて黄昏たそがれるやつ」


「うん」


「毎日?」


「よっぽど悪天候じゃなければね」


 ソファに二人で座りながらそんなやりとりをする。目の前のテレビで流れてるクイズ番組が彼女の興味を惹いたらしく、自信満々に「これわかる!」と立ち上がって答えていた。思いっきり不正解だったので爆笑してやったらぽかぽかと殴られた。こういう小さいことでじゃれあえる関係は、これからも保っていきたいと思う。


「じゃ、そろそろ帰るね」


「来てくれてありがと。送ろうか?」


「おっ、たまには男らしいこと言うじゃん。でも大丈夫。私これでも警戒心強めだからね」


「警戒心強い人がボディガードを付けずに?」


「君にボディガードは務まらぬ」


「辛辣だ……」


 そこから一言二言話して解散した。振り返り見渡せば、当然そこには誰もいない。さっきまでの賑やかさはどこへやら、初めから無人であったかのような静けさだけが漂う。

 縁台に通じる窓から空を眺める。黒い布にガラス片を散らしたみたいに、きれいな星の輝きが目に映った。視線を落とせば、さっき別れたばかりの彼女の後ろ姿が見えた。彼女もまた、夜空を見上げているようだった。





『今日もお邪魔するね』


 そう連絡が来たのはついさっきのこと。チャットの画面が表示されたスマホを片手に、昨日のことを思い出していた。

 久しぶりに彼女と会って話し、改めて誰かと笑いあえる心地の良さに何を思ったのか。まだ夕暮れ時でもないのに、気付けばいつもの縁台で膝を抱えながら物思いに耽っていた。

 昨夜彼女の後ろ姿が遠ざかるのを見た通りから、彼女がこちらへ向かってくるのが見えた。僕がいつもより早くここにたたずんでいるのを見越したみたいに、彼女がここへ訪れる時刻もいつもより早い。僕に気付くと、小さく手を振ってきたから同じように返す。「微笑ましいな」なんて、他人事のように思った。


 部屋に上がった彼女は荷物をおき、そのまま僕の隣へ腰を降ろした。


「いつもこんな早くからいるの?」


「いや、今日は偶然」


 彼女も違和感は感じていたらしい。すると彼女は、手に持っていた二つのもののうち一つを僕に差し出してきた。


「ホットミルクティー買ってきたから、一緒に飲む?」


「寒くないよ」


「私は寒いの」


 少し冷たい返事になってしまった気もするけど、きっと彼女は、僕が本心でこういう態度をとってるわけではないと知ってくれているはず。優しい表情を意識して受け取れば、すぐに顔に笑みを浮かべてくれた。

 貰ったミルクティーを一口飲み込む。熱が体の中心から広がっていくような、不思議な感覚になった。


 心が穏やかになったところで、彼女が訊いてきた。


「どうしていつもこの時間ここにいるのか、聞いてもいい?」


 視線だけ隣に向けると、目が合った。目尻が垂れ気味で優しい雰囲気があるが、無感情を示すような動かない口元と相まって、どこか悲しそうな顔に見えた。


「僕の親が離婚したのは知ってるだろ?」


 彼女が静かにうなずく。僕は続ける。


「両親が共働きでさ、小学校に入学した頃から家で一人のことが多かったんだ。友達と公園で遊ぶことはあったけど、親と一緒の時間っていうのはやっぱり少なくて。休日出勤なんてのも珍しいことじゃなくて、家族で遠くに遊びに行くこともなかったから、家族の思い出なんてこれっぽっちもなかった」


 小学生の頃の、家でもずっと忙しそうにしていた母親の姿を思い浮かべながら語る。一人で喋り続け、飽きられてないか心配だったけど、隣は確認せずに僕は更に口を動かす。


「だから自分も少しは母親の手伝いをしようと思って、仕事で帰ってくる前に家事を手伝おうとした。掃除とか食器洗いとか料理とか。初めの頃は失敗ばかりして、かえって家事の負担を増やしてしまったのは今でも申し訳ないって思ってる」


 それでも、母さんは僕のことを叱ったりはしなかった。それどころか感謝もしてくれた。そして謝罪もしてきた。いつも遊んであげられなくてごめんなさい、って。

 口が乾いてきたから、貰ったミルクティーをまた口に含み胃に落とす。だいぶ冷めてしまっていた。右隣に座る彼女は俯いて黙っていた。てっきり「料理は今でもだめだめだけどね」とか言ってくると思ってたから意外だった。


 空が薄くレモン色になってきた。見上げて続ける。


「でもある程度家事をこなせるようになってからは、母さんが家で落ち着けるようになったのが子供ながらに分かった。一緒にクイズ番組とか観たりゆっくり話す時間も増えた。そしてあるとき、僕を庭の縁台に連れてきた。丁度この場所。母さんが右側に、僕が左側に座って。そこで見た夕焼けは本当に綺麗だった」


 今よりも暖かい秋。ちょうど葉が赤や橙色など、秋らしさを彩るような色に変化する頃。揺れる紅葉や公孫樹の木とともに視界を赤く染め上げる濃紅色の太陽が映る景色は、ずっと脳内に焼き付いている。


「言葉にできない感動を味わった僕は、母さんの空いてる時間を察していつもここへ誘った。母さんは一度も断らなかった。座る位置も一緒だった」


 今彼女が座っているのは、かつて母さんが座っていた場所。それに悪い気はしない。


「事の経緯いきさつは分からないけど気付けば離婚になっていた。父さんに引き取られるのも意外だった」


 離婚関連は、何を訊いても父さんは頑なに答えようとしない。父さんの事は元々好きじゃないが、余計に嫌悪感が増した。


「もしかしたら、母さんに見捨てられたのかなって思った。優しい人だけど、その優しさにつけこんで我儘を言いすぎたのかもしれない。すごく悲しかった。自分のせいでこんなことになってしまったのかなって。母さんが僕から離れたのは、僕の存在は邪魔だからなのかなって」


 俯いたままの彼女が「そんなことない」と、小さく呟いた。


「少し経ってから、一人でここに座ってみた。綺麗な景色だけど、寂しかった。ここで夕焼けを見ると、蓋をしていた母さんとの記憶を思い出すんだ。でも現実を見れば、その記憶はただの過去で、今ではもう手に入らない。だからここにいる時間は、好きな時間じゃない。けど昔の思い出に浸るだけなら、それはとても落ち着く時間。安らぎを得られる。そして母さんとの記憶を忘れないための儀式でもある。こうすることで想起される記憶を手放したくないから。それが理由」


 一気に話し終え、小さく溜め息を零す。ミルクティーを飲み干し隣を伺うと、彼女も僕と同じように膝を抱えて座っていた。


「そっか……ちゃんとした理由があったんだね」


「うん、だから一人暮らしするにも、なかなかその気が起きない。この場所じゃないと、家族との唯一の思い出すら失ってしまうかもしれないから」


 僕と彼女を包み込む空は既に紅に染まっていた。


「僕は自分の父親みたいになりたくない。まともな職に就いて、もし家族ができたときには、家族との時間も大切にしたい。だから公務員を目指してる」


「うん、立派だと思うよ」


 彼女が優しく微笑みかけてくる。穏やかな眼差しを向けてくるその表情は、落ちかけてる夕日に照らされ見惚れてしまうくらい美しかった。きっと僕にも、同じ光が浴びせられてる。

 緊張した筋肉をほぐすように体を伸ばした彼女は、僕に向き直って言う。


「応援するよ。一緒にがんばろうね」


 この独白と彼女の存在が、僕のこれからの決意を後押ししてくれたように感じた。

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