祓の儀(三)

 母屋もやに戻ると、部屋でテンコが待っていた。テンコには、身支度を手伝ってもらうことになっている。着付けはもう済んだが、髪はただ梳いただけでまだ何もしていないので、今から結ってもらうのだ。


 だが、どこかテンコの様子がおかしい。よくよく目を凝らしてみると、テンコの背丈はいつもより三寸ほど縮んでいた。


「テンコ様、なんかいつもより小さくなってませんか?」

「今日は祭祀用に分身を増やしておりますので」


 テンコは澄まして答える。


「え! 分身増やすと背が縮むんですか?」

「変化が得意な者ならこうはなりませんが、わたくしは変化の術が不得手でして。だから化けても尾や耳が残ってしまいますし、分身を増やせばどんどん小さくなってしまうのです」


(なるほど。だからいつも十かそこらの少女の姿をしているのか)


 ――あの可愛らしい姿に、こんな秘密があったとは。


 桔花と話している間もテンコは手を止めず、あっという間に桔花の髪を結い上げていく。

 あえてまげを小さく結い、余った長い髪を垂らす。

 かんざしがないので一見地味にも思えるが、華美なものを好まない桔花からすれば、なかなか粋な髪型であった。



 髪を結い終わると、今度は祭祀用の面と剣を渡される。


 面は、以前借りた狐の面とは違い、目の部分に穴が開いただけの、白く簡素なものだった。

 面をつけるといつもより視野が狭くなるが、桔花は花楽の舞台で慣れているので問題ないだろう。


 剣の方は、長くて重そうな青銅製のものだ。

 桔花の細腕では持ち上げられぬ代物のように思われたが、桔花は右手で柄を握ると、ひょいっと軽く持ち上げてみせる。そのまま片手で何度か剣を振った。


(うん、やっぱり箒よりしっくりくるな)


 桔花は障子戸を開けて庭に出ると、剣を手に舞い始めた。

 面をつけているせいで足元がよく見えない。時折、敷き詰められた砂利に足をとられそうになるが、それでも桔花は気にせず舞う。

 

 軽く動きを確認するだけのつもりだったのだが、右腕にかかる銅剣の重みが懐かしく、つい熱が入ってしまう。 


 突然、「あけさま」とテンコの呼ぶ声がした。桔花が舞をやめ、何気なく自分の足元に目をやると、そこは池の淵すれすれの場所だった。

 

(危ない危ない)


 儀式の前に池に落ちたりしなくてよかった。


 そしてテンコに促され、桔花は母屋を後にした。



 桔花は落ち着いた足取りで神楽殿へ、一歩、また一歩と歩を進めていく。後ろでは、衣に泥がつかぬよう、テンコが裾を持ち上げてくれている。


 舞台上には楽器を持った分身たちが、すでに控えていた。桔花は壇上へと続く短い階を一段一段上っていく。

 桔花が舞台に姿を現すと、あやかしたちから歓声が上がった。


(久しぶりだな、この感覚)


 桔花は観衆に背を向けると、神楽殿の奥の方を見据える。

 神楽殿の奥には祭壇があり、木でできた形代がたくさん並べられている。境内に入れないあやかしたちの代わりに、この形代を使って祓の儀を執り行うのだ。


 祭壇のさらに奥は少し開けた空間となっているのだが、今は御簾が下がっており、御簾みすの向こうにいる者の顔は見えない。


 桔花は銅剣をおしいただくように一礼すると、片手で剣を構えた。

 

 しばしの間、舞台は静寂に包まれる。


 その静寂を打ち破るかのように、突然、分身の一人が高く鋭く笛を吹いた。それを皮切りに、太鼓や鉦鼓が激しく打ち鳴らされる。

 そして、桔花の剣舞が始まった。


 桔花は幾重にも重ねた衣を翻し、剣を振る。

 何もない宙を切り、突き、そして時には剣を受け止めるような動きをする。まるで目の前に誰かがいて、本当に剣を交えて戦っているようだった。


(やっぱり舞台で踊るのが一番だな)


 激しい笛と鼓の音。右腕にかかる銅剣の重み。


 そのすべてが桔花を高揚させ、剣を振る手にも床を踏む足にも、より一層力が籠る。

 儀式の本来の目的なんてものは、今の桔花の頭にはなかった。


 こうして舞うことがただただ楽しい。それだけしか桔花の中にはなかった。


 ――曲が終盤まで差し掛かった頃、桔花は不思議な感覚に包まれた。


 黒姫の妖力とは違う、もっと温かくて心地よいもの。

 先程、シヅキが加護を授けてくれたときとは違い、内側から力がみなぎってくるような感覚。


(これが神力か……)


 曲はそろそろ終わりを迎える。

 桔花は銅剣を両手で高く振りかざすと、シュッと音を立てて勢いよく宙を切る。太鼓の音がひと際大きく響き、桔花の剣舞は終わった。


 その時、神楽殿を囲んでいたあやかしたちから拍手が沸き起こった。

 だが、一番肝心な清めの舞は終わっていない。

 

 すぐさまテンコが祭祀用の鈴を持って壇上に上ってくる。

 桔花は肩で息をしていたが、テンコから鈴を受け取り、代わりに銅剣を渡すと、即座に呼吸を整えた。


 そして息を深く吸うと、桔花は朗々と謡い始めた。今度は楽の音はない。


 歌に合わせ、くるくると回りながら四方に向けて鈴を振る。

 桔花が鈴を振るたびに、何もない宙から光の粒が現れる。光の粒はふわりと床に落ちると、一輪の花へと姿を変えた。


 ――「淡雪あわゆき調しらべ」。


 霧ノ国では、ちょうど雪解けの時期にやるものだ。

 淡雪とは、地に積もらずすぐに溶けて消えてしまう春の雪。その儚さを表現しつつ、無事冬を越し、春を迎えたことを祝うのが、淡雪の調なのだ。

 だから淡雪の調は花楽師の張った結界内に雪を降らせ、同時に春の象徴たる花を咲かせる。


 大がかりな演出をする分、霊力の消耗も激しいため、本来なら舞手数人と囃子方が揃わないとできないが、桔花は今日の儀にあえてこの演目を選んだ。


 一つは、シヅキの神力を借りれば事足りると考えたから。


 もう一つは、あれほど大人数の穢れを祓うには、その場ごと浄化した方が早い。そのためには、古式ゆかしき演目の中で「淡雪の調」が適当だと考えたからだ。


 ――桔花が舞うたび、群青の衣がはためき、しゃらんしゃらんと鈴が鳴る。


 今の桔花はシヅキの神力を使っているため、結界の範囲も自ずとこの山全体となる。そのため、今や光の雪は神楽殿の舞台にとどまらず神社全体に降りしきり、境内一面に花が咲き誇っている。

 

 そして神楽殿には、雪と共に薄紅色の花びらも降っていた。

 

 祭壇には、見事な花をつけた桃の木が一本。

 神楽殿の屋根を突き抜けんばかりの大きさで、ひらひらと花弁を落としている。


 これは形代が清められたことを示すものだった。「淡雪の調」は、土地全体が清められ、不浄な気を放つものがなくなると、美しい花木が一本顕現する。


 薄紅色の花びらと雪が空を舞う中、桔花はくるくると回り、鈴を鳴らす。その様はまるで、桃の精が花びらと戯れているかの如き光景だ。


 桔花が桃の木に向けて三度鈴を鳴らすと、祭壇の桃の木を残して、雪も花も跡形もなく消えた。

 その瞬間、神楽殿の周りがどっと沸き上がる。

 

 拍手喝采の中、祓の儀は無事終わりを迎えた。

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