黒猫亭(一)

 網代車から外を覗いてわかったのだが、シヅキの神社は町からだいぶ離れた山の上にあるらしい。「黒尾神社」と刻まれた扁額の掛かった朱塗りの鳥居の先には、長い長い石畳の階段があり、そこをずっと上った先にある二の鳥居を抜けるとやっと本殿にたどり着く、といった具合である。


 様々な商店の立ち並ぶ表通りを抜け、裏通りをずっと進んだずいぶんと奥まった場所に黒姫の店はあった。黒尾の地一帯を仕切る力のあるあやかしというからには、表通りの華やいだ場所に店を構えているものかと思っていたが、わざわざこんな辺鄙な場所に店を構えるとは相当なもの好きか、はたまた商売的な理由があってのことか。


 そんなことを頭の片隅で考えながら、桔花はふらふらと網代車を下りた。


 いわく付きの車に半刻(一時間)近く揺られている間、桔花は外の景色を眺めてなんとか気を紛らわせようと努めたが、そううまくはいかないものである。


 ――ああ、できることならこのまま胃の腑の中身を全てぶちまけて楽になってしまいたい。


 しかし桔花の乙女としての矜持が、そうはさせじと押し留めている。


 桔花が欲と矜持の狭間で葛藤している様子を見て、シヅキは眉をひそめた。これは桔花を心配しているがゆえの表情なのだが、いつもの冷ややかな目に顰められた眉が加われば、それは糞尿以下の存在に向けるような侮蔑を含んだ表情にも見える。


 そんな視線をふいに向けられれば肝が冷えると同時に、桔花の全てを吐き出したい欲求と乙女の矜持はどちらも引っ込んだ。


 

 黒姫の店は外壁が煉瓦で造られた、三階建ての洋館だ。一階の壁の一部は硝子張りになっていて、華やかな着物を着た木彫りの人形が中に見える。その上に看板があり、「黒猫亭~美しいものならなんでもあります~」と書かれている。


(不思議な建物だなあ)


 桔花は大きな洋館を見上げる。一介の商店というにはあまりにも大きく、どちらかといえば屋敷に近いかもしれない。


 大きな店は入り口も大きく、扉の両脇には看板がある。左側の看板には流麗な字で「美しい女妖は大歓迎」と、右側の看板には乱雑な字で「男子入店固くお断り」と書かれている。右側の看板からは誰かの煮えたぎるような怒りが感じられ、簡素な看板であるにもかかわらず、物々しい雰囲気を醸し出していた。


(変わった店だな)


 それが桔花の率直な感想だった。


 まだ店が開いていないので、桔花たちは裏口の方に回る。


 シヅキが扉を叩くと、中から「はーい」と女の声がする。しばらくして扉が開いたが、中から出てきた女の姿を見て桔花はぎょっとした。


 なんと、女は大きな三毛猫の姿をしていたのだ。それなのに、手だけは人間と同じ形をしているから余計気味が悪い。いわゆる化け猫というやつだ。


(そっか、あやかしってこういうものだよな)


 今までシヅキやテンコのように、いくつかの点を除けば人間と大差ない姿の者しか見ていなかったから忘れていたが、あやかしとは本来異形の者ばかりなのだ。絵巻物で見る妖怪も、みな恐ろし気な異形の姿をしている。


「まあ、シヅキ様でございましたか。女将なら三階にいますよ。……あら、そちらの方は新顔で?」


 化け猫女が桔花の顔を覗こうとしたので、とっさにシヅキの後ろに隠れる。


「事情があって少しの間うちで面倒を見ることになった」


「なるほど、訳アリですね。ご安心を。我らは女将の忠実な眷属。女将の大切な方であるシヅキ様の不都合になるようなことは致しませんわ」


「それなら人の布団に勝手に潜りこむのはやめるよう、君からも言ってくれ」


 入口の看板があるにもかかわらず、どういうわけかはすんなり中に入れてくれるようだった。


 シヅキが店の中に足を踏み入れた途端、長い銀髪が桔花の視界を遮るようにふわりと舞った。次の瞬間、桔花の目に映ったのは、氷のように冷たい美貌を持つ女だった。


 腰まで伸びた長い銀髪に、桔梗色の瞳。しなやかな肢体を持つ女の正体は――。


「……シヅキ様?」


「なんだ?」


 目の前の美女が振り向いた。涼やかで凛とした声は、いつもよりも幾段か高くなっている。


(ああ、なるほどね)


 桔花はなんでもありませんと空笑いしてごまかす。男性客お断りの店に入るためだけに女に化けるとは、人間の桔花には想像もつかない方法だ。


 いつも恐ろし気なシヅキの意外な一面を見たことが嬉しかったからか、桔花の口角はにんまりと上がった。



 店に入ってすぐのところは、作業場になっていた。化け猫たちが机に並んで針仕事をしている。全体が猫の姿をしている者、頭だけ猫の者、耳と尻尾以外は人間の姿をしている者など、化け方は様々だ。しかし奇妙なことに、皆手だけは器用に人間の手に変えている。猫の手も借りたいと言うが、さすがに猫の手では作業ができないからだろう。


 突然、狂ったように大声で歌い出す化け猫がいたが、別の化け猫が二匹がかりで別室へ引きずっていった。それ以外の者たちは何事もなかったかのように作業を続けている。


「恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません。大口の注文がいくつか入ったものですから、ここのところみな寝ていないのです」


 よくよく見ると、人の顔をしたあやかしの目の下には、くっきりとくまがついている。


 奥の机に先日桔花が選んだ布地が見えたような気がして、桔花は少し申し訳なくなった。


 桔花たちを店に入れてくれた化け猫も作業に戻る。邪魔になっては悪いので、桔花たちはすぐに作業場を出て三階に向かった。


 桔花の前を歩くシヅキの足取りは慣れたもので、黒姫の部屋まで迷うことなくたどり着いた。


(何度も女に化けて通ってるんだろうな)


 ついあれこれ邪推してしまうのは桔花の悪い癖である。


 人は見かけによらないとはよく言ったものだ。


 誰にどんな趣味があろうと、他人に迷惑をかけない限り決して否定してはいけない。それに、似合っているのだからいいではないか。


 桔花は生暖かい目でシヅキを見る。


 桔花にそんな風に思われていることなどつゆ知らず、シヅキは黒姫のいる部屋の扉を開く。


 すると、黒い塊がものすごい勢いで飛び出してきてシヅキに絡みついた。


「シヅキ! 思ったよりも早かったのう! わらわと会うのがそんなに待ち遠しかったのか!」


 出てきたのは、小柄で愛らしい少女だった。


 黒地に金糸の刺繡の入った着物は、袖や裾の広がっており、面妖な形をしている。中に着た下衣もまた面妖で、ふわりと広がるひだが襟や袖、裾から覗いていた。長く波打つ黒髪は、高い位置で二つに括ってある。


 室内であるにもかかわらず赤い番傘を差す少女は、見たことがないはずなのだが、桔花はなぜかその琥珀色の瞳に見覚えがあった。


「まさか、黒姫様?」


「おお! いつぞやの枕娘! 前より美しくなったなあ」


「……その呼び方は色々と誤解を招きそうなのでやめてください」


 黒姫は満面の笑みを浮かべる。ちらりと見えた八重歯が可愛らしい。以前よりもシヅキにべたべたとまとわりついているのは、気のせいではないだろう。心なしか、シヅキの顔が引きつっているように見える。


(今までの発言といい入口の看板といい……黒姫様はそっち系の人なんだろうか)


 そっち系がどっちなのかは言わずもがな。


 シヅキは引っ付いてくる黒姫を必死に押し返しながら、本題を切り出す。


「黒姫、用があるのは私ではなくこちらの娘の方だ。彼女の霊力について話を聞きたい」


 黒姫はシヅキにべたべたするのをやめ、桔花の方に向き直った。くるりと回った番傘が、シヅキの顔に当たる。


 黒姫は桔花の顔をむんずと掴み、自分の方に引き寄せる。おかげで桔花は前につんのめりそうになった。琥珀色の瞳が、じっとこちらを見つめている。


「そういえばそなた、我が君と似たような色の目をしておるな。流行っておるのか?」


「黒姫様の言う我が君が誰なのかは存じ上げませんが、流行っておりません」

 

 黒姫はじっと桔花の瞳を覗き込む。なんだか心の内まで覗かれているようで居心地が悪く、桔花は身じろぎした。


「体を巡るはずの霊気が滞っておるな。シヅキの頼みだし、特別にわらわが直してやろう」


「ありがとうございます」


 霊力が戻るということでほっとしたのも束の間、黒姫はとんでもないことを言った。


「そなた、誰かと契約を結んでおるな?」

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