隠世の神社(二)

「テンコいちったら、本当愛想がないっていうかー」


「わかるわぁ。いくら仕事ができて器量よしでも愛想がないとだめよねー」


 八つのたおやかな尻尾が、目の前でゆらゆらと揺れている。尻尾が揺れるたびに、桔花も目で動きを追う。


 湯殿までの道すがら、二人の神使はこの調子でずっと駄弁っている。顔も声も何もかもがそっくりなため、先程は本当にテンコが増えたのかと思ったが、口調や話の内容から察するに、この二人はテンコとは全く別の神使のようである。今はテンコの陰口で盛り上がっている。


 なんとも珍妙なのは、こんなにもずっとしゃべっているのに終始情感のない話し方をしていることだ。おまけに表情もずっと変わらない。それなのにやたら芝居がかった仕草をするので、なんとも言い難い奇奇妙妙な光景である。


「ちょっとテンコ二、髪が乱れてるわよー」


「あらやだ、乙女失格ねぇ」


(いやどこも乱れてませんでしたけど)


 考えれば考えるほど混乱するので、桔花は二人の揺れる尻尾を見て精神統一していた。


 湯殿に着くと、桔花はあれよあれよと言う間に服をがされ湯をかけられ湯船の中に放り込まれた。そうすると二人の神使は自分たちの仕事は終わったとばかりにおしゃべりを再開する。



「そういえばそろそろテンコ四が帰ってくる時間だわー」


「今日は何を買ってきてくれるのかしらー」


「今日はシヅキさまのおつかいで黒姫様のお店に行くって言ってたからあそ……視察に行く暇はないんじゃないのー?」


 相変わらず無表情で情感のない話し方をしている。そういえばさっき「テンコ四」と言っていなかっただろうか。


(え?こんなのがまだいるの?)


 安直な名付けだなあ、などと頭の片隅で考えながら、四人のそっくりな神使が一同に介しているところを想像した。神使達は桔花の頭の中で五人六人とどんどん数を増やしていく。


(神使が百九十七匹、神使が百九十八匹、神使が百九十九匹……)


 二百人にまで増えたところで頭がぼうっとしてきた。もう長いこと湯に浸かっているのでのぼせてしまったらしい。もう色々無理だと思い桔花が立ち上がると、二人の神使は同時にこちらを向いた。


「あらぁ、もう出るんですか。テンコ三、手ぬぐい」


「テンコ三は手ぬぐいじゃありません」


 そのやり取りを見て、桔花はつい吹き出してしまった。桔花がまだ見習い楽師だった時、座学の時間中に催した他の見習い楽師が「先生、便所!」と元気よく宣言したところ、「先生は便所じゃありません!」と鋭い返しを食らったことがあった。桔花も最初は肩を震わせながらも堪えていたのだが、その時のことがありありと思い出され、とうとう堪えきれずに声を出して笑ってしまった。


 湯殿というのはなぜこうも声が響くのだろう。桔花の笑い声は湯殿全体にこだました。


 腹がよじれるほどひとしきり笑い、少し落ち着くと手ぬぐいが差し出された。狐耳のついた愛らしい白髪の少女が、桔花を上目遣いでじっと見つめてくる。


「面白かったですか?さっきの」


 先程まで熱を帯びていた頭が、一気に氷点下まで冷えるのを感じた。


(やってしまった)


 神使達があまりにもひょうきんなものだから、桔花もつい気が抜けていた。


 あれほど大笑いされれば、自分より下位の存在である人間に馬鹿にされたと腹を立てるのもうなずける。是と答えればそれを認めるも同然だし、否と答えればではなぜ笑ったのかと聞かれるだろう。また、噓をついても何か超常的な力で見抜かれるかもしれない。

 

 無表情の相手の意図を読み取ることは難しい。もしこの神使達がもうほんの少しでも表情豊かであれば、ここまで気を張る必要もなかっただろう。


(とりあえず面白かったと言うとして、言い訳を考えよう)


 桔花があれこれと思考を巡らせているうちに、テンコはさらに詰め寄ってくる。ただ可愛らしい顔が近づいてくるだけで気迫も何もないが、よくわからない存在が表情を全く変えずに迫ってくるというのはなんとも言えない恐ろしさがある。


 桔花は観念した。


「正直に申し上げますと、大変面白うございました。ですが決して神使様を馬鹿にしたわけではなく、実は私の知り合いに依里よりという娘がおりまして……」


「本当ですか?」


「はい?」


「今のテンコたちのやり取り、本当に面白かったですか?」


 かなり食い気味に聞いてくるので、桔花は若干引きながら「はい」と答えた。


 それを聞いたテンコ達は、手を取り合って喜んだ。「やったあ、やったあ」と言いながら、交互にぴょんぴょん飛び跳ねている。


 気に障ったわけではなさそうだとほっとしたのも束の間、突然変わった空気に一人取り残された桔花は、今度は呆然とした。ここに来てからというもの、頭の中が忙しい。


(とりあえずもう上がるか)


 桔花は平静に手ぬぐいで体を拭き始めた。神使二人はいまだ楽しそうに飛び跳ねている。途中、濡れた床に滑って転んでいたが、なんともなかったかのように続行していた。やはり人間とは体のつくりからして違うのだろう。


 脱衣所には、また新たな神使が桔花の着替えを持って控えていた。やはりテンコと見た目はそっくりで無表情だった。なぜ今まで会った三人の神使とはまた別の神使だとわかったかというと、なんとなくやる気のなさが感じられたからだ。二人の神使が話していたテンコ四というのはこの神使のことだろう。


「こちらお着替えです。あ、りんご飴いります?」


 言いながら帯の後ろからりんご飴を取り出し、桔花に差し出してくる。桔花は礼を言って着替えだけを受け取った。


 それをいらないという意思表示だと受け取ったのか、神使は袋を外してりんご飴を舐め始める。なかなかりんごに到達しないことに痺れを切らしたのか、途中から飴を歯で砕きながら食べ進めていく。


 神使がりんご飴を食べている間に、桔花は着替えを済ませる。梔子色くちなしいろの地に落ち着いた柄の小袖は誰が選んだのか、なかなか趣味が良いと思った。


「では食事の用意ができましたので、居間までご案内いたします」


 神使はそう言って軽く頭を下げると居間に向かって歩き出す。


(なんか変に気を張ってたこっちが馬鹿みたいだ)


 ここに来てからというもの、神使たちからは至れり尽くせりの好待遇を受けている。つかみどころがないが悪いお狐様ではないようだし、せいぜい放り出されぬように大人しくしていれば大丈夫だろう。もしシヅキや神使たちに見捨てられれば、桔花は魑魅魍魎の跋扈するあやかしの地に一人放り出されることとなる。それだけは避けねばなるまい。


 神使の背丈は、桔花より一尺近く低い。りんご飴をがりがりと齧りながら歩く神使を見て、桔花は行儀悪いなあと思いながらも桔花は黙ってついていった。

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