第6話 侍従と書いて不憫と読む

 夜会を頑張った君にご褒美をあげたい、と申し出たアースに、フロラは首を傾げた。


「あの夜会は、成功だったんでしょうか?」


「もちろん。イザークがあからさまに親しげに振る舞って周囲に釘を刺していたのもあるが、何よりあの夜の君を直接目にして、軽んじるような奴らなどみんな居なくなったよ」


 君が頑張ってきたことの成果だ。だからご褒美を、と繰り返すアースに、フロラはそれならと希望を告げた。


「じゃあ、そろそろ本格的に仕事をください」


 公爵邸の薔薇が咲き乱れる庭に設置された瀟酒しょうしゃなガーデンテーブル。目の前には整った美貌と大人の男ならではの色気で数々の女性たちを虜にする公爵。

 花を愛でながら美味しい紅茶を楽しむ婚約者同士の語らい──とはほど遠い仕事という単語。


「聞き間違いか? 俺は今ご褒美の話をしていたんだが」


「もう一度言った方がいいです? そろそろ仕事をください」


 アースがゆっくりと額を覆ったのを、フロラは胡乱うろんげな目で見る。


「何ですか、その反応? 夜会の目的は今後の仕事に向けた足場固めだったでしょう。それが終わったのでいよいよ仕事に臨みたいと言ったんですが」


 アースは左右に首を振る。ご褒美と称したからには、例えば美味しいスイーツが食べたいとか二人で外出がしたいとか、そういう回答が来ると想定していたアースは、そんな数分前の自分に向けて見通しが甘いぞと叱咤しったした。


「なるほど──仕事については、考えておこう」


 あいまいな回答を残して、サッと立ち上がる。


「俺は予定があるからそろそろ行く。君はゆっくりしていてくれ」


 風のように立ち去ったアースの後ろ姿を見て、フロラは背後を振り返った。


「エバ」


「はい、フロラ様」


「あれって逃げたのかしら?」


「アース様はフロラ様のことを大切に思われているので、当初の予定とは異なり、あまり危険な事はさせたくないとお考えなのだと思います」


「それは困ったわね」


 今さらそんな方向転換は望んでいない。ここは是が非でも当初の予定通りになるよう軌道修正しなければ。


「アースはどこに行ったの?」


「騎士団の様子を見に行かれたのかと」


「騎士団って、アースが団長を務めている、王直属の騎士団よね?」


「左様でございます。騎士団団長は名誉職ですからさほど通われる必要はありませんが、アース様はたいていお昼過ぎには騎士団へ顔を出すようにされています」


「そう」


 騎士団。この国で何か異変があれば、一番に出動する部隊である。これから先、フロラが仕事をするときには共に動くことになるだろう。


「ちょうどいいわ。エバ、差し入れのお菓子を用意してくれる? 騎士団の人たちが好みそうなもので」


 エバはすぐに了承を返した。








 優秀な侍女の手を借りサクッと準備をして馬車に乗り込み、揺られること十数分。馬車に入った家紋のおかげで、騎士団の本部まで見事にフリーパスだった。


「着いたのはいいけど、アースはどこにいるのかしら?」


「流石にそこまでは。入ってみて、団員に聞いてみましょう」


 差し入れのたっぷり入った大きなバスケットを涼しい顔で持つエバが扉を押し開けると、中にいた数人が目を剥いてこちらを見た。


「美しいご婦人がいる」


「女神みたいだ」


「尊い」


「素敵だ」


 ざわざわと何かを呟きあってから、おずおずと代表の一名が立ち上がる。


「ご婦人……? ここは貴女のような女性が訪問されるようなことのない、むさ苦しい場所なのですが」


 恐る恐る声をかけられたので、フロラはにっこりと微笑んでみる。


「アース・ゼルラント公爵はいますか?」


 その名に、団員は訝しげな顔をする。


「団長には何のご用で?」


「婚約者のフロラと申します。差し入れをお持ちしました」


 瞬間、その場は阿鼻叫喚の様相を呈した。


「あ、ああああアース団長の、ごごご婚約者様!?」


「あの方、女性と婚約するとかできたのか!?」


「あの無表情と、目つきと愛想と態度の悪さでどうやって!?」


「やはり顔か!! 顔なのか!?」


 奇声を発する団員たちにフロラがちょっぴり引いていると、ささっと前に出たエバが一番近くにいる団員の胸ぐらをおもむろに掴み上げた。そして至近距離でひと言。


「アース様はどこですか」


 屈強な団員が「ひぇ」と声を上げるのをフロラは確かに聞いた。


「ご、ご案内致しますです!!」


 びくびくする団員の後に続いて建物を抜ければ、広い演習場に出た。

 アースはその中央で団員相手に剣を振るっている。まだ少し距離があるのに、カン、カンッと剣を打ち合わせる音と振動がここまで響いてくる。

 さらに表情が見えるところまで近づいてみれば、今のアースはいわゆる仕事モードの状態らしい。いつもフロラに見せるリラックスした表情とは違い、鋭く厳しい眼光で部下達の動きを見定めている。

 フロラは見慣れない様子に、思わず声をかけるのを忘れて立ち止まった。


「お前は脇が甘い! 戦場なら横薙ぎですぐ殺されるぞ! 次!」


「ありがとうございました!」


「お前は剣に体重を乗せるのが遅い! 剣戟が軽すぎる! 次!」


「ありがとうございました!」


 周りにはすでに限界まで絞られたらしき団員たちが死屍累々と倒れている。決して団員たちが弱いのではない。アースが圧倒的すぎるのだ。

 全員打撲のみで血を流している様子はないので、使用している剣は模造剣らしい。


 騎士なのだしあれくらいは慣れっこだろうから、この程度なら治癒は要らなさそうね、とフロラはあっさり流す。


「お前は動きが鈍い! 脚さばきをおろそかにするな! 次!」


「ありがとうございました!」


「お前は剣筋がブレている! 体幹を」


「アース、お疲れ様です」


「フロラ?」


「ぎゃあ!」


 うん? と見れば、アースがうっかり手を滑らせたのか、地に倒れた団員の足の間すれすれの地面を剣が深々と貫いている。まあ、刃を引いた模造剣がどうやったらあんなにぐっさり突き刺さるのかしら。

 被害に遭った不幸な団員は半泣きで震え上がっている。


「フロラ……! どうしてこんな所にいるんだ」


 哀れな部下を丸無視して駆け寄ってきたアースの口に、フロラはとりあえずバスケットから取り出した焼き菓子をひとつ放り込んでやる。体力を使った後は甘いものが一番。


「差し入れを持ってきました。騎士団の皆さんにも」


 撫然とした表情で焼き菓子を咀嚼するアースの頬を眺めてひとつ頷いてから作法に則って彼の腕を取ると、ポカンとこちらを見る団員たちに改めて向き直る。


「いつもアースがお世話になっています。婚約者のフロラです」


「おい、お前ら見るな。減る」


 親しい距離感で組まれた腕をそのままに、婚約者へ向かう視線を散らそうと威嚇する鬼の団長。信じられない言動を目撃してしまった団員たちが、ひとり、またひとりと腰を抜かした。

 フロラはそんなに驚かなくても、と思いながら話を続ける。


「これから、緊急事態が起こったときには、アースと共に私も同行することになります。なので、皆さんとは先に顔見知りになっておきたくて」


 と言い添えてみたがイマイチ反応が返ってこない。全員が全員、魂を抜かれたようにこちらを凝視したままポカンと口を開けている。

 それなら、とフロラは作戦を変更して、一人ひとりに焼き菓子を配ってみることにした。これなら流石に何か反応が返ってくるはずだ。エバの手からバスケットを受け取り、一人ひとりと目を合わせて丁寧に声をかける。


「お疲れでしょうから遠慮なく受け取ってくださいね。はい、どうぞ」


「あ、ありがとうございま……、ひっ!」


 美女から菓子を受け取って頬をほんのり赤く染めた団員が、次の瞬間その背後に立つ上司の凶悪な殺気に晒されて順に顔色を悪くしていく。

 はたから見れば明らかに、奇妙な一連の流れが出来上がっているのだが、残念なことに当事者のフロラだけが気付いていない。


 ここまでしてもまともな会話にならず、団員との距離が縮まらないことに首を傾げたフロラは、じゃあこれなら! と手を叩く。最終手段だ。


「皆さん、もし良ければ私と手合わせするのはどうですか?」


 ざわり、と初めてまともな反応が返ってきたことにフロラは大きく頷いた。


(これが正解だったようだわ。さすが騎士団。やはり大事なのは実力なのね)


 思えばアースも出会った日に能力を確認してきたのだった。思い出して懐かしい気持ちになった。


「魔法使いとの模擬戦は滅多にできないでしょうし、ちょうど私がお役に立てると思います」


 そんな風に気合を入れるフロラを押しとどめるように、アースが手を取ってくる。


「それはいい考えとは言えないな」


「何故ですか。私が負けるとでも?」


「それはないが」


「アース」


 渋るアースの目を真っ直ぐに見る。


「私を出し惜しまないでください。私がここに来た目的を忘れましたか」


 ここ、というのは勿論騎士団のことではない。人間界という意味だ。

 絶対に譲れない思いを込めて、アースを見つめる。と、アースが天を仰いだ。


「君には敵わない」


「ありがとうございます、アース」


 握られたままになっていた手を持ち上げ、アースの手の甲をなでなでと撫でる。

 すると静かに手が離れていったので、フロラは早速演習場の中央に進み出た。


「さあ、誰から来ます? 全員で来てもらってもいいですよ」


 団員たちは戸惑うようにアースの様子を伺い、彼が動かないのを確信すると騒めいた。たおやかな女性、しかも上司の婚約者を相手に、だれが手を挙げられるだろうか。



「──では、僕が」


 一人の団員が進み出たことで、その他の団員たちに明らかな動揺が走る。


「ええ? ジュドじゃない!」


 あはは、と困ったように笑いながら目の前に立っているのは、いつものひょろりとした体躯を団服に包んだアースの侍従・ジュドだった。

 とても戦えそうには見えないけれど、団服を着ているということは彼も騎士団の一員なのだろう。


「フロラ」


 首を傾げていたフロラが呼ばれて振り返ると、アースが不本意そうに眉を寄せている。


「騙されるな。ジュドは騎士団で俺の次に強いぞ」


「そうなんですか?」


「状況によっては俺より強いかもな。ジュドの得意技は見た目で相手を油断させた上での一撃必殺だ」


「ちょ、アース様! 何でバラすんですか!?」


 ジュドが信じ難い事態に目を剥く。ついでに団員たちも目を剥く。


「団長がネタバレした……」


「ジュド様に一回殺されるのは団員全員が通る洗礼なのに……」


「団長が激甘だ……」


「過保護……」


 頭を掻きむしって、あーもう! と声を上げたジュドがアースを恨めしげに睨む。


「今ので僕の強さの秘訣の七割が消えましたよ!?」


「三割でやれと言っている。怪我させたら消すぞ」


「り、理不尽!!」


 悲鳴を上げるジュドに、フロラは少し申し訳ない気持ちで声をかける。


「あの、何かごめんね。とりあえずあなたのためにも、怪我しないようにきちんと自衛するわ。もちろん模擬戦だから、気軽な気持ちでどうぞ」


「はあ。じゃあもう何かグダグダですけど、行きますね。フロラ様、よろしくお願いします!」


 と言った瞬間、ジュドが消えた。少なくともフロラはそう感じた。常人が知覚できないほど動きが速いのだ。

 瞬きのうちに、フロラの目の前でギンッと刃が弾かれる音がした。

 目の前で鈍く光るのは二本の短いナイフ。それらがフロラの結界によって弾かれた音だ。


「なるほど、油断していると気付かないうちに死んでいるということね」


「なかなか堅いです、ね!」


 ギギギギン!! とナイフの連撃が針の穴を通すような正確さで結界の同じ部分を集中的に襲い、ものの数秒でパリン、と僅かなヒビを入れた。

 フロラは思わずすごい、と呟いてから、容赦なく結界を張り直す。


「ええ、フロラ様ひど! せっかく頑張ったのに!」


「だってナイフが当たったら死んじゃうでしょう」


「当てませんよ!」


 結界に阻まれたジュドは、くるんと宙返りして体制を立て直した。


「次は私からね。火よ」


 フロラが短く唱えた瞬間、ジュドを取り囲むように燃え盛る炎の輪が生まれ、それがだんだん内側に迫ってくる。

 ジュドはすかさず跳躍して抜け出すと、その勢いのままフロラの頭上へとナイフを投擲した。

 しかしフロラは油断せず頭上にまで至る結界を張っていたので、そのナイフも弾かれて地に落ちた。


「まだよ!」


 フロラが手を振り上げるとそれに呼応した炎が、意志を持ってジュドに追い縋る炎の渦となり、空に向かって高く伸び上がる。


「これ、僕の命のほうがマズイのでは!?」


 ジュドは着地と同時に地面に手をつき唱えた。


「土よ」


 瞬間、足元の土がぼこりと盛り上がりフロラはバランスを崩す。


「わ、」


 ほんの一瞬、フロラが足元に気を取られたと同時に、ジュドの刃が目の前に迫っていた。フロラはとっさに叫ぶ。


「雷!」


 正確には雷の元となる小さな電流のようなものだが、それでも威力は十分だ。バチバチ!! と派手な音を立ててジュドの刃を電撃が伝う。


「あつっ!?」


 凄まじい衝撃にジュドがナイフを取り落とし、フロラは攻撃の反動で尻もちをついた。


「そこまで」


 アースの冷静な声が響くと同時に、騎士団員たちの野太い歓声が爆発する。


「こんなにも強力な魔法使いは始めて見ました!」


「夢を見ているようです!」


「さすが団長のご婚約者!」


 中には握手を! サインを! などという謎の発言まで混じっている。


 フロラはゆっくりと立ち上がると、お尻についた土をパタパタと払い落として、ジュドに歩み寄った。


「ごめんなさい。ものすごくビックリしたから、思わず雷を使ってしまって。熱かったわよね?」


 赤く腫れ上がったジュドの手を自分の手で包み込んで、癒しの力を使う。それをジュドは言葉を失ったまま、ただ見ていた。


「土魔法が使えたなんて、知らなかったわ」


「……あれくらいしかできないので使えるというほどでは」


「ふぅん。──あ、ここも怪我を」


 かなり激しく動いていたから、石が飛んだのだろうか。ジュドの頬に一筋血が滲んでいるのを見つけて、フロラはそっと彼の頬を包み込む。

 ふわり、と。真剣にジュドの頬を見つめるフロラの瞳に癒しの光が映り込みキラキラ輝くのを、ジュドは美しい幻に見惚れるような表情で見つめていた。そして次の瞬間、凄まじい殺気に背筋を凍り付かせる。


 ギッ、ギッ……、と錆び付いたような動きで視線を上げると、そこには上司が憤怒の形相で仁王立ちしていた。


「あ、ああああアース様! これは誤解──じゃないや不可抗力です!! わざとではないんです!!」


「ほお。俺の婚約者を至近距離で見つめて鼻の下を伸ばしているように見えたが」


「え。鼻の下も怪我しています?」


「フロラ、治療はもういい。これからコイツはもう少し怪我をする予定だ」


「ええー!? 僕今のでかなり疲れてるんですけど! アース様、やめてください! 許して! 助けて〜フロラ様〜〜!!」


 断末魔とともに引っ張られていくジュドをフロラは呆気に取られて見送った。

 ともに取り残された団員たちを振り返ってみると、彼らはこれからジュドに何が起こるのか理解しているらしく、鎮痛な面持ちで目頭を押さえたりしている。


(……とりあえず今日帰ったらジュドには美味しくて健康に良い特製ミネラルウォーターを。いや、いっそのこと特製ハーブティーでも新しく開発して振る舞ってあげよう)


 フロラは静かに決意した。

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