挿話 それは鮮烈な
彼女は一番初めから、強烈に俺の心を揺さぶった。
俺の生い立ちは、あまり良いものではない。
先代の王の腹違いの弟として生を受けたが、母の身分が少し低かったこともあり、十分な守りも得られないまま、幼少の頃は常に暗殺や誘拐などの危険にさらされて育った。自分の身を自分で守れるような歳になってからは、今度は俺を取り込み甘い蜜を吸おうとする女達の標的になった。
未熟だったかつての俺は、そんな女達に対しても胸を高鳴らせたり優しく振る舞ったりしていたかもしれない。しかし彼女達が見つめているのが俺自身ではなく俺の身分であることを悟ってからは、俺の方も彼女達を効率の良いストレス発散の手段として扱ってやることで心の均衡を保つようになっっていった。
まあ、そんな生い立ちで、傷付いたり精神を病んだりするような柔な性格でなかったのは幸いだろう。ただ全てが面倒になっていたのは確かだ。敵を切り捨てるのにも、狡猾な女達に心を揺らすのにも。
そうして気付けば俺は、何事にもあまり感情が動かない性質になっていた。
そんな俺とフロラの出会いは屋敷の東側にある泉。その泉は建国よりもさらに昔から自然と湧き出続けているという歴史の長いもので、その昔世界の一番初めの神が沐浴に使ったことで聖水が満ちるようになったという言い伝えがある。
と、その話自体は眉唾だと思っているが、とにかくそんな有難い泉を守るという意味合いもあって、古い昔にその泉を敷地内に取り込む形で、この公爵邸は建てられたという。
……まあ、守ると言っても何をするわけでもないのだが。
泉付近の空気は聖水の影響を受けてか、いつ行っても澄みきっている。決して信心深いわけではなく、単にその澄んだ空気が気に入っていて、だからあの辺りはもっぱら俺が剣術を鍛錬する時の定番スポットになっていた。
そしてあの夜。いつも通り俺が一人で剣を振っていると、誰もいないはずの泉からぱしゃんと水を蹴る音がした。
直感的に、単なる動物ではなく人間が立てた音のように感じて、剣を振るのを中断すると俺は泉を確認に行った。
公爵という立場上、暗殺や間諜のリスクは常にある。今回もその可能性を捨てきれないと判断したからだ。
──そうして俺は、月光に照らし出される一人の女性と出会った。
まだ冷える春の夜に、全身ずぶ濡れになりながら立つその姿は異様でもあり、しかしそれ以上にどこか神聖不可侵のように感じられた。一瞬、全てを忘れて魅入られていた事を否定はできない。
しかしどんなに美しくとも公爵家以外の人間が敷地内に入り込んできていることは事実だ。これだけの美貌。もしかするとハニートラップを前提とした暗殺者かもしれない。
そう自分に言い聞かせた俺は、気配を殺して女に近づくと、持っていた剣をひたりと白い首筋に当てた。
暗殺者であれば抵抗するだろうと予想していたが、相手は無抵抗に刃を受け入れ、大人しく俺の腕に閉じ込められた。
あまりにも従順。しかしそのエメラルド色の瞳だけは、恐怖も動揺もなく、ただ意志の強さを持って真っ直ぐに俺を射抜いた。
認めよう。この瞬間、これまでに感じたことのない高揚が心の奥底から湧き上がってきたことを。
結論、彼女は本物の女神だった。圧倒的な白銀の翼でその正体を証明した彼女は、至高の扱いを求めるのかと思いきや、もはや自分は人間だと宣言し、異様なまでに気軽な態度でこちらに話しかけながら俺の屋敷まで──さらには俺の部屋まで付いてきた。
見たところ警戒心が全くないわけでもなさそうだったが、出された水を疑いもせず口に含み、俺の一言ひと言に素直な反応を返す彼女の態度は、あまりにも世慣れておらず危うい。
保護が必要だ。半ばそんな気持ちで婚約を申し出ればそれもコロリと受け入れるではないか。
おかげで、やはり俺が見守ってやらなければと柄にもないことを決意する羽目になった。
そうしてひと月もの時間が経ち、つい先日は、懸命に人間界の作法を学んだ彼女の初めての夜会だった。
準備に使える日数が少なかったにも関わらず、彼女の立ち居振る舞いは完璧だった。そのことに感心しつつもこの夜会は何事もなく終わりそうだと思っていたが、結局そこでも俺は意表を突かれることになる。
会場に出る時間を少しでも先延ばしにしたい甥の言い訳として呼び出された俺が、甥を脅迫──もとい説得して会場に帰ってみると、彼女は何があったのか、一人の女を前に怒りを露わにしていた。
感情が乱れているせいか、到底隠しきれていない威圧感。それと知る者が見ればすぐにわかる。漏れ出した神気が辺りに沈殿し、裁きを受けるべき者に重くのしかかっているのだ。
その鮮烈な威容に俺が感じたのは、歓喜。そして愉悦。
この至高の存在は、俺の婚約者なのだ、と。今この世界でたった一人、俺だけが真に彼女の内側に入る事を許されている。彼女の手を取り、触れ、親しく会話し、家族として接することを許されている。
子どもじみた独占欲と、優越感。
相手の女は腰を抜かして震え上がっているが、哀れとは思わない。慈愛深い性質の彼女を、一体どうやってここまで怒らせたのか。
女を会場の外につまみ出させると俺は、ドクドクといまだ脈打つ心臓をそのままに、彼女の肩を抱き寄せ、そして熱に浮かされたように囁いた。
「君はやはり──最高だ」
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