第3話 侍女と書いて相棒と読む

 王城を辞したフロラはアースの屋敷に帰ってくると、知らぬ間に婚約者用にと整えられていた部屋へ通され、ひとまず椅子に座った。

 なんだか想定よりしっかりと婚約者になってしまったのでは……? などと首を傾げていると、扉がノックされる。


 入ってきたのはアースと、もう二人の人物。


「家の中では、この二人にだけ君の事情を伝えてある」


「ジュドと申します。アース様の侍従をさせていただいております。お困りのことがあれば何でもご相談ください」


「エバと申します。本日からフロラ様の侍女として身の回りのお世話をさせていただきます」


 ジュドは赤い髪を後ろで一つに括り、スーツとメガネを身につけヒョロリとした体躯の元気そうな青年。エバは紺色の髪を結い上げてメイド服を隙なく着こなした小柄な女性だ。

 折り目ただしく頭を下げる二人にフロラはひとまず挨拶を返す。


「フロラです。よろしくお願いします」


 と、アースが首を横に振る。


「君は俺の婚約者になったから、屋敷の者に敬語を使う必要はない。気軽に話すといい」


 そうだった。人間界では身分が上の人との接し方に規範があるのと同様、下の人との接し方も決まっているのだった。


「じゃあ改めて。二人共、これからよろしく。ジュドもエバも、すでに一度会ったことがあったわよね。ジュドは昨日の晩に浴室を準備してくれた人で、エバは今朝王城に行く前にドレスを着付けて髪を整えてくれた人」


 あの時はありがとう、と告げれば、ジュドは「昨晩のことはどうか忘れてください……!」と床に沈没し、エバは照れたように視線を外した。ジュドは賑やかなタイプ、エバは無口なタイプらしい。


「ジュドとエバはこの屋敷に勤めて長いの?」


 訊ねると、沈没中だったジュドがすかさず立ち上がって答える。


「僕たち二人とも、先祖代々ここでお仕えしているんです。現在、僕の祖父が執事長を、エバの母が侍女長を勤めております」


「ということは、生まれた頃からこの屋敷にいるのね。この世界についても屋敷についても知らないことばかりだから、頼りにさせてもらうわ」


 様子を見ていたアースが一つ頷く。


「上手くやっていけそうで良かった。なら俺とジュドは溜まっている仕事を捌いてくるから、君は晩餐まで部屋でゆっくりしてくれ。エバ、茶でも淹れてやってくれ。甘いのが好みだ」


 溜まったんじゃなくて、溜めたんでしょうが! と叫ぶジュドを引き連れてアースが去っていくと、静かになった部屋にエバと二人きりになる。

 エバは早速部屋の隅に移動してお茶を淹れ始めているあたり、敏腕侍女という感じだ。


「エバ、実はお茶よりももっと頼みたい事があるんだけど」


 そう声をかけると、振り返ったエバの瞳がキランと輝く。その瞬間フロラは、彼女とは気が合うに違いないと思った。なぜなら本能的に、同じ仕事中毒者の気配を察知したので。







 その日の夜更けと言える時間、アースは足早に屋敷の廊下を歩いていた。仕事に追われ結局晩餐に顔を出すことができなかったが、フロラはどうしているだろうか?

 まだまだこの世界に不慣れであろう真面目なビジネスパートナーを心配する気持ちで、遅い時間ではあるがアースは少しだけフロラの様子を見にいくことにした。部屋の扉が開いていたので、まだ起きているようだと部屋を覗き込む。


「──というわけでこの国の階級はトップから順に現国王陛下、先代の国王夫婦。現国王は御兄弟もご婚約もまだですので、その次は先代国王の弟であり公爵であるアース様に続きます。

 よってアース様の序列は国内で四番目であり、フロラ様はその婚約者であられますので五番目となります。さらにそこから下が」


「ふむふむ」


 どこからか調達した広大な貴族の序列図を前に教鞭をふるうエバと、姿勢を正してカリカリと紙にメモを書きつけるフロラ。

 扉の横に放置されたワゴンには、いかにもここで適当に食べましたと言わんばかりの晩餐の皿が置かれたままになっており、この二人がほぼ休みなく講義をしていたことが見て取れる。


「……こんな時間まで何をやっている?」


「この通り非常に充実した時間を過ごしています」


 簡単に答えたフロラがまた紙に視線を戻そうとするので、アースはサッとそれを取り上げる。不満そうに睨まれたが間違ったことはしていない。


「あれから今まで何をしていた?」


「ええ? まぁ、エバと話したり色々と」


「エバ。報告しろ」


「午後四時から六時にかけて屋敷内のご案内。六時から八時にかけて国の歴史の概要をお話しし合間に晩餐を。その後八時から現在まで、国内の貴族の序列についてお話ししておりました」


「ほう」


「明日のカリキュラムも組んでおりますのでご心配なく」


「さすが! ありがとうエバ、頼りになるわ」


「全然休んでいないじゃないか!」


「六時以降は部屋でゆっくりしていましたけど?」


「君のゆっくりは様子がおかしいな。まだ慣れていないかもしれないが、君はもう人間の身体なのだから適度な休憩を推奨する。──で、そんな君をさらに喜ばせるようで言いたくないんだが」


「なんですか?」


 仕事の匂いを察知したフロラが瞳を輝かせて身を乗り出すのに、アースは微妙な気持ちになる。

 可愛いが、ついさっきまで取り上げた紙ばかり未練がましく目で追っていたくせに現金じゃないか、と。


 そこまで考えて、可愛い……? とこれまでついぞ自分の心の中に湧いたことのなかった感情に、アースは一瞬引っ掛かりを覚える。

 これまで女性には困ったことがなくそれなりに経験を積んできたと自負しているが、そこにあったのはあくまで互いに欲を満たすだけの無味乾燥な関係性だ。


 フロラとの関係性は特殊で、そういった女たちとの関係とは一線を画しているが、かといって仕事仲間として接している中で可愛いなどと──


「アース? どうしたんですか?」


 フロラが不思議そうに首を傾げている。

 そうだ、話の途中だった。アースは我に帰って、要件を告げる。


「一ヶ月後、王城で開かれる夜会に出席することになった。俺と君の二人で」


「夜会、ですか」


「……これから共に仕事をする前段階として、この夜会は君のお披露目にも社交界での足場固めにも良い機会になるだろう」


 ピンと来ていなさそうだったのでそう言い添えると、仕事中毒の女神の目が一気にやる気に燃え上がった。どうしてそんなにも仕事が好きなのか。

 彼女が明日から大変な無茶を始める予感をビシバシと感じて、アースはげんなりした。




 ***







「行くわよ」


「お任せください」


 緩やかに流れるのはワルツの調べ。

 親密な距離で腕を組んだフロラとエバがはじめの一歩を踏み出す。もちろんフロラが女性役、エバが男性役だ。


 夜会本番まで残り一週間を切った今、歴史も貴族の顔ぶれも、夜会での立ち居振る舞いも、フロラは全て完全に頭に叩き込んだ。それに貴族としての一般常識──文学、語学、芸術、最新のトレンドまでも。

 限られた時間の中でここまで仕上げられたのはひとえに、フロラが諸々のポテンシャルが人間よりもずっと高い女神であることと、異様なまでのモチベーションの高さが掛け合わさった相乗効果によるものだろう。普通は到底無理な学習量だ。


 しかしそんなフロラにも一つだけ歯が立たないものがある。それが、憎きこのワルツだった。


「1、2、3。1、2、……きゃー!」


 ドレスの裾を踏んで盛大に転ぶ。

 どうやら自分にはリズム感というものが欠如しているらしい。それに加えて、このドレスの裾。


「せめて前部分だけでも、ちょっぴり破っておいたらダメかしら」


「いけません。すぐにばれます」


 床に座り込んだままエバを見上げると、彼女は凛々しくフロラに手を差し伸べた。


「誰にでも苦手なことはありますが、諦める必要はありません。さぁ、もう一度」


「そうね。諦めるにはまだ早いわ。たかが百数回上手くいかなかったくらいで」


 挫けかけていたフロラが挑むようにその手をとれば、エバが視線を合わせてこくりと頷く。


「ありがとう、エバ」


「フロラ様こそ。素晴らしいガッツです」


 さながら青春の一ページのように暑苦しいテンションで頷き合っていると、いつの間にか扉からアースがやや引き気味の表情でこちらを見ていた。相変わらず獣のように気配のない人だ。


「……楽しそうだな」


「楽しくないといえば嘘になりますが、状況はわりと深刻ですね」


 フロラはきっぱりと現状を共有した。するとアースは皮肉げに肩をすくめる。


「もちろん深刻だろうな。そうでなければ一ヶ月も婚約者を放置するはずがない」


「いや、"形式上の"婚約者、ですからね。それから一ヶ月ではなく三週間だし、放置ではなくたまたま会う機会がなかっただけです」


「では今日がその貴重な機会になるわけだな。夜会で君とワルツを踊るのは俺だから、君は俺と練習するべきだ」


「何か怒ってます?」


「そう見えるか?」


 アースはつかつかとフロラに近寄ると、先ほどまでエバがしていたようにフロラの手を取った。

 フロラはどうやらご機嫌斜めらしい相手の顔を、至近距離からまじまじと観察する。


「いくら忙しくても、晩餐くらいは俺と食べるべきじゃないか? 君がここに住むようになってから晩餐の時間に食堂に来た回数を思い出してみろ」


「……ニ回?」


「一回だ」


 そう眉を寄せる顔も絵になっているが、これは怒っているというよりも、もしかして。


「拗ねてます?」


「……伝わったなら何よりだ。分かったら今日から晩餐くらいは食堂にくることだな。じゃないと君の婚約者がまた拗ねる」


「ふふっ」


 話がひと段落したタイミングで、ゆったりとワルツが流れ始める。


 ぐいと腰に手を添えられ、エバの時は何も感じなかったのに、それがアースだと思うと何だか妙に気恥ずかしい気持ちになった。

 フロラは軽く頭を振り、意識してステップに集中する。


「1、2、3。1、2、」


 ここでいつも転ぶ、とフロラは警戒したが、足がもつれそうになった瞬間にアースがくいと手を引いたおかげで、そのまま流れるように次のステップが踏み出せた。


「すごい! 今のところ初めて出来ました」


「それは良かった。君の初めてをもらえて嬉しいよ」


 もう機嫌が治ったらしいアースが冗談らしく笑う。


 くるくる、くるくると。まるで風の精霊が戯れるように軽やかに。別人になったかのように身体が軽く感じるのは、アースのリードが巧みだからだ。

 躓きそうになっても絶妙のタイミングでフォローが入り、気付けば次のステップへ。おかげでフロラはようやく、最後までワルツを踊り切ることができた。


「ありがとうございます。アースはワルツがとても上手なんですね」


「踏んできた場数が多いから、自然とな」


「本番は何とかなりそうでひとまず安心しました。でもこのままだと、アース以外の人とは踊れないままな気がするので」


「……ので?」


「もう三十セットほど、お付き合いいただけないでしょうか。何かが掴めそうな気がするんです!」


「君は騎士団の連中よりもストイックだな」







 七セットほど繰り返したところで、アースが休憩を提案してきた。

 フロラとしてはまだ行けると思ったが、適度な休憩が習得効率を上げるという言い分にも頷けるので、大人しくアースと二人、練習室の端の椅子に腰掛ける。


 仕事のできるエバがすかさず、水分補給用のよく冷えた水を持ってきてくれた。

 コクコクと飲むと、熱を帯びていた身体全体に水が染み渡っていくようでとても癒される。

 同じようにグラスに口を付けたアースは、一口飲んで、その水を吹き出しかけた。


「! ……なんだこの水は」


「ふふふ。驚きましたか?」


 一口含んだだけで、身体全体の怠さがすうっと引いたはずだ。

 騎士団で団長を務めるアースはワルツ数セット程度で疲労しないだろうけれど、それでも連日書類仕事に明け暮れているようだから多少なりとも疲労を感じていたに違いない。それが消えてなくなったのだからさぞ驚いたことだろう。


 フロラは、してやったりとばかりに微笑む。


「それはですね。栄養価を神力で限界まで引き上げた、フロラ特製ミネラルウォーターでーす!」


 ジャーンとばかりにグラスを掲げれば、アースは呆気に取られたようにそれを目で追った。フロラは得意になって、追加情報を披露する。


「屋敷の使用人の皆さんにも配っているんですよ。毎日のお仕事に加えて夜会の準備で、お疲れの人が多そうだったので。

 二人ほど風邪気味の人もいましたけど、これを飲めば知らぬ間に良くなるはずです。どうです? 私、少しはお屋敷の役に立っているでしょう?」


 もちろん神力のことは伏せ、魔力で強化した水だと説明して配っている。

 とまあそれは置いておいて、とフロラは続ける。


「これ一杯飲めば力が漲ってどれだけでも頑張れるというわけです。さあ、もう一曲!」


「ドーピングはやめろ。疲れたら休め」


 アースが呆れたように言って、フロラの頬をグニグニと潰してきた。未だかつてされたことの無い扱いにフロラは目を剥く。


「ふぁにしゅるんでふか!」


「今だに自覚が足りないようだな。君は人間になったのだから、もっと自分を労わるべきだ」


 そう言って、アースは立ち上がる。


「今日は終了だ。また明日な。あとニ刻で晩餐だから今日は食堂に来るんだぞ」


 ええーとブーイングの声を上げる。


「ジュド、練習室に施錠して鍵は持ち歩け」


 エバも無言のブーイングで加勢してくれる。が、有言実行のアースに練習室から追い出されてしまった。






 ***




「主従で気が合いすぎるのも困り物だな」


 アースがポツリと呟いた言葉は、不満げに帰っていく当の主従には届くことなく、練習室を施錠中のジュドだけが吹き出した。

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