第26話 回復魔法の原理

 カーニスからは魔道具の基本的な作り方や使い方についても学んでいった。

 独自の仕入れルートを持っているのか、質の良い魔吸石を特別に取り寄せ、二人に渡したのだった。「お前さんらのおかげで、懐があったかいんじゃ」と、この時のカーニスは実に良い表情を浮かべていた。

 二人は魔吸石に、各自の詠唱文で作った魔法を込めていた。もちろん、腕輪を外した状態である。

 魔吸石には魔素の保持、保存以外にも、魔法を記憶するものがある。それは特別な魔吸石だったが、その中のいくつかをカーニスは二人に渡したのだった。

「身を守る魔法だと、魔道具の方が使い勝手がいいというか、調整がきく感じだよね」

「詠唱が間に合わない時にも一時的に避難できますからね。こういう魔道具は一つだけじゃなくてたくさん持っておいた方がいいですよ」

 異世界物でもよくあるのだろう、橘はいくつかの最悪なケースを考え、それに対処する方法を考えていた。

 カーニスも吉野たちの求める効果にするためにはどのように魔道具を作ればいいか、具体的な方向性を教えていた。

「職人じゃったらもっと細かい調整はできるんじゃがのう。お前さんらはそれを簡単に越えてゆけるほどの魔素量と発想力があるの。転移者とはまこと恐ろしいものじゃとこの年にして思わされたわ」

「これでも私たちは普通の市民だったんですけどね」

 魔素量と発想力こそが本来の転移者の特権ということになるのだろう。

 逆にいえば、発想力はともかくとして、自分たちが魔法を使えない状況は最悪なものだといえる。だから、それを回避するための対策はいくらあってもいいくらいだった。


「よくあるパターンだと、魔法が使えない結界や部屋があって無力化されたり、魔素が足りなくなったりするってことですね。相手の魔法を使えなくする封印魔法ってのもあります。そういう魔法ってあるんです?」

 ここでも橘はいくつかの例を挙げていった。

 この疑問に対してはカーニスは次のように答えていた。

「そうじゃのう。魔素が満ちあふれている場所で魔法を使ったら威力が高まるが、魔素が極端に少なくなったら効果も落ちるというのはある。人為的に魔法を封印するというのは、ちと考えにくいの」

「じゃあ、相手の魔素を吸収して使えなくするというのは?」

「それなら、ある。たとえば、部屋に大量の魔吸石を仕込んでその部屋内にいる者の魔素を吸収するというやり方ならある。実際、魔法が使える者が罪を犯すと、そのような檻や部屋に入れられるのう。じゃが、お前さんらの魔素がゼロになるほどの魔吸石というのも考えにくいかのう。仮に相手が魔素を吸収する魔法や魔道具を使ったとしても、影響はないじゃろう。それほどの受け皿はないと言ってもええか。物理的な対策をするなら、相手の口をふさぐことじゃな」

「喉を潰されるってことですよね。痛いのはいやだな」

 逃げるにしても喉や口を守る必要がある。この対策も考える必要があった。


「傷ついた場合は、すぐに回復するってことになりますけど、やっぱり回復魔法が要ですよね」

 回復魔法については、止血レベルのものではなく、全快のものがどうしても欲しいと二人は考えていた。どんな攻撃を受けても、死ななければどうとでも生きていける。そのために効果の高い回復魔法は急務であった。

 人体実験はできず、適当な動物を傷つけることもできなかったので、仕方なく人形を使ったり植物を使ったりして効果を試していた。

「うん、やっぱり前に橘くんが言ってたように、復元するという発想の方がいいわね」

 たとえば、「癒す」や「癒せ」だと、具体的ではない。「傷を癒せ」も止血レベルに留まる。

「僕が知ってたのは、『生命の風』とか『祝福の光』とか『快癒』って言葉を使う回復魔法でしたけど、どれもいまいちでしたね」

 生命の風だと生温かい風が、祝福の光だとけだるい光が発生しただけだった。ただし、橘が使った場合には若干の回復の効果が見られた。加えて、腕輪を外した状態だと風や光を浴びるだけで、人形や植物が元通りになっていった。

「単独で使うとそうなるのかも。もっと長い文で使えば、効果が増すのかもしれない」

 属性魔法として、火や水があるが、どうやら回復魔法は無属性の魔法だと考えた方がいい。

 橘の知識では水や風、光の魔法が回復魔法に直結するとのことだったが、失われた箇所を埋める、というのは属性のつかない無属性の魔法の方が相性がいいと二人は結論づけた。


「傷つきたる肉体を補填し再びその効力を示せ」


 可もなく不可もなく、肉体の不足を補うという発想で作った基本文がこの詠唱文である。二人ともパーツを入れ替えるイメージを持っていた。

「『示せ』って、暗に誰かに命令している感じだよね。これも光の神様とか水の神様のような存在にお願いしているということになるのかな」

「どうなんでしょうね。もっと明確にそういう存在者の名前を入れた方がいいのか」

「『生命を司る神よ、散りゆく者に慈悲の涙を注ぎ、今ふたたび秘めたる力を顕現させよ』、こんな感じ? あら、やっぱり何も起きないか。生命を司る神って何なのかよくわからないからかな」

「あ、ちょっと今の詠唱もう1回いいですか?」

 橘が吉野が作った詠唱文を唱えると、ちぎられていた草が元の姿になっていった。

「あれ? 私にはできなかったのに橘くんだと上手くいったね」

「生命を司る神、僕の中では漠然と天使の姿を思い浮かべました。これもゲームにはよくありますね」

 こうして、二人の中の固有の知識や体験の差がそのまま魔法の発動の差になることも二人は学んでいった。

「『傷つきたる~』は個人的にはあまり面白くない詠唱文だけど、効果はすごいよね」

 吉野も橘もあまり美しいとは思っていないこの詠唱文による回復魔法は、実際効果は高かった。バラバラになっていた人形が、この魔法によって元通りの人形になった。上下に分かたれた植物も同じであり、植物の生長はそれ以降も続いている。

「生物に対してどこまで効果的かは要検証ですけど、もし転用可能であれば少々手足がちぎれたって治っちゃうかな」

「当事者にはなりたくないなあ。どうせなら痛みもなくしたいところだよね。でも、痛みを全く感じない状態にしたら、つまり痛覚がなくなったらそれはそれで肉体の危機に気づけないって欠点があるか」

 痛みは不快だが、だからこそ身体の変調に気づくための合図でもある。

「でも、痛みを感じない魔法があった方がいい状況も考えられますから、作っておいた方がいいですね。いずれにせよ、回復魔法は傷薬みたいに塗って治る、みたいなのが一番シンプルですけどね。物語では魔法では病気を治せないって設定のものが多いですけど、これも詠唱文次第でなんとかなるかもしませんね」

 カーニスから回復薬や治療薬についても訊いたが、一般的な傷薬には殺菌や消毒の効能があるが、傷に対する細胞の活性化というのが基本的な効能であり、それが回復の原理であるようだった。

「細胞の活性化か。不足を補うのが私たちの回復魔法だけど、肉体を活性化させる発想の回復魔法だと、どうなるんだろう。年を取るとか、身長が伸びるとかかな」

「たぶんそうなるんじゃないですかね。さっき先生が言った『秘めたる力を顕現させよ』とか『新たな力を』みたいな文言にするといいのかも。肉体強化というか」

「元々手足がなかったり目が見えなかったり耳が聞こえなかったりする人にはどうなんだろう。活性化なら可能性はあるのか。でも、私たちの魔法では元通りが基本だから、生得的な問題には効果がないのかな」

「元々ない人ですか……。事故で失った場合なら効果ありそうですけど、確かにそういう人たちには効かないかもしれません。『失われたる組織に生命の息吹を与え新たに芽吹かせよ』みたいな感じです? ちょっと曖昧過ぎるか。これに『大天使よ』みたいなのを加えると効果がありますかね」

 今、橘の言った詠唱文を吉野は書き取った。会話の中で出来た詠唱文を吉野はしばしば書き取り続けるようにしていたのだった。

 そういう欠損をかかえた人たちもたとえば聖女が魔法を使ったら四肢が生えてきたりするんですよ、と橘が言った。

「聖女様様ね。もうそのレベルの回復魔法ってどんな詠唱文にするのがいいのかわからないね。簡単で便利すぎて、うらやましいよ。医者がこの世界に来てくれたら的確な詠唱文を作ってくれるんでしょうね。身体の細かい箇所まで治してくれるのかな」

 それを聞きながら橘が一つの疑問を提示した。

「元通りになる回復魔法ですけど、脳にまで影響を与えたら記憶の問題はどうなるんでしょうか。肉体が元に戻るといっても考えようによっては時間を巻き戻すようなものなんだから、巻き戻された状態だったら肉体である脳の記憶も回復魔法が使われるまでの記憶がなくなってしまうんじゃないですか」

 ここに来て新たな壁がたちはだかった。やはり人に対して使わなければ回復魔法の効果が期待できない。というよりは、回復魔法が時間を変化させる魔法なのではないかという疑念を払拭しなければならない。

「『脳は肉体じゃありません』って強い思い込みがあれば防げるのかもしれないけど……。脳は損傷していないから影響はないかもしれない。でもやっぱり、やるしかないか」

 吉野はそう言うと、魔法袋から小さなナイフを取り出し、吉野はさらに覚悟を決めた表情になる。

「先生、もしかして自分で傷つけるんですか?」

「そうだよ。だって他人にはできないじゃない」

「だったら僕がやり……」

「駄目!」

 きっぱりと強い口調だった。

「駄目。絶対に駄目。これは私の仕事であり役割。これだけは譲れない」

 そう言うと、指先に刃物と少しだけちょこんと当てた。血は出ていない。

「先生、やっぱりビビってますよ」

「ちょ、ちょっと試しただけだよ。これが本番」

 すると、次は強く力を込めて傷つけるとやっと血がわずかに出た。ナイフをテーブルの上に置き、指を橘に差し出す。

「採血に比べたら、こんなものなんてね。じゃあ、橘くん、お願い」

 橘の胸元に指を向け、吉野は魔法を待っている。

 橘は作り上げた詠唱文を唱えると、吉野の身体を光の膜が覆っていった。

「先生、どうですか……?」

 そう言われた吉野は自分の指を確認した。血の跡はあるが、傷口は完全に塞がっている。ちくちくした痛みも消えていた。

「うん、治ってる。それに記憶もある。成功ね。それに……」

 吉野はふくらはぎを見せるようにしてきた。

「ここもこの間訓練で擦り傷が出来てたんだけど、完全に塞がってる。塞がっているというか、新しい皮膚ができてる?」

 吉野はできたての瘡蓋を掌に乗せて橘に見せた。

「じゃあ、この回復魔法は結構使えるって認識でいい……んですかね?」

「さすがに大怪我をするのは怖いよね。でも、その場合でも治せる可能性は高いように思う。ただ、小さな傷程度なら治せるくらいで理解していた方がいいかもね。魔素も多く込めれば回復量も増えるんだろうし……えっ!?」

 橘はテーブルの上の刃物を取ると、自分の指を吉野と同じように傷つけていた。

「橘くん、何してるの!?」

「何って、僕も同じことを試したくて。それに僕が使った回復魔法と先生が使う回復魔法が同じ効果があるってことも確認しないと」

「それはそうだけど……」

 すぐに吉野も同じ詠唱文を唱えた。指先の玉になった血を拭き取ると、傷一つない綺麗で長い指が姿を現した。

「うん、これも成功です。魔法で傷が治るってこんな感覚なんですね。なんだかポカポカしますね」

「もう、そういうのやめてよ。その指は楽器を弾く大切な指なんだから」

 一応、右手の指にしたんですけどね、と橘は静かに笑っていたが、この時、ためらいもなく自分の指を傷つける橘を見て、吉野はどんよりとした空恐ろしさを感じていた。

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