第25話 詠唱文作り〔2〕
「詠唱文の長さと効果の関係は、ただ長いから良いってわけじゃないよね」
「関連のある言葉を上手くつなげないと、効果が上乗せされないと考えるべきなんでしょうね」
たとえば、「火よ」の前に「大いなる」「大きな」「明るい」「温かな」「清い」などのような言葉を付けるだけでも変化はあり、「篝火」「灯火」「鬼火」「芥火」「焔硝火」などの複合語でも効果はある。
ここにさらに「火」の動態を示す言葉やさらに詳細な説明をする言葉を加えると効果が上乗せされていくのだった。
「地獄」や「天界」などの特定の場所であったり、「竜のごとき」「日輪のごとく」のように「火」を別の比喩表現に直したりすることで、一気に効果が桁違いに上がる。
もちろん、「火」を「炎」や「焔」に言い換えることができる。「ひ」よりも「ほむら」という言葉の方が、圧倒的に威力が大きかった。
組み合わせは幾通りもあり、中には不発のものもある。二人は丹念に様々な組み合わせをいくつかの優先順位をつけて試行していた。
なお、腕輪を外すと空間自体に影響を及ぼすほどの威力になる可能性があるため、まずは腕輪を付けた状態で魔法を発動させている。カーニスの見立てでは、腕輪を付けた状態の二人は並の魔術士と同程度かやや弱い魔法ということである。
「切り裂け、無謬の刃よ」
橘が詠唱した。
「『無謬』ね。『間違いのない』って意味だけど、日本語としての『無謬の刃』ってなんなんだろうね。確かに切れ味鋭い刃って感じか。でも、しっくり来ないな」
「それでも、効果はありますよね。あの人形が二つに分かれちゃってますもん」
橘のいう様に、魔法で人形が綺麗に切れている。対人魔法としてはこれだけでも強力である。
「単に刀で切り裂くって感じなのかな。何か石でも刀でも指定をして、『切り裂け』と言えば、そういう効果が出るのかも。でも、ちょっと却下だね。犠牲者が多くなりすぎるよ」
「じゃあ、『切り裂け、風の刃よ』!」
二つに分かれていた人形が更に切れる、ということはなかった。
「少し威力が弱いくらいかな。かまいたちのようなものをイメージしてたの?」
「はい。かまいたちですね」
これも漫画で見ました、と橘は言う。
「擬人化というか、自然物を人の行いのように考えるだけでも違うのかな」
「たしか、魔素を多く使っても威力が上げられるんですよね」
再び同じ詠唱文を唱えると、次は人形が切れた。
「詠唱文の言葉と、使用する魔素量が効果に直結する、か。魔素が豊富にある私たちにしか使えないか」
「いや、おばあさんが魔吸石を使ったように、同じように半ば強制的に威力を高めることもできるんじゃないですか。だから、僕たちにしか使えないというのは一度脇に置いた方がいいんじゃないですかね」
「うーん、そっか。じゃあ、せめて敵には詠唱文がわからないようにするしかないのね」
「若者言葉だけで作った詠唱文にしたら、わからないんじゃないです? それにいちいち詠唱の言葉を敵が聞いて覚えられるもんですかね。腕輪を付けなかったら聴き取ることもできないでしょうし」
橘の言葉通り、おそらく新語ばかりで作ったら相手には悟られる可能性が低くなるのだろう。そして、腕輪を外すと純粋な日本語を話すことになるため、知られる可能性はまずない。ただ、その場合被害が甚大なものになるのは想像に難くない。
「そこは最低限の日本語を保ってほしいな、国語を教える立場としてはね」
「じゃあ、前に教えてくれたように、古文とか漢文とかで作っちゃえばいいのでは? 古典の表現だったらある程度格調高い詠唱文になるんじゃないです?」
何気ない一言だったが、古典か……と吉野は思うのだった。
「私と橘くんが最初に使った大魔法もそうだけど、この前のカーニスさんが使った時もそうだったけど、人を超えた存在の力を借りるという詠唱文って多いよね」
橘は「冥界の王」、吉野は「神」、カーニスは「炎の精霊」に力を借りる、という形の詠唱文だった。
「はい、それはよく見ますね。ああ、じゃあちょっとやってみます。『数多の風の精霊よ、我が前の敵をすべて切り裂け』」
横たわっていた人形が空中に舞い上がりながら、細々と切り裂かれていった。もはや元の姿のかけらもない。
「お、威力がぐんと上がった。風の精霊か……」
吉野はその方面には明るくなかったので、補うように橘が説明を始める。
「僕らの世界ではシルフが有名ですね。火はサラマンダー、水はウンディーネ、土はノーム。他にも火だとイフリートやジンが有名ですかね」
「時代も地域も宗教もごちゃまぜなのね。神仏習合どころじゃないわ」
神仏習合って何です?と橘が尋ねたので吉野は簡単に説明をした。
「ごちゃまぜなのは、それだけエンタメ化してるってことですね」
「宗教的な問題も多そうだよね。結構怖いことだと思うけど、大丈夫なのかな?」
「実際、ゲームで神様の扱いが酷かったらクレームなんかもくるらしいですよ。『私たちの神様を汚すな』ってことなんでしょうけど」
日本に住んでいたらつい神も仏も一緒くたにしてしまうが、もしそんなコンテンツを海外のゲーマーや読者が受容したら、しかも敬虔な信者だとしたら確かに大問題になりそうだ。綺麗に水に流すことはできそうにない。
「なかなか罪深いことだと思うよ。でも、力を借りる詠唱文も人に対して用いるのは禁止しないとね。あ、攻撃魔法はってことだけど」
先ほどの風はすでに止み、バラバラになった人形の残骸だけが残っていた。
「魔法って諸刃の剣ですね。下手したら味方も攻撃対象になっちゃいますもん。都合よく敵だけに効くって、調整が難しいですね」
範囲魔法の難しさの一つである。こちらの意図通りに味方だけ、敵だけを指定することは困難なのであった。どちらにも効くような魔法は使用する意味がない。
「騒音とか、前に話したガスなんかもそうよね。使用者にだって影響が出ちゃいそう」
「耳栓をしたりガスマスクを身につけたらいいのかもしれないですね」
攻撃や支援の魔法から少し離れて、身を守る魔法についての話題になった。
「姿を消す、たとえば透明になる魔法ってできるのかな?」
「昔何かで読みましたけど、透明人間になったら目が見えないって話ですよ」
「それじゃあ逃げることはできないわね」
下手すると犯罪行為ができちゃうものね、と吉野はこの魔法も禁止にした。
「光学迷彩なら行けるのかな。マントのような形にして」
「ちょっと違うけど、似たようなものをスパイ映画で見たことあるな。スクリーンに背景を映して監視の目を騙すやつ」
「魔法というか科学の力ですね、そうなったらもう」
話題は未来の地球の科学技術へと移っていった。
「そういえば、考えるだけで画面を操作するって近未来の話を聞いたことあるけど、眉唾物なんだよね。今は身体が動かせない人が目の動きで画面を操作する技術はあるけど、思考が外部化される技術は怪しいというか。ただ何か特定のことを考えたらどこかの脳が反応する、その反応をもとに操作ってのも考えられるけど、細かい指示になると不可能なんじゃないかって」
思考は外部から見えない。だから、思考とは、科学技術が発展したところでそこまで細かく外部化されるか、というのは吉野は気になっていた。
「人の心が読める設定のドラマを見たことあるけど、あれも不思議なんだよね。私たちって思考をする時にある程度の文の形で考えているものじゃないと思うんだよね。それこそ、断片的な単語の羅列ばかりで。実際に口に出したり文字にしたりして、初めて思考が明らかになる、という考えの方に私は共感するな」
「内言」という言葉がある。声を発せずに心の中で呟いていると感じられるあの声である。しかし、実際に話している自分の声と同じものだとは感じられず、心の海底でかすかな反応として感じられるだけの声である。これを思考と考えてもいいかもしれないが、誰かと話す時にこの声を意識することはない。
「それは僕も考えたことあります。もし、考えていることがすべて言語化されるような装置が発明されたとしたら、それは無意味な言葉の羅列なんじゃないかって。前に先生が言っていたように、言葉によって、外部の言葉によって思考が整理されると考える方がしっくり来ますよね。でも、何年か前のニュースに先生が今言ったように脳の、確かニューロンネットワークがなんたらか、詳しいことはわかんなかったんですけど、数字とか、言葉を思い浮かべたり、話したりしている時の脳の活動を記録して、ということだったかな。とにかく、思念を読み取る実験があって、もちろん誤認識もあるけど、そういう研究がもうやられてました」
「ああ、アメリカの大学だったかな。私もそれを知ってびっくりしてしまったな。5万年後だったら、確実に思考が外部化されてるような気がする。言語翻訳の魔法のシステムもそういうところと関係があるように思えるよね。怖いことだけど、少なくとも明確に思い浮かべた言葉が未来ではパッと画面に現れることになってるんだろうね。この世界の魔法に、無詠唱だっけ? 言葉を発せずに使える魔法がないのは、頭の中の概念なり設計図があったとしても、それを言葉という形にしなければ、その手続きがなければ適切に魔法が発動しないんだろうね」
無詠唱魔法の優位性について橘は吉野に語って説明をしたが、言葉によって魔法が発現するこの世界ではおそらく不可能なのではないかと考えている。
「書き手は一番最初の読み手、でしたっけ。前に授業で言ってましたよね。話し手は最初の聞き手でもあるんでしょうけど」
人は誰かに語りながら、実は自分に語っている、ということを授業で話題にしたことがあった。吉野自身、授業で原稿があるわけではなく、即興で言葉を使いながら、自分の声を聞き、調整をしていっている。
「魔法は自分に語ってきかせる言葉、ということかな。だから納得できなければ魔法が発動しないのかもね」
「なんだか急に詩的になりましたね」
「ふふ、冗談だよ」
このようなやりとりを毎回しながら、二人は使える詠唱文の候補を着実に作り出していった。
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