第24話 詠唱文作り〔1〕

 その日から、ますます吉野と橘は相談をしあうようになった。吉野が驚いたのは、いくつかの詠唱文リストを橘が作り上げていたことだった。

「これは相手の動きを止めて、これは逃げる用で、こっちは守る用で……。あ、一応相手の命を奪うとか、そういう物騒なものは減らしたつもり、です」

 詠唱文の文言を吉野は確認をする。それとともに考え得る魔法の効果も想像してみる。

「よくもまあ、こんなにたくさんの種類を考えついたね」

「へへへ、平和主義者にはね、平和主義者の戦い方ってのがあるんですよ」

「戦い方というか、逃げ方よね。うん、私たちらしくっていいと思うよ。あ、でもこの言葉はこれの方がいいかも。相手を眠らせるのに『久遠』なんて言葉使っちゃったら、さすがに永眠になっちゃうと思うよ」

「でも、『三分間眠れ』っていうのは詠唱文らしくないというか」

「その場合、どういうことを頭の中で思い浮かべればいいんだろうね」

 カップ麺を想像したが、全然違う。

「相手を眠らせるというのはイメージ化するのが難しいですね」

「単に『安らかに眠れ』という詠唱文だと、これも文脈によっては永眠になるんじゃないかと思うよ。眠りガスを吸ってそのまま眠る、という光景がイメージできなくもないけど、その場合は魔素が眠りガスに変わるってことになる可能性が高いのよね。でも、私たちって眠りガスの成分ってよくわかってないじゃない。本当に永眠しちゃうかもしれないよね」

「歯医者で受けた麻酔っていうのも駄目ですかね。相手を眠らせる魔法は便利だと思うので作りたいんですけど」

「うーん……。軽々しく実験はできないよね」

 こんな感じで二人は詠唱文について意見を交わしていた。

 ただ、二人は王城内で話をする時は、詠唱文をすべて口に出すことはせずに、極力筆談という形をとった。

 実のところ、盗聴の心配をしていたからだが、音を聞き取る魔法などがあったとしたらと思うと、詠唱文自体は筆談にしようと二人で決めていた。それに日本語だと誰かに読まれる危険性が少ないからである。

 二人はこれまでも少しだけ詠唱文についてグレンに話したことはあったが、どこか具体的な詠唱文を口にすることに不安があったからか、今に至るまで誰にも漏らしたことはなかった。今にして思うと、グレンが詠唱文について興味を抱いていたのは、何か事情がありそうだった。

(いやだなあ、グレンくんのことを疑うのは……)

 屈託のない笑顔で「それでそれで?」とぐいぐいと距離を詰めていく姿を想像する。

 それでも、自分たちに危険がやってくるのであれば、心を鬼にしてでも現実を見据えなければならない。


 さらに二ヶ月の時間が経過した。温暖だったアルム国にも珍しく雪が舞い落ちる日だった。

(魔素の影響なんだっけ?)

 魔素量の多い地域は気候が変わるという話を思い出した。この世界の雪も地球と同じく白なのね、と吉野は思った。

 カーニスのところに行く途中にも街中に雪が降ることを珍しがる人々が多くいたのを見かけた。

「沖縄に雪が降るみたいな感覚なんでしょうね」

 橘は明るく言ったつもりだが、最近は気を緩めるとふと寂しげな表情に変わっている。吉野の不安以上に、橘の中には苦しみがあるのかもしれなかった。

 カーニスはいつものように迎え入れてくれて、そしていつものようにクリスも同行していた。

「先生、クリスさんのこと信用しすぎじゃないですか?」

 クリスには聞こえないように橘が小声で話してきた。

「えっ、そうかな……。そうかも」

 元々クリスが護衛を担当したのはマルクスの紹介からだったことを思うと、クリスが王家側にいると捉えるのが自然である。そのことは何度も吉野は考えたが、どこか振り切れないというのが正直な気持ちだった。

 ただ、吉野にとってのクリスへの態度は、橘にとってのグレンにも言えて、橘はグレンのことを切れずにいる。吉野はそのことは指摘しなかった。指摘できなかった。

 表面上はこれまでと同じ関係であり、違和感もないように吉野も橘は過ごしている。

 二人とも心のどこかで信じていた人に裏切られたとしてもそれでいいかもしれない、と思い始めていたのかもしれなかった。


 魔道具屋では地下で魔法の練習をすることが多い。何度か練習場に行って魔法を発動させたことがあったが、他の魔術士の目があり、そんなに多くの魔法を試し打ちすることができなかった。それにもし大魔法が発動したら魔法の範囲が広いので難しいのである。「ここって、大魔法を使っても大丈夫なんです?」と橘が聞くと「馬鹿を言うな!」とカーニスが牽制した。

 したがって、ある程度威力を落としながら練習をしなければならず、詠唱文の短いものを何度も使用して、どの程度の範囲まで広がるのか、言葉を一語変えただけでどれほどの違いがあるのか、等を検証していった。

 この頃には、詠唱文の長さと威力はある程度比例の関係にあるということが薄々わかってきていた。

 しかし、吉野や橘が使ったような黒竜や結界の大魔法は発動せず、カーニスが使った魔法よりも威力は小さいものばかりだった。「詠唱文が短すぎるから?」と思っていた時に、ふとした疑問が事態を大きく変えていくことになった。

「カーニスさん、ずっと気になってるんですが、魔法を使う時に空気が抜けるような音がするんですけど、何かご存じですか?」

 吉野がこれまで魔法を使ってきた際の違和感のことを口にした。もちろん、これは橘も同じだった。

 カーニスがその言葉を聞くと、一瞬だけ表情が曇ったように見えた。言うか言うまいか、ためらっているようである。

「何か知っているんですよね? 教えてください」

 怪しんだ橘がカーニスに問いただすと、諦めたようにカーニスが答えた。

「実はのう、翻訳の魔法や魔道具は魔法を弱体化させるんじゃよ。じゃから、魔物退治や戦の際には魔術士はそういう魔法はほとんど使わん。まあ弱体化といってもたかが知れてるから大きな問題はないんじゃが、おぬしらは事情が違うじゃろう。ゲートに送り込む魔素が漏れておるんじゃよ」

 その答えを聞いて、吉野と橘はこれまでの違和感が氷解していった。

「あの時、確かに私も橘くんも腕輪を外していました」

 二人は腕輪を外して魔法の詠唱文を唱えていたのを思い出した。

「その事実って有名な話なんですか?」

「ああ、魔術士なら誰でも知っておる。が、やはり二人はまだ教えられてなかったんじゃな……」

 これでは穴の空いた風船にずっと空気を入れていたようなものである。いつまで経っても膨らむことはない。

 マルクスもグレンもその事実を吉野と橘に意図的に教えていなかったことになる。どうして、という疑問も湧いたが、カーニスが言いよどんでいた理由も気になる。

「じゃあ、ちょっと試してみますね」

 橘はそう言うと、腕輪を外して魔法の詠唱を始めた。すでに使ったことのある氷の魔法だった。

「凍てつく竜の息吹よ、大地を針の筵に変えよ!」

 最初に使った時には、霜が降りた程度の威力だった。一面というよりは、テニスコートよりも狭い範囲だった。

 しかし、今目の前にある光景はそうではない。1mは超えるほどの氷柱が地面から生えてきたように辺り一面を満たしている。威力は雲泥の差だった。

「こ、これは……。これが魔法」

 比較的短い詠唱文でこの威力だとすれば、確かにあの時の黒竜の威力も納得ができそうである。

 驚いていた吉野の元に戻って、再び腕輪をつけた橘がカーニスに聞いた。

「この事実、もしかして転移者には隠されていたことなんですか?」

「……何人かの転移者は自然と強い魔法を使えるはずなんじゃが、そのような魔法を使ったという記録はほとんど残っとらんのじゃよ。ここ数百年限定の話になるがの」

 カーニスの話によれば、転移者はあの光にいる中で身体が作り替えられて、魔素を保有する肉体になっていく。そして、この世界に転移者がやってきたらすぐに翻訳の魔道具を渡されて過ごすことになる。

 それを外すことはほとんどないだろう。言葉の意味がわからない不安に耐えられないからである。

 しかし、新たな言語を学ぶ努力は魔道具ですべて解決する。したがって、魔道具を付けたままになる。つまり、自分が強力な魔法を使える事実を知らないまま、生活をしてきた転移者が多かったのだろう。

「弱体化って言いましたが、どの程度なんでしょうか。明らかに威力が跳ね上がっていますけど、一般的にこんなものなんですか?」

 吉野の疑問はもっともであり、これにはカーニスも推測でしか答えることができなかった。

「この世界の魔術士でも、今の魔法ほどの威力のあるものを発動させられる者は少ないじゃろう。じゃが、仮にもしその人間が魔道具を付けていても誤差の範囲内じゃ。これに近いほどの威力にはなる」

「つまり、転移者がこの腕輪を付けていると、この世界の人たちよりも弱体化が激しい、ということですか?」

「おそらく……」

 橘の次に吉野が確かめるように魔法を使うことにした。

「火よ……うわぁ!!」

 腕輪を外した吉野が、最初に使った魔法を発動させた。あの時はガスコンロの火よりも大きい火だった。しかし、今はカーニスが唱えた魔法よりも大きく、もはや業火といってもよいほどである。あの時にグレンが使った「業火」よりも大きな炎だ。

「全然違う。それにあの音もしない」

 それからは、効果の弱かった詠唱文をまた一つずつ試すことにした。威力はやはり桁違いのものとなっていた。

「……ってことはつまり、翻訳魔法を生み出した転移者は故意に転移者の魔法を弱めようとしたってことになりますよね」

 橘がこれまでの話を整理して言った。

「故意かどうかはわからないけど、結果として私たちの使う魔法は極端に弱くなってるよね。うーん、何なんだろうね。これがショートカットのツケってことなのかな」

 もやもやした感情を抱えたまま、二人は詠唱文作りを続けて言った。

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