第13話 言葉と概念

「先生、モバイルバッテリー借りますね」

「その鞄の中にあるから取っていいよ」

 橘が吉野の部屋にやってきた。午後の授業の後には夕食を摂るくらいしかやることがない吉野は、初学者が学ぶ文字の書き取りを練習していた。

「張り切ってますね」

「一応国語の先生だからね。読み書きができるなら越したことはないし」

「『時に及びて当に勉励すべし、歳月人を待たず』ですね!」

「あーあ、橘くん。授業の話を聞いてなかったな。その言葉は『時間は待ってくれないから今勉強しなければならないのだ』って意味じゃないんだよ」

 一旦、作業を止めて、東晋の詩人陶潜とうせんあざな淵明えんめい〔365-427年〕の「雑詩」の一節を書いた。


 得歓当作楽 斗酒聚比鄰

 盛年不重来 一日難再晨


 よろこびを得てはまさに楽しみをすべし

 斗酒としゅもて比鄰ひりんあつ

 盛年重ねては来たらず

 一日再びはあしたなり難し


 嬉しいことがあれば楽しむのは当たり前だ。

 多くの酒を用意して、近所の人を集めよう。

 若い時代は二度とは来ないのだ。

 一日のうちに、二度目の夜明けはないのだ。


「……となって、『時に及びて……』に続くわけよ。『勉励』は『勉強』という言葉につられるかもしれないけど、『勉めて励む』ってわけね。ちなみに『勉強』って言葉は相当古い言葉なんだよね」

「じゃあ、その時その時を楽しもうってことですか。まあいいじゃないですか、勉強が楽しみなんでしょうから」

「はあ……」

 このまま橘に差をつけられたくないと思っていた。つまり、吉野の意地でもある。


 実際、学んでみて初めてわかることもある。

 言語には言語毎に特徴があるが、アルマ国の公用語であるエリュミ語も例外ではない。

 語の形態から、孤立語こりつご屈折語くっせつご膠着語こうちゃくごの3つに大きく分かれるというのは大学生の時に言語学の講義で学んだことだった。

 吉野は転移と一緒に持ち込んでいた辞書や事典類をひもときながら、この世界の言語、特にエリュミ語がどのような性格や特徴のある言語なのかを整理していく。


 孤立語は語形の変化がなく、語順によって文法的機能が定まる言語であり、中国語やタイ語などがこれに当たる。

 屈折語は語形の変化があり、それが文中において文法的な役割や関係を示す言語であり、フランス語やイタリア語などがこれに当たる。

 膠着語は、助詞や接辞のような語が結合することによって文法の意味や関係を表す言語であり、日本語やトルコ語などがこれに当たる。膠着の「膠」は「にかわ」である。

 エリュミ語はどうやら孤立語ではないようだが、屈折語か膠着語かはまだよくわからない。


 他にも、主語〔S〕、動詞〔V〕、目的語〔O〕の語順によって分けることもできる。

 パターンとしては、SVO、SOV、VOS、VSO、OSV、OVSが考えられるが、日本語の場合はSOVであり、英語や中国語はSVOである。

 地球の言語はSOVが半数であり、SVOが約40%、VSOが約10%だと言われ、倒置文などの例外を除き、OSVやOVSは極端に数が少ない。海外のとあるドラマや映画の中でこの少数のパターンの人工言語を話す設定の人物がいるというのは有名な話だ。あえて構造の違う言語を生み出すことで、重々しさや違和感を演出したということなのだろう。

 どうやらエリュミ語はSVOに属するようである。


 文字に関しては英語と同じ表音文字のようだ。28個の主要な文字があり、それらがいくつか組み合わさって単語を作る。吉野は短い文を作り、それをケルナーに添削してもらっている。

「ケルナーさんの講義ではこの世界の文字の発生は五千年前って言ってましたね。文字文化を持つ共同体もそこまで多くはないようですね」

「エリュミ語は音とつづりが一致していないってのは英語と同じだね、いや古文もそうか」

 日本語の仮名のように原則として綴りと音とが一致する場合だと読み書きする語彙数は増やしていきやすいが、一致しない場合だと丸ごと覚えるしかない。


 英語の歴史では、古英語、中英語、近代英語、現代英語という時代区分がなされる。

 英語は古い時代には、nameやtimeは「ナーメ」、「ティーメ」と発音され、綴りと音とがある程度一致していたと言われる。

 論者によって異なるが大まかに分けると、古英語は1100年頃まで、中英語は1100年頃から1500年頃までであり、それ以降が近代英語になり、二十世紀頃から現代英語になっていく。

 中英語の終わり頃から近代英語の初め頃に本格的に綴りと音とが乖離かいりしていく。

 たとえば、中英語ではfeetは[fe®t]だったものが、[fi®t]〔®は長母音〕になったり、あるいはknightは「クニヒト」のように発音していたという。今の英単語の中でどうしてこの文字があるのかと疑問に思う単語にはそのような背景のあるものが多い。英語史では「大母音推移だいぼいんすいい」という現象として知られている。


 これは日本語でも事情は同じである。

 古文のテストで初学者に対する「『あはれ』を現代仮名遣いに直しなさい」という問いの答えは「あわれ」である。

 これは日本語の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直す問いであるが、綴りと音とを一致させる問いでもある。古文の言葉と現代の言葉のずれははなはだしいのである。

 10世紀頃にはハ行の子音は[Φ]、つまりハ行はファ・フィなどと発音されていたと言われ、さらに時代を遡ればハ行の子音は[p]、つまりハ行はパ行だったと推定されている。


 ちなみに、室町時代のなぞなぞ集『後奈良院御撰何曾ごならいんぎょせんなぞ』には「母には二たびあひたれども父には一度もあはず くちびる」とあり、「母」という発音の際には両唇が2回くっつくということになる。現代語の「はは」だと唇が会うことはない。だから、このなぞなぞの答えの背景には、ハ行の発音には両唇が会うと考える必要がある。

 「ずっと昔の日本語では『ハハ』は『パパ』だったのかもね」と生徒に話すと、少しだけ反応があったのを思い出した。とはいえ、不思議なもので「はは」は「ハワ」とも発音されていた時代もあったという。

 戦後に日本語は現代仮名遣いに変わっていったが、助詞の「は」「へ」「を」などのように一部例外が残っているが、小学生の時に使い分けを学ぶのが普通である。

 いずれにせよ、吉野が学んでいるエリュミ語にも表記と発音の乖離現象が見られる。


「確か、エリュミ語には母音は7つあるんですっけ?」

「そうそう。しかも日本語の母音とは微妙に違っててね。新しい言語をこの年になって覚えるって辛い」

 幸いにしてエリュミ語は公用語であり、広く他国でも使用されており、実際に使う場が多いのが救いであり希望だった。学んだ言葉を書いたり読んだりできることは、学習のモチベーションの維持にもつながる。

「思ったんですけど、言語の習得ってこの世界では珍しいんじゃないんですかね。だって翻訳魔法のおかげで意思疎通ができるんですし」

「そうなんだよね。マルクスさんやケルナーさんも意外だという反応だったんだよね。魔素のない人だって私たちのように魔道具をつけたらいいって感じだったしね」

 言語教育自体がもしかしたらこの世界にはほとんどないのかもしれない、いや、しかし母語がなければ翻訳もできないから、母語教育自体はあるのだろう。


「ただ、僕らの日本語が一部伝わらなかったように、翻訳魔法ができてから作られた新語は翻訳に反映されづらいんじゃないですかね。翻訳魔法に頼っている限りは言語は成長しないってことなんじゃないですか?」

 その言葉を聞いてあらためて聡い子だと吉野は思った。

 この疑問については吉野もこの数日の中で浮かんだのだった。

 日本語の場合は様々な階層の人間が移動をしたり、文化水準の高い人たち、逆に低い人たちの言葉が伝播したり、あるいは外来語との接触があって、新しく語彙を作り上げてきた。現代日本語の場合は、圧倒的に外来語経由の新語が増えている。明治期に「経済」や「哲学」という語が作られたというのは有名な話だ。英語でもラテン語やフランス語などを多く取り入れている。

 市民権を得た語もあるが、あえて古い言い回しを再発掘するということもある。

「どうなんだろうね。この世界の若者言葉のようなものがあったら、いやきっとあるはずだと思うんだけど、魔法に頼っている限り聴き取りエラーみたいになっちゃうのかな。方言だって存在しなくなるのかもしれないのか」

 マルクスやケルナーは魔法がなくともエリュミ語を使用している。だから、二人がもしスラングを使ったとしても意思疎通は可能である。

 しかし、そのスラングをもし翻訳魔法に頼っている吉野や橘が耳にしても、きっと意味が理解できるわけではないのだろう。マルクスたちはそのような言葉を吉野たちに使わないのでわからない。

 翻訳魔法の盲点もうてんというべきところだ。

 さらに憂慮ゆうりょすべきことは、翻訳魔法から外れた少数言語は確実に滅んでいくのかもしれないということだった。世界の言葉は将来的にエリュミ語に統一されていく運命なのである。


「言語によって世界の分節の仕方が異なり、概念も異なる、でしたっけ。これも去年授業で読みましたね」

「よく覚えてるね。今ちょうどその文章のことを考えてたよ。言語が少なくなったら、そんな違いもわからなくなるんだろうね」

 虹の色は言語共同体毎に数が異なる、という有名な話がある。

 日本語では赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の順番の7色だが、他の場所では3色であったり5色であったりして、色の切り取り方とその名称があるかないか、そんな話である。

 この事実から言語が人間の思考や認識に影響を与えるという話に広がり、「サピア=ウォーフの仮説」とも呼ばれるが、極端な場合は言語に人間は支配されるという考えにもなる。しかし、事情はそんなに単純なものではない。

「7色って音階とも関係してるんですよ」

「ええ、授業後の感想文に橘くんがそれについて教えてくれたから勉強になったよ」

 ドレミファソラシという7つの音階と虹の色を結びつけたのが、かの有名なニュートンだった。当時としては自然現象と音楽とを結びつけるという背景もあったのだろう。

 いずれにせよ、ニュートンによって広く伝わったことで虹の色が7色という話が定着していったという歴史があったようだ。

 グレンの作り出した虹を吉野は思い出していた。彼らは、エリュミ語を使う人々は虹の色は何色だと答えるのだろうか。


「音楽は世界を越えても音楽だったのは良かったです」

「本当にね。今は曲のリストを作ってるの?」

「はい」

 橘のスマホの中にはジャンルを問わず数多くの曲が入っているようだった。ほとんど再現できるほどに聴いているようだが、それでも数百曲もの曲名が瞬時に出てくることは難しく、紙にリストにして整理をしておこうと考えたのだった。実際には橘の頭の中には数千もの名曲が自由に羽ばたいているのだろう。

「この世界の音楽ってやっぱり違うの?」

「そうですね。クラシックとも違うし、ポップな感じとも違います。どこか似ているフレーズがあるなと思うこともありますし、あまり聴かない展開もあって、面白いですよ。あと、指が3本しかなかったり6、7本もあったりする種族もいるようで、そのための曲が作られてるみたいです。もしかしたら、転移者が持ち込んで来たのは音楽に関する知識だけであって、転移者自身が音楽家ではなかったんじゃないかな」

 12本や14本で弾くピアノの曲は聴いてみたいなと吉野は思った。

 例のトニーとは今では意気投合して、それぞれの持っている音楽の情報交換をしているという話をケルナーから吉野は聞いていた。そのトニーからは「お前は一体どこの貴族だ」と言われたと橘は吉野に伝えていた。それほど博学だということなのだろう。

(幼少期から橘くんは音楽の英才教育を受けられるほどの環境だったんだよね)

 見方によっては貴族ともいえなくもない。文化資本は吉野と橘とは異なっているのだ。

 ただし、その違いが個人の幸福に必ずしも直結しないのが現実の社会の難しさである。

「ありがとうございました」

 橘の用件は済んだようだった。

「ああ、私はスマホを使うことはほとんどないから、モバイルバッテリーは橘くんが持ってていいよ」

「わかりました」

 乾電池式のモバイルバッテリーの乾電池はもちろん一緒にこの世界にやってきた時の乾電池である。橘はモバイルバッテリーを持っていなかったが、吉野がこの世界に持ち込んでいた。

(こんなところで乾電池が役に立つなんて良かった)

 消耗品なので数に限りがあるとはいえ、段ボールいっぱいの乾電池にはまだ余裕はある。橘も頻繁に使うわけではないので、しばらくは持つだろうし、乾電池にはそれ以外の用途がないのでこのままでは肥やしにしかならない。生徒のものを勝手に使用するなんてと怒る人もこの世界にはいない。

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