第8話 凶悪な詠唱魔法
「グレンは見てのとおりの奴ですが、魔法の才に関してはこの国でも
たぶん、いろいろなことが彼にはあったのだろうと吉野は勝手に想像していた。
見た目をごまかせないわけで、灰色がかったグレンの髪の色は、少なからず彼の人生に影を落としたのではないかと思われた。今でもそうなのかもしれない。
「そんな暗い顔をしない! 俺は楽しく生きてるんだから」
マルクスは「こんな奴」と言っていたが、それは親しみを込めての言葉なのだろう。そして、軽い口調とは裏腹にグレンも頭が回る人間なのだろうと吉野は見ていた。
「それでは少し試してみますか?」
「はい、お願いします」
さっそく魔法の練習をすることになった。
最初は吉野から、火の魔法を再度使うことにした。
「火よ……」
吉野がそうつぶやくと、朝と同じくらいの大きさの火が出た。火傷の心配はないということである。
ただ、吉野にはプシューという音が聞こえている。
「マルクスさん、気になっていたんですが、私のこの火の大きさってマルクスさんよりも大きいんじゃないです? 色も青いところがありますし。あと、何か変な音がするんですけど」
マルクスの使った火の魔法は、マッチ棒で
「これが概念に関わることなんですが、おそらく私の中の火の概念と、吉野さんが抱いている火の概念が異なっているからではないでしょうか? あとは魔素を増やすとこんな感じになります。まずは安定させることが大切ですね。しかし、変な音ですか? 私たちには聞こえませんが……」
再度小火を起こしたマルクスの掌の火が大きく揺らめいていく。そして、小さくしぼんでいった。
吉野は自分の中の火の概念を再点検してみる。
(火と言われても、日常ではそんなに多く見ないからなあ……あ、そうか)
「ガスコンロの火ですね」
「ガスコンロ?」
マルクスが疑問を抱いたのも無理はなかった。ガスコンロ自体この国にはないようだった。
「あ、ガスコンロっていうのは私たちの世界で火を起こす道具なんですが、日常的に見ているのがその火です。ああ、ガスコンロだから音がしてたのかも」
「おそらく、その火の概念が吉野さんには定着しているということなのだと思います。続けて、『飛べ』と言って、的に当ててみてください」
言われた通りに的に集中して「飛べ」とつぶやいた。矢が獲物を仕留めるように、的に向かって掌の炎が飛んでいく。しかし、的からは外れてしまった。音は消えていた。
「失敗だあ」
さすがに一度で当てることは無理だった。ビギナーズラックを信じていたが、上手くいかないものである。
「いえ……正直驚きました。地球には魔法はないんですよね? 曲がらず、落ちず、真っ直ぐに飛んでいくだけでも大したものです。『飛ぶ』という動作にも良い手本があったのでしょうか」
感心した口調でマルクスが吉野の魔法を褒めていた。
「そうそう。普通はそんな大きさの火も起きないからね! 魔素量が多いのかな。青い火も気になるな」
グレンも感心しているようだった。吉野もおだてられているようで満更でもない。
(こういうのは橘くんが言っていた転移者特典に近いものなのかもしれない)
とはいえ、取り扱い注意なのは間違いない。
吉野としては今日はもうお腹いっぱいなので、次に橘の番へと移った。
「火よ、飛べ!」
小さく呟いた声に従い、火が出てきて飛んでいくという現象となる。続けて、「水よ」「風よ」と唱えて、「吹け」「うなれ」など適切な動詞の命令形の言葉を付け加えていく。まだ飽き足らないのか、他の言葉も使っているようだった。隣ではグレンが付き添ってどのような詠唱の言葉があるのかを話しているようだ。
一通り唱えた後、橘は吉野たちの元に戻ってきた。
「もう満足したの?」
「ええ。でも、何か物足りないんですよね」
吉野が見ていただけでも数十回は魔法の詠唱を行っていたにもかかわらず、橘を満たすまでのものはないという。
「いや、でもすげえよ。だって、あんなに連続して打ってもまだ余裕があるじゃん」
グレンの説明によれば、魔法を初めて使う人間はさじ加減もわからず、魔素が切れて息切れをしてしまうということである。それはこの二人が常人には決して及ばないほどの魔素量を持っているからに他ならない。
「
グレンが先ほどとは違う言葉を使うと、人を包み込めるほどの炎が発生して、練習場の真ん中に飛んでいった。
「何それ!?」
目を輝かした橘がグレンに急接近する。
「『火』以外の言葉でも魔法は発動するんだよ。限度はあるけど、こういう魔法だって使えるってわけ」
「つまり、詠唱文を変えるってこと? 詠唱文って決まってるの?」
橘が奇妙な質問をした。
「そうそう」
グレンがその質問に食いついた。橘とさらに距離が近くなったので、橘はやや後ずさった。性格はともかくとして整った顔立ちをしている少年の横顔である。
吉野は座りながら二人のやりとりをしばらくの間、微笑ましく眺めていた。
やがて、他の魔術士たちが魔法の訓練をするつもりなのだろうか、マルクスの元にやってきて話を始めた。マルクスを王子だと思えば、他の人間の態度もそれらしく見える。それにグレンも加わっていき、橘は休憩している吉野の横に座った。
「話はもうすんだの?」
「はい。ある程度、魔法には自由があるのかもしれません」
「そう……」
ちょっとこの腕輪がきついですね、と橘は翻訳の魔道具を外すと、そうだねと吉野も外して地面に置いた。魔素を隠蔽する腕輪は今は外してはなるまいと思い、そのままである。
「腕輪って付けないから蒸れますね。あ、先生が言ってた音、僕も聞こえましたよ」
「橘くんも? あれって何なんだろうね」
目線は練習場に移る。学校のグラウンドほどの大きさであり、真ん中には先ほどのグレンの魔法の影響か、地面が黒ずんでいるように見えた。自分とは違い、橘は的に魔法を上手く当てていた。数十メートル先の的はなかなか壊れないように細工がしてあるのか、綺麗なものである。
「最後にちょっと試してみようかな」
「試す? 何か案があるの?」
「先生はどのくらい知っているかわからないけど、ゲームやアニメではよく長い詠唱文が使われるんですよ。先生も若いんだからそういう文化は知っているんじゃないかなあ」
橘に言われてみると、確かに自分の記憶の中にいくつかの文言が浮かんでくる。記憶が混線して何のアニメだったか思い出せないが、橘の言うように、吉野も身に覚えはあるのだった。
「……うん、ある、ね。橘くんとは世代が違うけど、昔見ていたアニメにそういう場面は結構あった。ああいう詠唱文を使うってことか」
「そうです。僕の場合はもっとディープなものばかり思い浮かぶけど、そういうのを組み合わせたらどうなるのかすっごく気になって。ゲームや漫画の詠唱文を試してみますね」
橘の表情が活き活きとしている。
そういえば、前に橘と個人面談をした時に家でゲームをするという話を聞いていたのを吉野は思い出していた。その時は聞き流して、勉強しなさいとアドバイスをしたが、もちろんそれで辞めるとも思えなかった。教室での読書をする姿を見かけたこともあったが、今思えば異世界を舞台にした魔法の物語だったのかもしれない。
(ゲームとかアニメだと、凄まじい威力の魔法になるんじゃないのか)
大きな建物が吹き飛んだり、隕石が衝突したり、そんな大規模の魔法が頭をよぎる。
「それじゃあ、最後にやってみますね」
「ほどほどにしなさいよ」
「わかってますって」
この世界に来てから初めて見せたとびきりの笑顔を橘は吉野に返した。その笑顔が逆に怖いと吉野は思っていた。えっ、これってもしやフラグというやつ?と思えてきた。
二人が話を終えても、マルクスたちはまだ話し合いをしているようだった。
(概念の強固さや魔素量が威力に関係するんだよね。火……といえば、たき火、キャンプファイヤーくらいの大きさなら、この広い場所なら問題はないか。最悪、火事でも問題はないとは思うけど……)
概念と言葉はセットである。概念は目には見えないが、詠唱の言葉は耳で捉えることができる。橘を観察し、どういう言葉を使うのか想像し、耳に神経を集中させていた。なぜか胸騒ぎが止まらないのであった。
マルクスたちはなおも話しているが、意味は頭に入ってこない。グレンは橘が再度魔法を使おうとしているのを横目で見ていた。
ふーっと息を長く吐いた後、橘は同じように空気を吸った。そして、両手を空に掲げて詠唱を始めた。
「
橘が言葉を
これが魔素と呼ばれるものの正体なのだろうか、と
(何この空気? 「渾沌」や「冥界」の概念!? だとしたらこの魔法は……)
吉野はすぐにこれは行うべきことではないと考え至った。
「マルクスさん、これは大変危険です! 止めてください!」
腕輪を外しているため、「マルクス!」という呼びかけだけが耳に届いたのだった。
しかし、言葉は伝わらずとも、マルクスもグレンも二人も危機を感じているようである。他の魔術士も同じである。先ほどまで和やかな表情とは異なり、表情が硬くなっている。グレンに至っては、
二人は吉野の声を聞き、橘の姿を確かめてすぐに魔法の詠唱を始めていた。尋常ではない魔法がこれから発動されることを予感したのである。練習場を囲い込むように、光の大きな
(この膜は……)
結界である。通常の魔法であれば難なく抑えられる程度の結界であった。通常の魔法であれば、である。
そして、橘は次の詠唱文に移っていった。
「
橘の掲げている両手の上には、黒い炎が見えている。そしてそれは周りの空間を呑み込むかと思うほどに極端にも不自然に
「グレン、!!!!!!!!」
「!!!!!!!」
マルクスとグレンの声が聞こえてきたが、どうやら二人は結界を作り出している。
数秒の間に、マルクスたち、そして吉野の額からは汗が湧き起こる。それほどの暑さがすでに周囲に発生している。にもかからわず、すぐにその汗も蒸発しようとしている。結界を張っていても橘の魔法の影響力が周囲に広がっていたのである。それでもマルクスたちが吉野の周囲に張った結界により、体感温度はやや高い程度に留まっている。
王宮の魔道士たちもマルクスの声に反応する。今目の前で起きている現象を理解できない者がほとんどであったが、マルクスの声に必死さを聴き取り、マルクスとグレンの結界を見て、すぐに同じように結界を張り続けていく。
(このままじゃ、きっと被害が甚大なものになる。私も何か……)
すでに数十枚の結界が練習場には張られている。それもこの国の魔術士の中でも特に秀でた者たちの生み出した結界である。太古の竜の炎ですら容易に弾くことのできるほどの
しかし、その結界も次の瞬間、
残りの詠唱文を橘が唱える。
「
橘の上にあった黒い炎は幾重にも重なり、それは
その遊んでいる黒竜の裏では、命の危機をじんわりと予期している者がいた。
(くっ、これでは……)
マルクスの予想は間もなく黒炎が周囲に広がっていくものであった。そうなると、練習場を中心にして大火が燃え広がっていく、辺り一面が焼け野原になる光景が待っている。
せめて、被害をこの練習場だけに抑えたいところであったが、希望は皆無である。王城、いや王都にまで範囲は及ぶかもしれないと危惧している。
結界を止め、水の魔法で対抗すべきかともちらと考えがよぎったが、意味のあるものとは思えなかった。
つまり、絶望に足を踏み入れていたのである。
しかし、次の瞬間、張り詰めた空気が急速に中和されていく。
「
横から目の前の橘と同程度の魔素の高まりを感じ取り、思わずそちらの方向にマルクスは目を向けた。吉野である。
(この者は一体何を……。それに何だこの強力な結界は……)
吉野は橘と同じように自身の中にある言葉を組み合わせて、目の前の現象に対処しようとしていた。
そして、叫ぶように唱える。
「天に
かの者の深き
最愛なる慈悲を
両手を結び、祈るような姿勢になって唱えた吉野の詠唱魔法は、吉野を中心としてドーム状の結界となって訓練場を優に囲い込むほど広がっていく。その結界の上部が他とは異なる色になっていき、黒竜はその方向を目指して向かっていった。
現在はちょうど太陽が真上にある。黒竜はドームを超えた後、その太陽に向かっていった。結界を突き抜けた黒竜は、色は深い黒の姿のまま、しかし神気を宿した聖竜となった。
間もなく、聖竜は上空高くまで昇っていき、次第に
虹が消えた後は空は変わらず青々としていた。練習場は先ほど見ていたものに戻ったのだった。
「マ、マルクスさん。もう大丈夫でしょうか?」
再度腕輪をつけてから、あっけらかんとした表情で吉野はマルクスに尋ねた。マルクスもグレンも他の魔術士たちも、体内の魔素が切れかかっており、それほどまでに結界に力を使ったのだった。みな、はあはあぜいぜいとその場に伏せっている。
それを軽く上回るほどの魔素量を消費しつつも、平然と立っている吉野の姿に驚きを隠せないが、今は無事に終えたことに安心していた。
「大丈夫です。が、お二人にはお話があります!」
そして、こちらを振り返った橘はイタズラが見つかったかのような表情を浮かべていた。
その顔を見て、グレンは「綺麗だ」と思わず呟いていた。
これが橘が最初に使った魔法であった。
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