第7話 兄と弟

「申しわけありません。魔法についてはもう少し慎重に話をすべきでした」

 さっそく魔法を使ったという事実をマルクスに話すと、表情を変えて吉野たちに謝ってきた。

「いえ、私の方こそ勝手なことをしてすみません」

「本当に僕たちにも使えるんですね」

 とはいえ、橘は吉野と同じようにすぐには魔法を使おうと考えていなかった。この点、橘は吉野よりも用心深い性格なのであった。もしかして、自分の失敗する様子をみて、判断しているんじゃないかと吉野は密かに思っていた。

「まずは魔法の仕組みから説明した方がいいですね。ここでは狭いですね。少し歩きますが、付いてきてください」

 マルクスは立ち上がって、別の場所に案内した。室内からやっと外と呼ぶべき場所に出た。

「そういえば、私たちが今いる場所って何の建物なんですか?」

 そう問いながらも、答えはある程度わかっている。

「ここは王城です。王にはすでに事情は話しているのでご安心ください」

 王城……地球では城に入る経験はなかったが、映画さながらの城という感じではある。

 後日、外から見た城を眺める機会があったが、周囲は堅牢けんろうな塀に囲まれており、門を通ると開放的な空間になる。真っ直ぐに進めば大勢が入れる空間があり、何らかの儀礼の際には使用される。左右にはそれぞれ日本で省庁にあたる部署があったり、城に仕える人間が生活する空間がある。

 吉野たちの部屋は迎賓館げいひんかんともいうべきところにあり、城の敷地から東に離れた閑静な場所である。その場所からしばらく北に進めば、訓練場になるため、マルクスはそこへ二人を連れて行った。

 ちょうど、王城の北に位置しており、城からは訓練をしている兵たちの姿を望み見ることができる。


 マルクスに案内されている途中に、何人かの人々とすれ違う。すれ違うというよりは実際にはマルクスに敬意を示している様子であった。

「もしかして、マルクスさんって結構な地位の人なんですか?」

「これでも王家の一員なので、それなりには」

 吉野たちは自分たちに敬礼をされているような錯覚におちいるが、それほどの人物なのであった。そして、転移者への対応もこの地位の人間が行うという事実にも吉野は思いをせていた。

(価値がないといいながら、先人の転移者の遺言だけでこれほど丁重に扱うものだろうか? でも単に性格がいい人だけなのかも)

 少しばかり疑り深くなった吉野だったが、それ以上に自分たちに不愉快な思いをさせまいとするマルクスの態度には素直に安心している。


 道すがら、今の季節の自然に心躍った。

 庭園の精気は増して、陽光が砂の色を照らし、ずる緑におおわれている。残雪は少なくなり、代わって色とりどりの鮮やかな花々が占めている。東風は木々を緩やかに揺らし、そこから見えるのは薄絹のような空である。

「馬車を使った方が良かったですね」

「いえ、このくらいは大丈夫ですよ。歩くのも楽しいですし」

 10分以上歩いたように思える。それほどの距離にある場所だった。見晴らしもよく、遠くには城下町の姿が見える。王都というだけあって人も多いのだろう。

 案内された訓練場は目的ごとに違うのだろう、さまざまなフィールドがある。近くのフィールドの数十メートル先には的があり、近くの小屋の前には弓矢などが整理されて何本か置かれていた。

 遠くには集団訓練をする場なのだろう、数百人単位での模擬戦が行われることができそうである。ということは、そういう想定の現実があるということでもある。

「ここは主に矢や魔法などを使う練習場です。室内だとどうなるかわからないもので。王城からも離れておりますし、今日は兵達はここを使わないので安心してください」

「そうですね、はい、すみません」

 先ほどの自分の失態を思い出して吉野は恥ずかしくなった。


「それでは魔法について……」

「兄さん!」

 一人の少年がマルクスの言葉を遮った。どこから現れたのか、明朗な声の響きがする少年である。突然の人物に吉野と橘は戸惑ったが、マルクスはその少年と話をしている。

「どうしてここへ!?」

「ひどいよ、兄さん。俺も誘ってくれなきゃ!!」

「お前は時間をおいてからと言っただろう、グレン」

 話の内容に照らせば二人は兄弟なのだろう。吉野の見たところ、マルクスは30歳後半、この少年は橘と同じくらいの年齢だった。

(兄弟というより、親子と言われても不思議ではないけど)

 ともあれ、兄弟らしいやりとりではあった。

 たしかによく見ればこの少年の顔のパーツもマルクスとよく似ている。一見して大きな違いがあるとすれば髪の色くらいだろうか。マルクスは金髪であるが、青年は灰色がかったさらっとした髪色である。青色やピンク色の髪の毛の人はこの世界にはいるんだろうか、と想像をしていた。


 グレンと呼ばれた少年の反応をよそに、マルクスは二人に説明をし始めた。

「すみません、こちらは年が離れておりますが弟のグレンです。見ての通り騒がしい奴なので、なるべく会わせたくはなかったんですが……」

 堅かった口調が少しだけ砕けたマルクスに吉野は思わずくすりと笑みを浮かべた。

「なんだよ、『騒がしい奴』って。お二人さん、はじめまして。グレン・アリュメルトです。これでも王子だよ。あ、でもそんなに気を遣わなくていいから。あんまり重いのも好きじゃないんで。俺としては身分とかはあまり気にしてないから、グレンって呼び捨てでいいよ! 成人したての15歳! あ、でも……」

 よく話す青年だなと二人は思った。ただ、それよりも思ったよりも年下だったことに驚きを感じた。そして、マルクスが王子であることもわかった。

「15歳?」

 15歳にしては大きいように思う。橘が入学してきた時のことを思い出して見比べてみても、しっかりとした体つきをしているように見える。もちろん、個人差の範囲である。

(この世界では15歳で成人なのか)

 一つこの世界の常識を学んだ。


「僕なんて16歳だけど」

 橘は吉野が自分とグレンを見比べたことに気づき、少しだけねた口調を見せた。気のせいか、昨日準備室で見たよりも橘の顔つきや体つきがたくましくなっているように思えたが、グレンよりは幼い。

 ごめんねと静かにメッセージを橘に送った。

「年齢のことはまだ話していませんでした。そうですね、地球とは一年の単位が異なっています。地球では12ヶ月ですが、この世界では14ヶ月です」

 その言葉を聞いて、吉野は妙に納得した。それは橘も同じだった。

「えっ、じゃあ僕ってこの世界では14歳にもなっていないってこと?」

「そうなりますね」

 頭の中で素早く計算ができたのだろう、橘はそれから吉野の年齢も計算していた。

「先生は4年目って言っていたから、それをもとに計算すると……」

「はいはい、橘くん、やめやめ。人の年齢の計算するなんて無粋ぶすいだよ」

 少しばかり空気が悪くなってしまったが、そんなことも気にせずグレンは話をし続けていた。

(まぁ、橘くんにも同世代の子がいてくれるといいかもしれない。こういう子がいた方が安心するだろうし)

 実は吉野は内心、この世界では年齢が若くなったことに少しだけ喜んでいた。


「さて、少し話がそれましたが、今から魔法について説明をします。翻訳の魔法は少し事情が異なるんですが、火を起こす魔法についてはすでに見せたとおりです」

 マルクスは魔法についての説明を二人にした。

 魔法とは魔素を材料にして新たな物質に変化させたり見えない力を発生させたりすることを基本とする。魔素は生命の体内や自然界にも存在している見えない物質であり、生命の場合は保有量に個体差がある。

「個体差ってことは、全ての人が魔法を使えるってわけではないんですか?」

 魔素という言葉の意味が不明だったが、橘の方は知ってて当然という顔をしている。

「そうですね。この国の民は他国に比べて使うことのできる人間は多いようなんですが、皆が使えるわけではありません。一定量の魔素が体内になければ使用が困難です。その場合は、特別な石を利用して使うことができますね。ただ、少なくともお二人は使えますよ」

 実際に吉野が使えたのは事実であるが、マルクスの見立てでは橘にも魔法は使えるようだ。


「かなり確信があるようですが、見た目でわかるものなんです?」

「一番は髪の色でしょうか。黒に近づくほど、体内魔素量は多いんです。だから、村でお二人の髪の色を門衛が先に教えてくれたので、私もお二人が転移者ではないかとすぐに判断ができました」

 朝に橘が話していた物語にも黒髪が魔力と結びつけられることのある話があった。どうやらこの世界はその設定が有効のようである。

 マルクス曰く、転移者は転移の際に大量の魔素が運ばれるとともに、この世界に合うように体が再構築されるのではないか、ということである。

(あの光の空間か……)

 全くの暗闇も恐ろしいが、閃光ばかりの世界も何も見えないことには変わりはない。おそらく時間にして1時間はあの空間にいたことになるが、あの間に身体が再構築されたということであった。気絶をしたのもそのせいだったのかもしれないと吉野は思った。

「それじゃあ転移者は黒髪になるんですか?」

「はい。かつての転移者も元の世界では黒ではなかったのに、こちらの世界にやってきた時に髪の色が変化したという記録が残されています。ただ、お二人ほど漆黒しっこくというのは、珍しいように思います」

 この世界にも黒髪の人間はいるが、数は極端に少ない。

 見た目を変化させる魔法もあり、あえてはくを付けるために黒髪にする変わった魔術士もいるという。それでも全体として数が多いわけではなく、そんな黒髪の人間が何もないところからしかも二人も現れたとしたら、もしかして転移者なのではないかと予測がついたというわけであった。

 吉野たちの姿を見た後、マルクスは瞬時に二人の魔素量を測定してそれが決定打となったということである。

 ただ、マルクスが林付近から王都に戻る最中に急激な魔素の高まりを感じ取り、予定を変更して吉野たちのもとへと向かった、という説明は省略した。したがって、遅かれ早かれ、吉野たちとマルクスが出会うことは必然的なものなのであった。


「ちなみに、お二人が転移してきた林には魔素量の大幅な増加が見られました。その中でも特に高い魔素量を確認できたところにお二人とともに運ばれてきた道具がありました」

 あの林はこれから大変なことになるのですが、とマルクスは付け加えた。

(詳しい場所を説明していなかったのに電子辞書の入った段ボールを発見できたのはそのせいだったのか)

 気に掛かっていたことがやっと腑に落ちた気がした。

「お二人は外見もそうですが、実のところ魔素量も計り知れません。最初に渡した腕輪はお二人の魔素を隠蔽する効果のある魔道具でもあるんですよ」

 吉野と橘は、翻訳の効果のある腕輪と、もう一つは今マルクスの説明した魔素を隠蔽いんぺいする腕輪をはめている。もしこの腕輪をつけていなかったら、王宮内は異常な魔素保有者の存在にパニックに陥った可能性があるとのことだった。


 続けてマルクスが魔法の説明をしていく。

「魔素にもいろいろな働きがあるのですが、火や水の魔法に関して言えば魔素だけでは魔法という現象を起こすことはできません。魔素を魔法に変換するためには、方向性を定める言葉と、実体化するための概念が必要となります」

「言葉と概念?」

「たとえば、私がただ単に『火よ』と言っても、火はこの通り起こりません」

 マルクスが前に見せたのと同じようにしても、火は起きなかった。

「火という明確な概念を私が思い浮かべなかったから、というわけではありません。一度、概念化して定着してしまえば頭を空っぽにしても使うことが可能です。今起きなかったのは単純に魔素自体を送り込んでなかったからです」

 寝言で「火よ」と言って火が発生したらとんでもない事態になる。言葉だけで発動しないというのは、都合がいいというか、安全装置が働いているというべきか。

「しかし、適切な魔素を与えて、『火よ』と唱えると……」

 マルクスの手のひらには小火が発生した。

「さらに、『飛べ』と唱えると……」

 数十メートル先にある的へと火が移動をしていった。

「これが魔法……」

 全てが一瞬のことで吉野は理解が追いついていなかった。

「はい。説明前に魔法の使用があったのは私の失態でしたが、危険性がおわかりになったでしょうか?」

「はい。とてもよく。恐ろしいことだったんですね」

 吉野は安易に魔法を使ってしまったことに今になって深く後悔をした。魔法が使えることに浮かれてはいけなかったのだ。すでに魔法を使える身になった。力を手にしてしまったのだ。力の扱い方には注意をしなくてはならない。


 再び後ろ向きな空気になりはじめたところ、グレンがぱっと風でなぎ払うように口を出す。

「兄さんも脅しすぎ! でも、恐ろしさがわかったならもういいんじゃない? せっかく使えるんだから、勉強して良い感じに使えるようになればいいんだから。こんな風にね!」

 グレンは両腕を広げて、「水よ」そして「風よ」と唱えた後に、何かの言葉をつぶやいた。

 やがて、霧となった水滴が細かく風に巻き上げられ、そして小さな虹が上空にできていた。

「虹が……。すごい」

 思わず声があげたのは橘だった。それは数秒にも満たなかったが、魔法の魅力を伝えるだけであれば十分であった。

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