第6話 初めての魔法?
一通り、転移者の歴史についてマルクスから説明を受けた。
「それで、私たちはこれからどうすればいいんでしょうか?」
以上の話を聞いてみても、吉野はやはり自分たちの存在がこの世界やこの国に利益をもたらすとも思えなかった。
そのことを理解しつつも、「それじゃあさようなら」と投げ出されることもあってほしくない。帰れるかわからないが、生活していく必要がある。生活基盤がなければ、生きていくことが難しいと吉野は必死である。
それに自分一人ではない、橘がいるのである。
「もしお二人がよろしければ、しばらくこの国で暮らしてください」
嘘や冗談を言っている感じではない。「しばらく」と曖昧な期間がついているのは気になるところだが、二人にとってはありがたい申し出だった。
「ですが、本当にいいんですか?」
吉野の真意を読み取ったかのように、マルクスは答える。
「この国は昔に転移者の恩恵を受けて発展してきました。当時の国民は深く感謝をしたそうです。その転移者は今もこの国では
私も王家の一員なのですが、とマルクスは最後に付け加えた。
その後、二人だけにしてマルクスは吉野と橘をその場に残して去って行った。
「この場合どうすればいいんでしょうか?」
立場が変わり、吉野が橘に質問をする形になっていた。
「かなりショックですよね。僕たちが数万年後の人たちの知識に適うわけないですもん。一緒に持ってきた教科書も電子辞書の知識も訳に立たないだろうし」
テーブルの上に並べられた橘の私物がどこか古めかしいものに見える。
「でも、話によれば全部がこの世界に持ち込まれたわけでもないんでしょう? 私たちにしかできないこともあるかもしれない。私たちだって数万年後の技術を目の前に投げられても使いこなせないよ」
「そりゃそうですけど」
落ち込んでいる橘をなんとか励まそうとした。しかし、橘はそれほどショックを受けているようにも見えないが、これには理由がある。
橘と今朝方確認した道具は、スマホやいくつかの書籍、大量の電子辞書と電池などであり、吉野の持っている私物のノートパソコンも化石だろう。スマホに関しては電池があるのでバッテリーを充電できるとはいえ、検索することもできず、せいぜい動画や写真を撮ったりする機能が有効だろうか。いや、それだって魔科学の領域で既にありそうなものではある。
なお、林に残してきた電子辞書や電池などは二人が寝ている間にマルクスが部下に命じて回収させていた。詳しい場所を言っていないのに見つけるというのは並大抵のことではなかっただろう。転移した直後のあの場所を思い出していた。
「とりあえず、私たちはこの世界の常識を学ばないといけないよね」
マルクスがいくつか提案した中に、この世界について個人講義で教授してくれるというものがあった。おそらく、これまでの転移者も同じようにこの世界の知識を欲したという経験則があるのだろう。
(地球の未来については、知りたいような、知りたくないような)
ある程度、自分たちの世界のこともわかるのだろう。人類は輝かしい未来を切り拓いていったのだろうか、それとも……と吉野の表情は曇る。
「このままじゃ、僕たち完全に
「穀潰しって……」
この世界にも「穀潰し」に相当する言葉はあるのだろうか、あるのだろう。
「マルクスさんの話では、私たちに危害を加える国はないだろうってことだけど……」
この世界での転移者の扱いは、最初こそ貴重だとわかり
というよりも、地球の未来人の知識がすべて利用できるわけでもないとこの世界の人も薄々わかってきた、という感じである。
(人型ロボットが人間のように思考して動いていた未来があったとしても、再現しづらいだろうしな)
それこそ、数万ではなく数十万年後の転移者だったら価値はあるのかもしれないが、5万、6万年代の人たちにはそれほど多くは期待できない。ましてや2000年代の自分たちに、そして特別な技術者でもない人間にとりわけ関心を抱く人はそんなにはいないのだろう。
吉野はマルクスの話を聞きながらそのように単純に考えていた。
しかし、橘は違っていた。
「それでも僕たちは稀少な存在なんだから、あんまり安心しきっても駄目だと思いますよ。何考えているのかわかったもんじゃないですし」
「そう、だね」
橘の言う通りだろう。彼の言葉には体験が踏まえられているように感じる。
そうだ、と吉野は思う。世の中には思いも知らぬ行動をとる人たちがいる。一般的には価値がなくとも価値を見出そうとする人たちもいることだろう。自分たちの世界にもそんなことは沢山あったはずである。用心に越したことはない、と。
「いずれにせよ、今のところはしばらくは厄介になるしかないものね」
「そうですね。僕は魔法が使いたいな」
マルクスが部屋を出る前に橘に
マルクスが小さな声で短く「火よ」とつぶやくと、マッチ棒で擦ったよりもやや大きい
しかも、マルクスが「転移者も使えますよ」と言ったので、なおさら期待と喜びは大きい。
地球での生活体験しかない身からすると、吉野にとっては魔法というものがどういう仕組みで発生するのかが不可解であった。意に介さず目の前で
「詠唱魔法か……。確か『火よ』だったか、なんてね……」
火を思い浮かべながら冗談っぽく吉野がつぶやいた。
「せ、先生……」
吉野がマルクスと同じ様に手のひらを上にして言葉を発すると、何もない空間に火が出ていた。それは小火とは呼べないほどの大きさの炎である。
(えっ、こんなに簡単にできちゃうものなの?)
これには吉野も橘も声が出なかった。しかし、そのままではいられない。
「待って、火が消えない。どうしよう、橘くん! ちょっと消えて、消えてよ!」
吉野は慌てて手を振り乱し、
「先生、ちょっとは
嬉しそうに怒りながら橘が言った。
「これはちょっと早めにマルクスさんには魔法について訊かないといけないな」
手を火傷していないか吉野は確認したが、どうやら無事だった。
橘にたしなめられながらも、魔法を使えたという事実に吉野はわけもなく懐かしさを感じていた。
幼い頃、近所の友達とヒーローやヒロインごっこをして遊んだことがしばしばあった。当時テレビで流れていた子ども向け番組のキャラクターが使う必殺技や魔法を真似て、お互いに使っていた。大人になっても、そういう子どもたちが沢山いることが嬉しく感じられた。
(子どもの頃は、実際に魔法を使えてたと思ってたんだよね、みんな)
何もないはずなのにビームが出たと思ったり、そのビームに当たって傷ついていないのに傷ついてるように思えたり、回復魔法を唱えたら全快したり、かつて子どもはみんな魔法使いだった。大人になるということは、魔法を捨てるということなのである。
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