第5話 5万年後の転移者

 一通り食べ終えた後、頃合いを見計らってやってきたマルクスと話をすることになった。

 昨晩は一度に多くの情報があってはかえって混乱を生じさせるだけだということで中断したが、今日はその続きの話である。


「それではあなたがたは2000年代の世界から来たということですか!?」

 転移者がいたにもかかわらず、意外なことにマルクスはその事実に反応した。

「そんなに驚くことですか?」

 吉野はなぜ自分たちの来た年代にマルクスが反応するのか、さっぱりわからない。

 話の中で、やはり吉野たちの住んでいた地球からは不定期に転移する者がいたということがわかった。

 ただ、それは吉野たちの時代よりもずいぶんと遠い未来からやってきた人ばかりだという。

 それも数百年でも数千年でもなく、数万年単位の遙かな未来から転移する者たちだったのだ。空間だけではなく時のねじれの影響で、転移元の時間とこちらの世界の時間は異なっているようである。

(そんな遠い未来でも人類はまだ滅亡していなかったのか)

 吉野としてはこちらの事実の方が新鮮であった。

「転移者はあなたがたの世界でいう『西暦』を用いると5万~6万年代に集中しています」

「ご、5万ですか……」

 思わず数字に反応してしまう。

 頭がクラクラと気の遠くなるほどの未来からやってきた人がいる。近未来どころではない。おそらく、自分たちのいる時代とは様々な点で大きく変わってしまった人たちなのだろうと思う。


「気を悪くしないでほしいのですが、先に言っておくと、転移者としてのあなたがたの価値は低い、のだと思います」

(なるほど……)

 マルクスが言葉を選びながら話しているのは伝わった。数万年後の人たちの知識に比べれば、自分たちの知識など化石同然である。

 いや、化石でさえ価値はある。むしろ未来人から見れば誤った知識を持っているだけに、厄介なものかもしれない。この世界に改革を、なんてことは夢想に過ぎないと思い、マルクスに微笑ほほえみながら返答した。

「私たちの置かれた状況がよくわかりました。言いづらかったでしょうに、ありがとうございます」

 マルクスは決して悪意をもって言ったわけではないと吉野は理解していた。むしろ、それでもなお自分たちに節度をもって接してくれていることの方が不思議に思えた。


「記録に残っている限りでは、あなたがたの世界から転移してきた人数は49名です。といっても、確認ができていないだけで、実際にはもっといます」

「じゃあ、その中に日本人は?」

 橘が今度は尋ねた。

「実はよくわかっていません」

「わかっていない?」

「はい。記録ではなんとも……」

 今朝の和食は転移者の影響なのかはわからないが、遠い未来にまだ「日本人」の存在は不明であるにしても、和食が残っていることを吉野はどこかほっとしたのだった。

 一方で、和食のように自分の抱いている「日本人」がどこまで一致しているのかはわからない。人口問題、移民問題、エネルギー問題、そんなことを考えてみると果たして数万年後の「日本人」だと言えるのだろうか。


 吉野の不安をよそに、マルクスは続けて転移者の歴史について説明をしていった。

 この世界で確認できた最初の転移者は、今から5000年以上前のことである。

 地球からやってきたその転移者は西暦5万年代の生まれだったと言われている。

 「と言われている」というのは確実な証拠がないからである。長命な種族に伝わる伝承や、ちょうど5000年前頃にできた文字による記録などによって推定されている。確実なのが5000年前ということなのだった。

 その後、数十年に何度か転移者がやってきて、そのたびに吉野たちの未来の科学技術が援用されてきたのだという。時には吉野と橘のように、複数人出現した時代もあった。

 したがって、橘の抱く異世界無双は、ほとんどこの未来人によってなされたともいえる。

 もちろん、すべての転移者が高度な知識を持っていたわけでもなく、知識があるからといって本人には仕組みがわかっていないものが多くある。高度すぎる科学技術にこの世界が追いついていかなかったという理由もある。吉野たちの未来の知識や技術がまんべんなく普及したとはいえないようだ。

 ただ、転移者の中には時折それ相応の専門家もいて、この世界に合うように形に変えて知識や技術を伝えていったのだという。

 また、転移者がやってきた初期は言葉が通じないということで迫害を受けたという話である。

(迫害……)

 なんとなくどのようなことが過去に起きたのかを吉野は想像できていた。

 なお、心ある転移者の中には次の転移者のためにそれぞれが残した記録をもとに地球の歴史の形が少しずつ整えられたとも言われているが、どうやらそれは散佚してしまっているようだった。この世界の住人にとっては地球の歴史などは知識や技術に比べたら不必要なものだったのだろう、重要なものだとは思わずに保管が緩かったという気持ちはわかる。


「最初の話に戻りますが、お二人の2000年代はもとより、1万年、2万年代も明らかになっておらず、空白の時代とされています」

 これがマルクスが驚いた理由なのだった。

 要するに、空白の時代からやってきたのが吉野たちなのだった。

(確かに、私たちには価値はなさそうだ。価値は「利用価値」のことだろう)

 周りからかつがれて英雄になる、橘の言葉でいえば異世界無双をするという道はほとんど断たれたが、そっちの方が気軽でいいかもしれないと吉野は思った。

 空白時代の歴史に生きていた自分たちがこの世界にどれほどの恵みをもたらすかと考えてみても、あまりないように思える。ただ、橘はまだ異世界無双を諦めていないように見えた。

 吉野は職業柄、一番疑問に思っていたことを尋ねてみた。

「そういえば言語の問題ってどうなっているんですか?」

 数十人の転移者がこの世界に来たとしても、マルクスのように日本語という言語を簡単に話せるとは到底思えない。

 朝に橘から聞いた話では、異世界の物語では転移者特典として言語翻訳スキルのようなものが付与されていることが多いのだという。吉野もそのことは知っていた。自分たちにもそういうスキルがあるというのだろうか。

(でもそれだったら最初から言葉はわかっていたはずだよね)

 昨日の村の男たちの言葉は、やはり知らない言語である。だから、そのスキルはない。

 しかし、実際にマルクスが日本語を話している以上、それに近いものがあるのだとは吉野は感じている。

「それはかつての転移者が持っていた言語翻訳データベースというものを活用しているんです」

 マルクスの説明によれば、地球の主な言語は遙かな未来においてはかなりの精度の高い言語翻訳データベースが構築されていたのだという。すでに失われた言語もいくつかあったらしいが、人類は言語が滅亡する前にある程度記録に残していたようだ。

 そして、そのようなデータベースを持っていた言語学者が1500年ほど前にこの世界の言語と逐一照らし合わせながら再構築していったのだ。そして、その言葉はエリュミ語と呼ばれ、この世界の大多数が使っている言語なのだった。

 それはきっと奇跡のような出来事だったに違いない。神話というのなら、この事実の方が神話的に思える。


「その魔法や魔道具によって私たちが理解している、ということです」

「魔法……ですか?」

 話によれば言語翻訳の魔法というものがあるようだ。

 いわば地球の言語データベースと、この世界の魔法とが融合された「魔科学」という新しい領域を開拓したのだった。それは転移者だけが使えるわけではなく、この世界の人たちも使える。したがって、言語翻訳の魔法は結果的にこの世界の住人の意思疎通を後押ししたともいえる。

 その言語学者も当時の魔術士たちもその苦労は並大抵のものではなかっただろうと吉野は想像する。

 最初にマルクスが吉野たちに話していたのは日本語以外の地球の言語だった。未来の地球の言葉である。そして、いくつかの言語を試したのち、日本語を使って意思疎通ができたのだった。橘が気づいたように、どうやら英語も試していたようだ。

(橘くん、英語の成績は群を抜いてたんだけどな……)

 気を抜いていたとはいえ、橘が聞き取れなかったのは奇妙なことだった。どうやら、橘に聞こえていた英語は未来の英語であり、吉野たちの知っている英語とは異なるようである。

 あの時にマルクスが本を持っていたのは、地球の言語が書かれていたのであり、それを見ながら一つひとつ試していたのである。ただ、旅行に行く時に使うような、ハンドブック程度の挨拶会話集のようであり、詳細なものではなかった。

 他にも吉野たちの時代のいくつかの言語名が知らされた。知らない言語名もある。未来に主要な言語が出来たと言うことなのだろう。

「でも、その魔法だと、私たち二人の言語を理解できていないんでしょうか?」

 最初から翻訳魔法が使えるのであれば、マルクスは本を見なくとも吉野たちの言葉も理解できたはずである。

「はい。不思議なことに、転移者の生の言葉は魔法では理解ができないんです。だから、お二人に翻訳魔法の効果のある魔道具をお渡ししたのです。転移者にはこのような魔道具をはじめに渡すことが多いですね」

 つまり、転移者が魔道具を使ってこの世界の住人の言葉を理解するわけで、その逆はできない魔法であった。今、マルクスは魔法を使用しておらず、吉野たちの付けた魔道具の影響で会話が成り立っている。


「言語には翻訳できないものもあると思うんですけど」

 おずおずと吉野は尋ねてみる。これも職業柄気になることであった。

「そうですね。この世界の言語だけでもいまだに解明されていない言語はあります。概念が異なるので、当然のことながらすべてが翻訳されているわけではないんです」

 つまり、概念が異なっているものは十全に理解できるわけでもないということだった。言語間だけでなく、一つの言語内でも過去と未来の差が激しいほど概念の差はある。日本語の場合、千年前と現在とでは言葉が同じものであっても概念は異なる。現在と5万年後の日本語の差異はどこまでのものだろうか。きっと通じ合えないこともあるのだろう。

(それでも日常生活においてはありがたい魔法だよね)

 地球にあったとしたら、とんでもない発明だ。とはいえ、言語を生業なりわいにしている職業は少なくなっている未来は簡単に想像できる。自分の職業もおそらく未来にはなくなっているのだろう。

 言語以外の面でも、地球からの転移者が持っている知識とこの世界の魔法とを組み合わせたものはいくつかあるようだったが、言語翻訳の魔法ほど活用されることはないのだという話だった。

 ただ、どこかマルクスの歯切れが悪いように見えた。

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