第4話 異世界の物語のテンプレ
揺れは一切感じなかったが、いつの間にか馬車は移動をしていた。
マルクスから無言の答えをもらった後、二人は声も出すのが辛いのか、それ以上は話が広がらなかった。加えて、光の中にいた時と歩いてきた疲れが今になって仕事をし始めたので、馬車の中は静寂そのものであった。徒らにマルクスは声を発することはなかった。二人が寝落ちしそうになっても、特に何もせずにじっと座っていた。
外に出ると目の前には扉があった。何か大きな建物の一室である。
「本当に同室でよいのですか?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
その日はもう遅いということで、詳しい話は翌日に回し、吉野たちは就寝することにした。考えを整理する時間も必要だろうというマルクスの配慮である。
マルクスは気を遣って、二人を別室にしようと提案したが、これについては橘からの強い要望があった。
「先生、お願い。一緒に寝て!」
一瞬、男子生徒と同室か、と思ったが、橘だったら問題は起こらないと吉野は確信していた。この判断にも相応の理由がある。事実、橘にもそのような下心は一切なかった。何よりもこの世界で一人というのは不安なのである。
「わかった。一緒のベッドは無理だけど」
「そんなのわかってますよ。僕はそれでもいいですけど」
元の世界で聴いた声の響きに戻って来た。軽いはずはないが、冗談も言えるようになった。少しばかりこの状況を前向きに捉えてきたのかもしれない。
(異世界に来たことへのワクワク感があるのかもしれない)
いわばここは物語の世界である。物語の世界はいつも好奇心に満ちている。
橘もそれに今触れつつあることへの感動があるのか、あるいは自分が物語の主人公になったかのように思えているのかもしれない。
吉野にもそのような浮ついた気持ちがなかったとはいえない。しかし、それ以上にこれから先の生活を考えると不安でいっぱいであった。
横になったまま、吉野は眠れずにいた。静かな寝息が聞こえてくる。橘はもう眠っている。
今は午前3時くらいの感覚だろうか。数時間前までは学校にいたのに、今の状況を理解するにはあまりにも頼りない手がかりばかりだ。このまま寝て、起床したら……、なんて思うも、ベッドの感触を確認してもやはり夢の質感とは異なっている。これは夢ではないことを確信しつつあった。
明日からはまた別の説明がされるだろう。しかし、帰ることは難しいように思える。
「橘くんもいるし、私がしっかりしないと」
少しだけ起き上がって眠り込んでいる橘の方を見る。寝息ひとつ立てない、静かな寝顔である。その表情を見て、あらためて安堵した。
(そういえば電子辞書も一緒に連れてきてしまったけれど、学校は大丈夫かな)
そんなことを考えていると、やがて吉野は知らぬ間に眠りについていた。
目を覚ますと、橘はすでに起床しており、私物を整理していた。テーブルの上にいろいろなものが並べられている。
「おはようございます、先生!」
空元気、というわけではないようだった。心
「おはよう、何をしているの?」
寝起きの顔を生徒に見られることの恥じらいはなかった。やはり夢ではなかったのだという事実の方が大きい。
「異世界の物語では、僕たちの持ってきた道具や知識で無双ができるんですよ。だから、今何を持っているのかを確認したくて」
自分の中にある異世界に移った人間の物語の記憶を辿り寄せていく。
以前に異世界の物語を調べるきっかけがあって、吉野はいくつかの物語を読んでいた。衛生管理や医療技術、食文化、法律や制度など、異世界には目新しいものを一市民が活用して英雄になっていく話があったなと思い出す。
(でも、そんなに上手い話があるだろうか?)
吉野は心の中で自然と身構える。
昨夜の話では、自分たち以外にもどうやら地球からやってきた人間が複数いることがわかる。
だから、自分たちと同じ、あるいはそれ以上の知識を持っている人もいるかもしれない、そんな人たちがこの世界にもたらした以上のものを自分たちは持っているのだろうか、と。
しかし、今この時は目の前で張り切る橘に水を差すまいと思うのであった。
何より、彼はこの世界を欲している、いや元の世界には戻りたくないのかもしれない。吉野は
その後、橘から異世界の物語についていろいろと教わり、「テンプレ」というものを詳しく聞くことになった。
異世界に転移、転生した人間の持つ特別な力や特典を始めとして、この後に起きる出来事を橘は説明する。
お前は真の仲間じゃないと裏切られ
よくもまあ、人間の果てのない想像力に驚かされることかと吉野は感動すら覚えていた。
やがてメイドだろうか、吉野たちに朝食を運んで持ってきた。昨晩は夕飯を摂っていなかったので確かに二人は空腹である。女性を遣わしたというのもマルクスの気配りであった。メイドも配膳だけ済ませると音も立てずに部屋から出て行った。
朝食は不思議なことに惜しいくらいに和食に似ていた。
見慣れた米に味噌汁、漬け物などがあった。ただ、似ているが、それでもわずかに米の色や味や食感は異なっている。
(転移者には日本人もいたのか)
二人が日本からやってきたので、気を利かせてくれたのかもしれなかった。
ただ、異世界無双というのはなかなか難しいと吉野は思う。少なくとも食文化は自分たちの世界の反映があるのではないかと。橘もそのことを感じているのか、どこか浮かない表情である。どうやら味噌汁の中に苦手な
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます