かくれんぼ

 4月下旬、その日は土曜日で、午前中に授業が終わる。そして隣町で祭りが行われる。久しぶりに家族で、祖母の家に行くついでに行くことにした。

 僕は頭痛が少しだけした。普段、頭痛はほとんどしないのになぜだろうと不思議だった。

 電車を降り駅を出て、学校に行くまでの道を歩いていると、突然視界が全体的に青くなった。

 不思議に思っていると、広人が俺の隣に来た。彼は異物を見るかのような目で僕を見つめる。

「え? その日付、何?」

 そう言われて僕は気づいた。そうか、これは日付だったのか。

 僕は反射的に学校とは反対側に走って逃げた。こんな姿で学校には行けない。

「おい、どこに行くんだよ」

 その問いかけには返事はしなかった。

 もう僕は普通の人間ではないのだ。今までは隠せていた自分の能力が人に見える形になってしまった。もう死んでしまいたい。

 顔に浮かびあがってくる忌々しい文字をなんとか隠そうと、手で塞いでいた。そのせいで、前はよく見えないし、周りからは変な目で見られる。

 そのまま走って、とりあえずいつもの公園へ行った。そこには人は誰もいなかった。

 しばらくベンチに座って、下を向いて顔を塞いでいた。文字をつかもうとしてもすり抜けてしまう。それでも何度も何度もかき消そうとした。でも消えなかった。

 すると誰かが僕の左肩を優しく叩いた。

「大丈夫?」

 優しく包み込むような声。それだけで、誰かがわかった。西園寺さんだ。

「日付、いつになってる?」大丈夫かという彼女からの質問には答えずに、僕は彼女のほうを向いた。

「今日になってるよ」

 それを聞いて僕は立ち上がった。そして公園を出ようとした。

「ちょっと、どこ行くの?」

 そう聞かれて僕はこう答えた。

 死にに行く、と。

「どこに?」彼女の声は震えているようだ。

「隣町」

「ちょっと待ってよ」

 彼女がいつもよりも大きな声でそう言いながら、僕を止めようとしている。

「うるさいな、放っておいてよ。僕はもう周りから見ても普通の人間じゃないんだ」

 僕も彼女に負けないような大きな声で言った。

 僕はまた文字を隠しながら、ゆっくりと歩いていった。彼女はついてこなかった。学校があるんだから当たり前だ。


 そうして僕は、隣町へと向かうことにした。いつも見ているあの風景の中で死ねるならいいのではないかと僕は思った。

 歩いている人たちの目を見つめた。これで最後だと思い、すれ違う人びとの死の日付を満遍なく見つめてやった。手で文字を隠しつつ、少しの隙間から見つめていた。

 電車なら四駅で隣町に行けるのに、なぜか電車ではなく歩いてそこに向かった。体力はあまりないほうなのに、なぜそうしたのだろうか。電車を使うとすぐにでも飛び込みたくなってしまうからだろうか。自分の今までの体力を全て使ってしまいたかったからだろうか。まだまだ涼しい時期だったので、そこまで体力は使わなかったが、なぜかすごく疲れていた。体力的にも、精神的にも。

 隣町の海岸に行ける大きな坂を下っていった。今日はそこそこ人通りが多い。僕の街から隣町に行く場合、たいていこの坂を使う人が多い。

 隣町の海岸近くについた。ちょうど、祭りの準備が行われていた。曇天で海はモノトーンに見えた。いつも高台から見る海とはまた違ったふうに見える。そして走ってはきたものの、どのようにして死のうかはまだ考えてなかった。というより、考える余裕がなかった。

 しばらく、海を眺めていた。

 さっきから、後ろで走っている足音が聞こえる。そしてそれは次第に大きくなっていく。

 僕は相変わらず手で文字を隠しながら、後ろを向いた。

 西園寺さんだ。

「なんで来たの?」僕は冷たい声で言う。来ることはなんとなく予想できた。隣町で一番広い道路がここなので、見つかるだろうとも思っていた。

「君はまだ死ぬべきじゃない」

「……どこにそんな根拠があるの?」

「じゃあどこに死ぬべき根拠があるの?」

「いくらでもあるだろ! 現に今はもう見た目すら普通じゃないんだし、いつもだって見てる風景は人と違う。生きるべき理由なんてどこにもないよ」

「あるよ! 私は、君が本当に優しい人間だって知ってる。今、私が生きているのは誰のおかげ?」

 彼女は息を切らしながら、今までにない真剣な眼差しで僕を見つめた。たとえ僕の見た目で変であろうとも。

「自分がもし志乃くんの立場だったら、きっと死ぬ人がいても無視してた。私にはそんな度胸ない。私には出来ないことが、君はできるんだよ」

 僕は彼女の様子を見て、決して生半可な気持ちで追いかけにきたわけではないことがわかった。

「学校をわざわざサボってまで来たのも、あの日の君みたいになりたかったから。尊敬してたんだ、君は私にとってのヒーローだったんだ」

 僕はそれでも下を向いて黙っていた。僕のことをヒーローだと思ってくれていたなんて、意外だった。

「ごめん、立て続けにいろいろと話しちゃって」

 そう言って、彼女はしゃがみこんで僕の目を見つめてきた。

「手をどけてみて」

 僕は手をどけた。確かに、僕がもう顔を隠す必要はなかった。

「……もう、君は死なないね」

 彼女はにこりと笑った。それが視界が青くなることなくはっきりと見える。僕の「死の日付」はすでに消えた。前に僕が彼女にしてくれたように。

「私は君の味方だから、安心して」

 僕はまた手で顔を隠した。何がとは言わないが、彼女にはバレたくなかったからだ。

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